九
寅次郎がしたことは、猫の一族としては、重く受け止めねばなるまい。最悪の場合、否、そうでなくとも再び抗争が起きる火種となるかもしれないからだ。鼠のことを嫌っているものが多いとはいえ、争いを好まないものは確かにいる。珠緒もその一人だ。
「鼠どもの言うことは定かでは無いが、寅次郎が捕らわれていることは確かであろう。故に、俺は第二五六回の抗争を起こす用意である」
珠緒は「ちょっと待ってほしい」という気持ちになった。
鼠の言うことは、恐らく本当だ。もしこれが鼠の作り話なら、それこそ宣戦布告に匹敵する。
(鼠の陣地で猫形をとった寅次郎が悪いのに、どうして大将は相手に謝らないの?)
珠緒は理解が出来なかった。悪いことをしたら謝る。大人は子供が反省していないのなら、代わりに謝って、教える。当たり前のことではないのか。同族の間ではそれが出来るのに、なぜ鼠相手には同じことが出来ないのか。
「鼠どもは、俺の子を人質にとりやがったんだ。これを許してはならん!寅次郎は今頃鼠どもに囲まれて…、想像するのもおぞましいわ。忌まわしい鼠どもに、我ら猫の力を再び示すのだ!」
大将は次いで、どんなに鼠が卑劣か、劣っているか、そして前回の抗争で猫が鼠に勝った華々しい活躍を語る。
(こんなの、おかしいよ)
珠緒は周りの下働きの皆や、家中の大人を見つめる。皆、色々な表情をしていた。
怒りを耐えるもの、微笑んでいるもの、困ったような顔をするもの。
(誰か、誰か、言ってよ。こんなのおかしいって。争いたくないって!)
珠緒は必死に頭の中で叫ぶ。しかしそれは他の者には聞こえる筈もないし、聞かせるつもりも無い。
(鼠はそんなに悪い人達なの?あなたたちの方がよっぽど、怖いよ!)
珠緒は下を向いて目を閉じ、拳を握りしめた。
瞼の裏の闇に浮かぶのは、桜饅頭を食べて目を輝かせる顔。珠緒の頭を撫でてくれた手。珠緒に優しく微笑む優しい、ーー。
「宣戦布告の報は、三日後に鼠のもとへ届ける。それまでに俺は他の民を集めて此度の顛末と抗争の始まりを伝える。皆は準備を進めること。以上、解散!」
珠緒は終に、意を唱えるために声を上げることが出来なかった。
たとえ珠緒が何を言っても、その意見は通らないだろう。しかし、何か、したかったのだ。
「……どうして」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に向けたものだろう。大将か、周りにいた皆か、自分自身か。
珠緒はひとつ大きく息を吸うと、握りしめていた拳を緩く開いて、目を開けた。
その瞳には硬い石のような、煌めく光が反射していた。




