八
そして、その時は突然訪れる。
「珠緒、寅次郎様を見ていないかい?」
珠緒と同じように大将の家に仕える、年配の家中が珠緒を呼び止めた。
珠緒は心当たりが無かったため、首を振る。
「おかしいわねぇ。十八時には帰ると仰っていたのだけれど」
今はもう二一時だ。もう外は真っ暗で、確かに少し心配である。
「寅次郎さんは、どこに出かけているんですか?」
「それがねぇ、燕の土地に用があるとかで、朝早くから出かけて行かれたのよ」
燕の土地は、鳥の領地の中では鳩の領地と隣にあり、鼠の陣地の隣でもある。猫の陣地からは、鼠の土地をぐるっと迂回して鳩の土地を横切らないとたどり着けない。そのため余程の用事でもない限り、燕の土地へ行く人は、猫の一族にはあまりいない。
「誰か、探しにいかれたんですか?」
「いいえ。まあ、寅次郎様ももう17だもの。幼い子供でもないから、大丈夫だとは思うわ」
この家政婦の言うことは最もだ。そう考えるのが自然であるのだが、珠緒は何だか嫌な予感がした。
しかしどこに居るかも分からない寅次郎を珠緒が探しに行ったところで、片道に一刻ほどかかる燕の土地にこの時間から行くのは憚られた。すれ違うかもしれないし、探す人間が珠緒と寅次郎の二人に増えるのも目に見えている。
(明日まで待とう)
珠緒と家中はそう考えて、猫の大将に寅次郎が帰ってこない旨を伝えて、就寝した。
珠緒は、バタバタと廊下を走る人の足音で目を覚ました。
(何かあったのかな)
珠緒は普段着に着替えて障子戸をあけて、ちょうど通りがかるところだった同僚の下働きに声をかけた。
「ねえ、何かあったの?」
「寅次郎様が、帰って来ないらしいんです…!それで、今大将に皆が集められてて…!」
寅次郎はまだ帰っていなかったのか。何かあったのか。
珠緒も先を急ぐ同僚を追いかける形で、猫の大将の居る母屋へと向かった。
猫の大将、喜屋戸 剛太郎は、慌てて集まった家中達をみとめて、話し出した。
「寅次郎が鼠どもに捕らえられておるらしい」
その一言で、その場にいる皆から驚きの悲鳴が上がる。
「鼠どもの主張するには、寅次郎が鼠の陣地を通過する際、猫形で通過しようとしたらしい。取締者が囲んだところ、暴れたため、止む無しと判断し、取り押さえたと」
猫の大将は眉を顰めて難しい顔をしながら、ことの次第を話した。
『猫形』というのは、文字通り猫の姿になることだ。猫の一族は、皆が変化することが出来る。
鼠の一族は鼠に、鳥の一族は鳥に姿を変える。
普段は『ひと』の形をとっているが、どちらが本当の姿なのかは、定かではなかった。
そして、その動物の姿をとることが許されているのは、猫なら猫の、鼠なら鼠の、自身の属している領地の中だけなのだ。今回の寅次郎のように、領地外で「獣形」をとることは禁止されている。
それは「獣形」が、相手を傷つけやすい姿、だからだという。
そんなのその人の性格によるものではあるのだが、猫の場合は格段に夜目が効きやすくなり、嗅覚や運動能力も向上する。
ひとの使う言葉も話せなくなるのだが、同族同士では頭の中で会話ができるから特に困ることは無い。しかし自分と違う種族には「言葉」という簡単に意思疎通ができるものが通じなくなるため、トラブルになりやすいことも、領地外で獣形が禁止されている理由だ。
また、獣形は、抗争の時にもっぱら使う姿である。敵味方の区別が容易であるし、前述の通り運動能力が向上するためだ。
本来なら獣形が悪いわけではない。しかし、この世の中、種族を問わずそれが恐怖の対象となっているのは事実だった。