六
「ご馳走様。連れてきてくれてありがとう」
紗綾と珠緒は桜饅頭の店を出て歩いていた。春の麗らかな日差しが辺りを温めている。
猫の領地は木造平屋建ての家や店が所狭しと立ち並ぶ、活気のある町だ。これから春になるにつれて、皆どんどん活動量が増える。
店先で立ち話をするもの、客を熱心に呼び込んで魚を売るもの、駆け回る子供たちの笑い声と砂埃舞う道。
「猫の領地って、とても賑やかね」
「冬はどうしても、寒さでみんなぐったりしていますから、その反動だと思います」
「…猫の人たちは寒さに弱いものね」
しばらく歩いて、紗綾と出会った出店通りに着いた頃、紗綾がおもむろに何かを懐から取り出した。
「これ、良かったら貰ってくれないかしら」
紗綾から渡された紙袋の中身は、髪飾りだった。
留め具の部分は艶やかに削った木で作られており、飾りの部分は赤い玉飾りが枝垂れ桜のように連なっている。
先ほど珠緒がひとりで露店を見ていた際に気になっていた簪とよく似た作りだ。しかし紗綾が取り出したものの方が丁寧に作られているようで、それに似合いそうだと、珠緒は自分で思う。
「春みたい」
珠緒の口から出た言葉はそんな感想だった。その言葉に紗綾は嬉しそうな顔をする。
「ええ。そう思って選んだの。あなたにぴったり」
「…?」
珠緒が紗綾の言葉を理解出来ず首を傾げると、紗綾は分かりやすいように説明した。
「あなたは、私にとって春の桜みたいに、綺麗で、あたたかくて、寒さと冬の厚い雲を晴らして、光を届けてくれるような存在だって、そう思ったの。だから、これを選んだのよ」
珠緒は、髪飾りを改めて眺めた。
(私が、紗綾さんにとって、こんなに綺麗で、あたたかい存在なのかな?)
そんな風には、自分では思えない。大人ぶろうとしたって、紗綾からしたら、珠緒はまだ子供だ。気を使ってくれているとしか思えない。
「なんで、私にこれをくださるんですか?」
それが1番わからなかった。珠緒は、紗綾にこんな素晴らしいものを貰えるようなことをしていない。
「あら。それは、この前くれたお土産のお返しよ。また会った時にって、約束だったでしょう?ちょっと遅くなっちゃったけれどね」
珠緒は、紗綾が「お土産のお返しをしたいから、今日は受け取れない。次会った時にお土産を渡して欲しい」と言っていたことを思い出した。その翌日に店で会ったときの紗綾に何も渡されなかったため、その話のことを無いものだと思ってすっかり忘れていたのだ。
「でも、桜饅頭とは釣り合いませんよ」
「いいえ。ただの気持ちなのだけれど、やっぱり迷惑だったかな?」
紗綾は少しだけ悲しそうに笑った。そこで珠緒ははっとして、慌てて言葉を探す。
「そんなことないです。すごく、すごく嬉しいです。綺麗で、私がつけてもいいのかなって考えちゃうぐらいに…。紗綾さんに素敵な言葉と贈り物を貰えるほど、自分に自信が無いんです。でも、ありがとうございます」
珠緒は、笑って紗綾の顔を見た。少し泣きそうにも見える、満面の笑みだ。
「嬉しいわ。良かったら使ってね」
珠緒は、決心を込めて、髪飾りを胸に抱いた。
「大事にします。あなたに、会えて良かった」