五
紗綾は、眉を八の字に下げて、困ったような笑みを浮かべていた。
「ごめんね。バレちゃったら仕方がないわ。やっぱり鳩と鼠の土地って隣だから、お店にも鼠のお客さまが多く来るの。だから、その勉強をしに、鼠の領地へはよく行っているわ。…あなたたち猫と、鼠って仲が良くないから、私が鼠とも仲良くしてるのは、猫であるあなたは知りたくないかと思って。」
「怖がらせちゃったわね。ごめんね」と言って、紗綾は珠緒に目線を合わせて謝った。
「そんなこと気にしませんよ」
そう言って珠緒は、安心感から気の抜けた笑顔を浮かべた。
「紗綾さんは紗綾さんですし。でも、紗綾さんにも気を遣わせてしまうような、ずっと続く猫と鼠の喧嘩は、早く終わればいいのにって思います」
紗綾は驚いたような顔をして、珠緒の瞳を見つめて問うてきた。
「それは、猫と鼠が仲良くなれたらいいってこと?」
「うーん。仲良くは、なれなくてもいいけど、お互いに傷つけあうのを辞めれないのかなって思います」
『彩衣亭』に行くにも、正直なところ鼠の陣地に入らないように遠回りするのは面倒だ。それに抗争に行った人は帰ってきてからも喧嘩早くなるし、何より鼠の悪口がそこらじゅうで飛び交うのが、珠緒は嫌だった。
珠緒は、隣の領地にいるのに鼠の人たちと話したことがいちどもない。相手を知らないのに悪口を言っては駄目だよと、友達の親は言うのだ。だから、鼠のことだって、よく知らない珠緒は批判できない。
紗綾は嬉しそうに珠緒の話を聞いている。
「そんな風に言ってくれる猫の人、初めて会った。あなたはとても優しいんだね」
珠緒はどきっとした。まるで、紗綾が知らない人のようだ。心臓が強く脈打ってから、なかなか収まらない。
休日の紗綾は、何でも許してくれるような寛容さがあり、聞き上手だ。それでいてたまに、すっと纏う気配が冷たくなる。
玉緒は心の中で紗綾の温度差にくらくらしながら、桜饅頭の店まで歩くのだった。
「まあ。美味しいわね」
紗綾は桜饅頭を食べて目を輝かせた。そして、花が開くように笑う。
「桜餡ってとても良い香りね。こんなに美味しいものがあるなんて。猫の土地が羨ましいわ」
紗綾は桜饅頭を二つ食べ終えて、緑茶を飲む。その姿も美しいが、静かに目を輝かせて桜饅頭を食べる姿は、珠緒の心をほんわかと温めた。
(喜んでもらえて嬉しい)
一息ついて紗綾が茶を啜って切り出した。
「そういえば、どうして私が鼠の土地に行ってるとわかったの?」
「あ…。あの、鼠の匂いが…」
「鼠の匂い?」
紗綾は不思議そうに珠緒を見つめる。珠緒は「鳩は鼻が効かないんだった」と思い出して、説明する。
「多分ですけど…。雨の日の土の匂い、みたいな匂いがします。でも紗綾さんからは、甘い…?香ばしい…?よくわからないけど、お腹が減るような匂いもしてたので、あまり自身はなかったんですが…。鼠の陣地以外にも、どこか色々行かれてるのかな、と思いました」
珠緒はしどろもどろになりながら説明した。鼠の匂いは、たまに鼠の陣地の方から臭ってくるし、鼠とすれ違う時に香る程度なため、そうかもしれないと思っているだけだが。
「そうなの。じゃあ、ほかの猫のお客さんにもそう思われてるのかしら?気をつけなきゃ」
紗綾は真剣な顔で呟く。たしかに、珠緒以外の猫の客が紗綾に会ったら鼠の匂いに敏感に反応することだろう。
「でも、紗綾さんがお店にいる時は、鳩の、風のような匂いしかしないので、大丈夫だと思いますよ」
「……そう?教えてくれてありがとう」
紗綾はそう言って最後の桜饅頭に手を伸ばした。