三
「紗綾さん、こんにちは!」
「あら珠緒ちゃん、元気ね」
翌日、珠緒は『彩衣亭』へと足を運んだ。美弥の衣を買うためだが、紗綾に会うのを昨日から楽しみにしていたのだ。
「あの、これ、お土産です。どうぞ」
「あら、ありがとう。珠緒ちゃんは気が利くわね」
(……?)
珠緒は紗綾に少しの違和感を覚えた。しかしうまく言葉にできなくて、首を捻る。
「どうかしたの?」
「あっ…、いえ。衣を見に来ました。今日は春の衣で、軽やかなのが良いそうです」
「それならね…」
そう言って紗綾は珠緒が渡した土産の包みを奥に持って行ってから、衣の紹介をしてくれる。
(いつもの紗綾さんだ。昨日はお休みの日だったから、ちょっとだけ雰囲気が違ったのかな?)
珠緒はそう結論付けて、紗綾が見せてくれる衣に集中した。
ーー
「よお、珠緒」
彩衣亭から大将の屋敷へと帰り、長い廊下を歩いている時だった。後ろから声をかけられた珠緒は振り返る。
「寅次郎」
寅次郎は猫の大将の息子で、珠緒と同い年の男の子だ。いつも意地悪をしてくるため、珠緒は寅次郎の事が苦手だった。
しかし、大将の家には、みなしごだった珠緒を育ててくれた恩義がある。本家の人である寅次郎と、ただの使用人にも満たない下働きの珠緒の間には、逆らえない上下関係のようなものが芽生えていた。
「お前、また母ちゃんのお遣いか〜?今度俺のも買ってきてくれよ。まっ、親に見捨てられた女のお前には、跡継ぎの男の俺に合う服なんて、分かんねーだろうけど!」
珠緒はすっと、心が冷えていくのを感じた。
寅次郎と話すといつもこうだ。見下してきて、相手にしないようにと思うのに、その言葉には反論できなくて、自分が惨めになる。寅次郎の言い方は、ずるい。性別も、生まれも、親も、どれも珠緒が選べるものではないのに。
「そうかもね」
しかしここで悲しい顔をしたら寅次郎の思う壷だ。珠緒は心に蓋をして、なんでもない事のように告げた。
「寅次郎は良いお父さんとお母さんを持って、よかったね。じゃあ、私はその美弥さんに衣を渡してくるから。行くね」
珠緒は振り返って寅次郎に背を向け、廊下を歩いていった。
ーー
珠緒は猫の陣地にある、出店通りで買い物をしていた。
今日は下働きが休みの日。若葉色の着物に、白色の帯を付けて、少しお洒落をしてみた。紗綾のようになるにはまだ遠いが、いつかあんな風な素敵な大人になりたいと思う。
(あ、この髪飾り、綺麗)
珠緒は装飾店の露店で足を止めた。赤い玉が柳のように連なる簪は、美しくて気品がある。
(でも、私みたいな子供には、まだ早いかな)
珠緒はすぐに買おうかどうするか、迷うのも諦めて、他の品に目を移す。しかし他にめぼしいものも見つけられなかったため、何も買わずに露店をぶらぶらと渡り歩いた。
「あれ、紗綾さんだ」
ふたつ隣の店に、紗綾の姿がある。珠緒はすぐに話しかけようとしたが、心に薄い靄がかかった。
(今は迷惑かな)
先日の紗綾の、休日と店にいるときの態度の微かな違いから、珠緒は紗綾に話しかけることを躊躇った。休みの日まで、客の顔は見たくないかもしれない。
(向こうの方に移動しよう)
珠緒は紗綾に会うことを辞めて、元来た道を戻ろうとした。