二五
その日、彩衣亭に忠助が訪れていた。
「紗綾。これ、借りてた衣。もう要らないから、返すよ」
忠助は紗綾に、そう言って色とりどりの衣を包んだ布を渡す。
「やだねぇ、こっちだって要らないわよ。あんたが着た衣なんて、もう着たくないし。珠緒ちゃんにでもあげたら?」
紗綾は顔を顰めて忠助が差し出した布を受け取ろうとはしない。
「珠緒さんには、少し大きいんじゃないかな。…それに、それこそ僕が着たものなんて、嫌だろう」
紗綾はため息をひとつ吐くと、忠助のことをじろりと睨む。
「もともとあたしの衣だったんだし、あんたが着たとなりゃ、あの子は喜ぶに決まってるわよ。帰った帰った」
紗綾はひらひらと手を振って、忠助を追い出そうとする。忠助もそれ以上は何も言わず、別の包だけ置いて帰って行った。
「…迷惑料、とでも思ってるのかしら。あの馬鹿は」
そこには包いっぱいに貨幣が入っていた。
忠助が紗綾に化けて、諜報活動を行っていたことは、紗綾も知っている。そも、知っているもなにも、紗綾から提案したのだ。
『猫の奴らのせいで、じいさんは怪我したんだ』
猫と鼠の抗争。猫が勝利した際に、当時鼠の大将を務めていたのは、麻襖の父ではなく、忠助の祖父だった。
自分の首をやるからもう抗争は終わりにしてくれ、と、忠助の祖父は猫の大将に申し出て、そして、抗争は終わった。
猫達は忠助の祖父に情けをかけて、首を取ることをしなかったが、代わりに右腕が落とされた。
それを機に忠助の祖父は大将を引退、まだ若かった麻襖が跡を引き継いだのだ。
そして忠助は、次の抗争は俺が鼠を勝たせる、と意気込んで、情報屋となったのだ。
「変わるものねぇ」
時代も、人も。紗綾はそう言って、ひとり目を瞑って、微笑んだ。
鼠の領地から出た紗綾が、たまにしか会えない祖父と、先程来た、いつまでたっても手のかかる弟のことを思いながら。
第256回の猫と鼠の抗争は、寅次郎が無事に帰ってきたことにより、始まることなく幕を閉じた。
猫の大将はそれでも抗争を起こす口実を探していたようだが、寅次郎の必死の説得と、鼠の一族の青年が誤解を解きに来たことによって、ひとまずの平和が保たれたのだ。
それについては、猫一族からは不満の声が多く上がったというが、それは前回の抗争に自分たちが勝利したため、今回も同様だろうとの慢心から来るものであった。
寅次郎とともに現れた鼠の青年を捉えようとした猫の大将ーー喜屋戸 剛太郎は、警護の者を十人程その青年に差し向けたが、人形とは思えない強さに、全員伸された。
『抗争が始まればこんなものでは済ませません。それに、ここで僕が戦ったことは、正当防衛が成立します。他族の方もいらっしゃいますし。そうですよね?』
鼠の一族の青年がこうなることを見越して共に招いていた、鳥族と狸族の人々は、首を縦に振るばかりであった。
鼠の土地にある桜並木が美しい出店通り。
猫の土地からほど近い場所にあるそこに、三毛色の髪を持つ女性が立っていた。
一纏めにした三つ編みの髪を、高い位置で団子型に結い上げたその髪には、赤い玉の連なる髪飾りが揺れている。
そこに、知り合いであろうか、多くの人々が挨拶をして通りかかる。
女性はそれに律儀に答え、たまに談笑する。
「珠緒さん」
一人の男性が女性の名を呼ぶ。すると女性はぱっと、春に花が開くような表情を見せて、男性に駆け寄った。
「忠助さん!」
猫と鼠の長く続いた争いの歴史が、蓋を閉じた訳では無い。しかし、いま、二人は確かに、笑いあっていた。
おわり




