二三
鼠の大将は、集めていた者に退室の許可をだした。大勢いた人々が居なくなって、鼠の大将ーー麻襖と、忠相、それに珠緒と寅次郎の四名だけが残った。
「珠緒。改めて、ごめん」
寅次郎は、情けない顔をして、珠緒に謝った。
「いいえ。寅次郎さんは、これから自分に出来ることを精一杯やってくれれば、それで構いませんから」
珠緒は昔は寅次郎のことを、兄弟のように思っていたため呼び捨てにしていたが、今は主と下働きという関係性だ。大人になるにつれて、そのあたりを弁えるようになった珠緒に、寅次郎は少し悲しそうな顔をした。
「でも、どうして猫形になってしまったの?それも鼠の土地で…」
珠緒はずっと気になっていた事を寅次郎に聞いた。
「それは…」
寅次郎は言い淀んだあと、小声で訳を話す。
「一昨日、燕の土地に行ってたんだが、帰りが遅れそうだったから、鼠の土地を横切ろうと思って…。それで、人形で急いでいたんだけど、途中で転んで、左足を捻ったもんだから、走れなくなって。猫形になれば前足も使えるし、早く帰れると思ったんだ……」
「……呆れたよ……」
珠緒は白んだ目で寅次郎を見た。確かに彼は今も左足首を庇って立っていた。
横で話を聞いていた忠助も、苦笑いで見ている。
「まあでもね、悪意があった訳じゃないし、この子も捕まってからもずっと大人しかったから、僕らも返してあげようと思ったんだ」
麻襖は寅次郎に助け舟を出すように、会話に割って入る。
珠緒もそれ以上は何も言わずに、寅次郎を責めることはしなかった。確かに門限に遅れた時の美弥さんの怒り方は凄まじい。寅次郎が急いで帰らねばならないと思う気持ちになるのも、うなずけた。
「鼠の皆さんには、大変なご迷惑をおかけしたと思っています。あなたが、一緒に猫の土地まで来てくださると聞きましたが、それは…」
寅次郎は忠助の方を向いて、控えめに首を傾げた。
「一人より、二人の方が心強いでしょう?僕も鼠の一族代表として、そちらの大将さんに、お話させてもらいます」
確かに寅次郎は、成行に上手く丸め込まれる危険がある。寅次郎の父親なのだ。鼠の立場としては、まだ17歳の、寅次郎一人では心許ないのだろう。
「珠緒さん」
次いで忠助は珠緒を呼ぶ。
「あなたも、一緒に行く?」
忠助の申し出に、珠緒は首を振った。
「いえ、私は来た時と同じように、一人で歩いて帰ります」
「そう。では速水、珠緒さんに護衛を付けて」
速水と呼ばれた猫の大将こと麻襖 速水は、忠助の言葉にため息を吐いて頷いた。
「はぁ。ったく、お前はなんでこのタマオとやらをそんな大事にしてるわけ」
どこで知り合ったの。そう言った麻襖の言葉に、忠助は答える。
「僕が紗綾の格好で色々歩いている時に、珠緒さんが話しかけてきてくれだんだ。珠緒さん、紗綾と親しいみたいだから」
「はい。ずっと紗綾さんのこと大好きでしたから。途中で本当の紗綾さんじゃないかもと気づいていましたが、忠助さん本人と会ったのはさっきが初めてです」
「……あ、そう」
麻襖は呆れたように相槌をうって、会話を終わらせた。しかし、ふとなにか思い出したように珠緒に向き直ると、再び口を開く。
「猫の娘。お前が来たから、事態は動いた。このままであれば、抗争は確実だっただろう」
麻襖は真剣な表情で珠緒を見ている。
「俺は、この忠助から、猫の奴らの情報を貰っていた。初めは猫の弱点ばかり列挙していたこいつが、いつからか、猫の奴らも俺らと変わらないとか言い出したんだ」
珠緒は驚いた。そして寅次郎も驚いている。忠助に関しては、いたたまれないような複雑な表情をしている。
「きっと、そうやって報告するようになったきっかけが、お前だったんだろうな。そして、こうしてお前が鼠を恐れずにこの場に来たことで、鼠の皆の思いも多少は変わっただろう。……ありがとな」
麻襖ははにかんで、珠緒に礼を言った。
珠緒は恐縮したが、あとからじわじわと嬉しさが全身を満たしていった。麻襖に認められたこと、そして、忠助が珠緒といることで、猫は悪いだけじゃないと思ってくれたこと。
「ありがとう……ございます。大将、それと、忠助さんも!」
珠緒もはにかんで2人を見上げた。
2人も優しい笑顔を返してくれる。
「では、私はこれで失礼します。寅次郎さんも、また後で」




