十九
珠緒が足を踏み入れたそこは、猫の大将の屋敷の広間よりも大きいかと思われる部屋であった。畳が敷いてある部分に鼠の者が大勢、並んで座っている。
珠緒は挫けそうな気持ちを叱咤して土足の部分で膝をつくと、正座をして額を床に着くかどうかというところまで下げた。
「初めまして。鼠の大将、並びに鼠の一族の皆様。わたくしは猫の一族の珠緒でございます」
珠緒は緊張で声が震えないように気をつけながら、全員に聞こえるように声を張り上げた。
「猫の一族の者として、鼠の一族の皆様にお伝えしたいことがあり、参りました。どうか、お話を聞いてはいただけませんか」
しん、と静まったままの空気に、珠緒は頭が真っ白になる。話も聞いて貰えなかったらどうしよう。こんなに不安になるなら、猫の大将のところでもっときちんと礼儀作法を学んでおくのだったーー。
「この場でただ一人の猫の一族の者よ」
凛とした声が珠緒の思考を遮った。想像していたよりも、穏やかな声だ。
「頭をあげて良い。そなたのような者が遥々この場まで来たこと、鼠の者一同感服している」
珠緒はその言葉で恐る恐る顔を上げた。すると、座っている大勢の鼠たちから注目されていることに気づき、思わずびくりと肩を震わせた。
こんな大衆に注目された経験なんて、今までに無い。緊張は留まるところを知らずに珠緒の心臓は全力で走ったかのように大忙しで血液を全身に回している。
「こちらまでおいで」
珠緒に目線を遣る大勢の向こうに、一段高くなった部分がある。そこにひとりの男が座っているのが、人々の間から見えた。
(あの人が、鼠の大将かな…)
珠緒はもう一度お辞儀をすると、立ち上がって下駄を脱ぎ、畳の上を恐る恐る歩いていった。
鼠の大衆が座っている場所の真ん中に、人がひとり通れるくらいの間隔が開けてあるため、そこを通る。
指先まで見られているような緊張感のなか、珠緒はふと気づいた。
(私、いま、怖くない)
こんなにも多くの鼠達に囲まれているのに、緊張しているだけだ。『影』の者たちに囲まれた時に感じた恐怖も、以前鼠の人を遠くに見かけた時に感じたような怖さも無い。
ーー忠助さんの、おかげだ。
忠助が言うように、鼠も猫も、何も違わないのだろう。そう気づいたら、珠緒は心が一気に軽くなったのを感じた。
「初めまして。猫のもの。私は鼠の領地を収めている、麻襖だ。よく来たね」
珠緒は高床となっている場所の前まで来ると、改めて頭を下げた。
「私は猫の一族の珠緒です。お話があって参りました」
「うん。そのようだね。それで、あなたはこんな所まで一人で来て、私に何をしろと言うんだい?」
麻襖と名乗ったその者は、頬杖をついて珠緒を見下ろしている。顔は笑っているが、目の奥が笑っていない。冷たい光を湛える黒い瞳を珠緒は冷静な頭で見返した。




