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妖の 猫と鼠の こい患い  作者: やう
珠緒と青年
18/25

十八


「…僕が彩衣亭の店主に化けていたのは、情報を集めるためだ。猫たちの弱点を知って、鼠の有利に働くようにするための、情報だよ……。あなたに初めて会った時も、その次も、ずっと、そうしていたんだ」

でも、と珠緒は思う。

「この3年、私たちは争っていません。あなたが止めてくれていたのでしょう?」

猫と鼠の抗争の歴史始まって以来の、平和な3年間だったと、猫の一族の大人たちは言っていた。

この人が猫の情報を集めていたのは鼠のためだろうが、ただただ猫の弱みや悪いところを、鼠の偉い人々に報告していただけなのだったら、3年の間に既に争いが起きていたに違いない。

「僕は止めていた訳では無いよ」

青年は何かから目を逸らしたいのに、そうできないことに苦悩するように、強く目を瞑る。

「情報屋になって、猫の土地に行って、どれだけあいつらが傲慢で、嫌な奴らなのか知りたかったんだ。でも、猫たちだって、生活して、生きているんだ。笑うこともあるし、悲しむし、怒ったり、泣いたりする。僕たちと何も変わらないんだね」

そんな猫たちの姿を見て、どうするべきか分からずに迷っていたとき、あなたに会ったんだよ。そう青年は言う。

「戦は情報が制すると言うけれど、では勝敗ではなく、争いを止めるために情報が使えないかと、そう思うようになった。でも、僕が止められるのは、鼠の敵意だけだ。猫の敵意までは、どうしようもなかった」

青年は諦めたように、強くつむっていた瞳を開く。黒い瞳には明り取りの窓の光が刺さず、闇を秘めているようだった。


「あなたが言ったように、『知ること』って、すごく大事なんだ……」

そう言って、青年は珠緒の目を見る。


「僕の名前は、忠助だよ」


珠緒は、初めて知った名前を、口の中で反芻した。じわじわと、暖かいものが心に満ちていくようだ。

「あなたは?」

「私は、珠緒です」

「珠緒さん」


微笑む忠助に名前を呼ばれた途端に、珠緒の中のあたたかい熱を心臓が全身に回すように、熱くなる。

忠助が『紗綾』として振る舞っていたときから、ずっと、この人に呼んで欲しかったのだと、珠緒は強く理解した。

紗綾に呼ばれる「珠緒ちゃん」とも、寅次郎や下働きの同僚が呼ぶ「珠緒」とも違う、忠助だけが紡ぐ珠緒の名前。

「いつも、楽しそうに僕と話をしてくれてありがとう。…その髪飾り、ずっと持っていてくれたんだね」

忠助は珠緒の前帯に刺さっている髪飾りに目線を落として、慈しみにも、苦しそうにも見える表情をする。

珠緒は忠助がどうしてそんな顔をするのか分からなかったが、帯に刺していた髪飾りを抜いて、忠助に差し出した。


「……髪に、刺してください。忠助さん」

忠助は珠緒の意思を汲み取って、髪飾りを受け取ると、珠緒の髪を纏めている紐のあたりに枝垂れ桜を添えた。

「ありがとう」

何故か珠緒では無く、忠助がそう言った。珠緒は嬉しさと豪胆な振る舞いをした恥ずかしさで頬を染めると、忠助に向かってとびきりの笑顔を向けた。

「ありがとうございます。行ってきます」

忠助は面食らったような顔をしたが、「あははっ」と声をあげて笑ってから、閉ざされていた扉を押し開く。


「似合ってるよ、珠緒さん。行ってらっしゃい」


珠緒はひとつ頷くと、眩しい程の明りが漏れる扉の向こうへと踏み出した。


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