名前は・・・?
その翌日、ローズはまたその図書館へと足を運んでいた。一冊の本を抱えながら。
なぜなら、受付を通さずに家まで持って帰ってしまったからである。
ローズはやや緊張したような表情に抑えられていたが、内心では焦っていた。
本好きな彼女は受付を通さず持ち出してしまうという初めての失態に羞恥心や怒り、不安などでいつものような自信や好奇心が押しつぶされていた。
大袈裟かもしれない。だが、彼女にはそれくらい重大なことであった。
天井の光に照らされている螺旋階段。
カチカチ、とわずかに音を鳴らす時計。
パタパタ、と駆ける子供の足音、注意する母親の声。
机に向かい懸命に勉学に励む学生。
椅子に座り、ゆったりと本を読む老人。
ひんやりとツルツルした机。座り心地のいいイス。
どうやら今日もこの図書館は日常を過ごしているようだ。
ローズは本を戻しに目当ての棚へと急ぐ。
走ってはいけない。かといって、モタモタしてられない。
駆け足ではないけれどそれに近い早足で歩いてしまっていることには気づいていない。
ローズの頭の中では、他の人に本の持ち出しがバレないようにしなくてはというある種の強迫観念が支配していた。
誰にも気づかれないように。怪しまれないように。あくまで、さっきまで読んでいた本を戻すだけよ。大丈夫、大丈夫・・・・。
何度も大丈夫と念じながら向かう。
ここを曲がって、そしたらすぐよ。奥の棚へ向かってそれで・・。
慎重に、慎重に本を置いたらすぐにこの場を離れるの。大丈夫。バレはしないわよ。
今にもバクバクと心臓の音が聞こえてきそうだった。自然と息がハァハァと荒くなっていく。
そこまでローズに注目が集まっているわけではない。他に人が集まっているわけではない。
それでも、ローズは焦りと緊張のさなかにいたのである。
持ち出しについて触れられるのではないかと声をかけられる恐怖に一人で怯えていた。
だが、そんな時間もすぐに終わった。棚へと本を戻せたのだ。
その棚を出た瞬間、ローズは晴れやかな気分へと変わった。
その場で踊り出したくなるのを抑えながら、嬉しそうにどこかへ向かう。
向かう先はもちろん彼女のお気に入りの場所である。
そうして、その日もまた日が暮れるまで本を読んでから彼女は家へと帰っていったのさ。
「なんてねっ。生きていれば彼女のようなこともあるだろうねぇ。ヒヒヒッ。」
男はまたそう言って人形を弄りながら笑う。
その人形の瞳は綺麗な若草色をしていた。
昼間は賑わい、夕方には閑散となるこの図書館は何を想うだろうか。
そもそも、なぜ夕方にはこんなにも人がいないのか。
その答えはわからない。
「“わからない”のではなく“わからせない”のだけどねっ。」
「貴方は何か知っているの?」
一人笑っていた男の背後から幼い声が尋ねる。
「おや、キミはどうして此処にいるんだい。もうそろそろ家に帰らないと、ご両親が心配してしまうよ。」
男は振り返りその幼い声の主、ローズへと言葉を返す。
ローズはコレ、と言ってその手の中にあるものを差し出す。
「き、昨日、友達を見つけてくれて、ありがとっ。キレーなオニーサンっ。」
差し出されたのは白い包み紙に包まれた飴玉であった。
どうやらお礼のつもりらしい。
それを受け取り、男はローズの了承をとってから飴玉を口の中へと入れる。
ローズは、それを見届けたあとに尋ねる。
「オニーサンのお名前は何ていうの?ワタシはね、ローズよ。お花の名前とおんなじなのっ!」
ローズははしゃいだ様子で男の返答を待っていた。
「ヒヒヒッ。そうだねぇ。教えてしまおうか、でもこれだけでは足りないなぁ。・・・ああそうだ、コレクターとでも呼んでおくれよ〜。」
いま教えてあげれるのはここまでだねぇ、ヒヒヒッ。と続けてコレクターは笑う。
コレクターの言う“足りない”この言葉の意味をローズは理解することは“まだ”できなかった。
いや、理解はしていたようだが本人ははっきりと理解しているわけではなかった。
自身では説明できない、言葉にできないことは知っていた。
そのせいだろう、幼さがまだ見え隠れしているのだ。今も。
ローズは不満なようでずるい、教えてよ!と顔を膨らませて騒いでいた。
まあ、騒いだところで昨日と同様に人の気配はしないため問題はない。
シン、といきなりローズは静かになったかと思うとコレクターの持っていた人形の方に手を伸ばした。