楓の使命
風に揺れるタンポポ、心地よい小川の流れる水の音と土の匂い、晴天の空には祖父母が住む田舎を思い出させてくれる雲雀のさえずりが俺を癒しの世界に誘っていた。
(この先、こんな気分になれるのはいつになるだろう…)
間もなく群雄割拠の時代に突入する、多くの人達が血を流し命を落とす時代だ…俺だってどう運命が変わるか分からない、令和の時代では自分の命の危険なんて病気や事故にでも合わなきゃ考えなかっただろう…。
そんな平和な時代の日本に生まれた俺だが、それでも世界のどこかでは今も戦争をし尊い命が悲しい犠牲となっている…。
(戦争で命の心配をしなければならない…そんな事は学校ですら教わりもしなかった…この時代は裏切りと下克上が正当化される…味方も気軽に信用出来ない…果たして平和の時代しか知らない俺が織田家の中で生きていけるのかどうか…)
「あ、あの……主?……」
「え?…あ、は…はい…」
ぼんやりと土手に座り小川を眺めている俺の背後で楓さんの声が聞こえた。
昨日の清洲城での一件から、彼女はあまり俺と目を合わさない距離で俺を警護している…そんな彼女が今日初めて俺に声をかけてきたのだから、やや身体に緊張が走る。
「き、昨日は…主に大変無礼な言葉を…ほ、本当に申し訳なく…」
「そんなの気に………!!……か、楓さん!…そ、その髪は!…」
彼女の方向に振り向いた俺の視線には、トレードマークのポニーテールではなく、長い髪をバッサリと肩の位置までカットした彼女が立っていた!。
「こ、このような謝罪しか出来なくて…すみません…」
「ど、どうしてそんな事を?…み、みんなは髪を切った事を知っているの?…」
「いえ、先ほど短刀で切りましたゆえ…主以外…まだ誰も…」
彼女は心から反省をしているのか、まだまともに俺の顔を見ることが出来ず、目線を右斜め下に向けながら悲しそうな表情を浮かべている。
ショートボブの髪型はポニーテールの彼女の頃と比べ、年相応のイメージを作り出しているが…そんな彼女の右手には黒くて綺麗な長い髪の束が握られていた…。
「か、楓さん、何も自分の髪まで切る事はなかったのに…」
「…この時代なら手打ちにされてもおかしくない事を私は主にしてしまいました…でも、主はお優しいお方…手打ちなどなさりません…なので、今すぐこの不届き者の私に暇を与えて下さい…」
「え?…な、何言ってるんだよ…と、とりあえずここに座って!」
「…でも…」
「いいから、早く!」
俺は土手に茂っている雑草をバン!バン!と叩き、彼女を俺の右横に招く!。
まだ視線を俺に向けない彼女は土手に数本ほど伸びているつくしを見詰めながら、頬を桜色に染め静かに俺の横に座った。
「あ、あのさ…俺、本当に昨日事は気にしていないから、逆に何も気が付く事が出来なかった俺の方が申し訳ないよ…」
「主…」
「ここは戦国時代…弱肉強食の世なんだよね…もっと俺自身、しっかりしないと…いつ命を落とすか分からないのに…あの時、こんなだらしない俺に業を煮やしたから、楓さんは「鈍感!」と言い俺を叱咤してくれたんだよね?…」
「え?……は?……いや…あの……」
「もう楓さんなら耳に入っていると思うけど、もうすぐこの尾張に今川勢が押し寄せてくるんだ…それを迎え撃つ為に、俺と信長様はこれまでずっと策を練っていたんだよ…当然俺も戦場に同行する事になるんだけど…正直、怖くてたまらないんだ…」
「主…」
「数々の修羅場を潜り抜けてきた楓さんから見ればひ弱で情けない男だけど…人が死ぬ場所に赴く事を考えるだけで背筋が冷たくなるんだよ…俺もその死者の中に入るんじゃないか?って…」
間違いなく俺は敵兵に狙われるような場所に出る事も無く信長様の側に居るのだが、昨日の柴田勝家の件から味方にまで神経を使わなければならない事に心が折れそうになっていた…。
それは歴史ゲームでもよくある[暗殺]だ!…水や食事などに毒…就寝中や用足しの時に襲われる可能性だってゼロではない…それも、敵ではなく味方によって…。
(正直、令和の時代でも先の見えない不安と眠れない夜は幾度もあった…でも、融資先や銀行から命を狙われる事なんて無く、ただただ電話と封書だけの督促で済んでいた…今思えばその程度でビクビクしていた俺が馬鹿のように思える…)
「主…私は常に主の側におりまする…誰にも手出しはさせません!」
「…ありがとう…でも、戦場に楓さんを連れて行くわけにはいかない…剣豪の君が着いてくれれば安心だけど…他の者の目もある…まだ変な波風を立てるわけにはいかないんだよ…」
「主…やはり私がおなごだからですか?…」
「本当はそれもあるんだけど、もっと楓さんにふさわしい事をお願いしたいんだ…」
「それが…柴田様の身の回りを調べる?…」
ようやく彼女も落ち着いたのか、そっと視線を俺に向けてくれた…ショートヘヤーの彼女はまるで初めて出会ったかのような新鮮な気持ちにさせてくれる、そんな今の彼女を俺の時代で表現すると美人な学級委員長ってところだろうか…。
「あぁ、楓さんにしか出来ない事なんだ…」
彼女の武力は信長様も承知している、そんな彼女を俺と一緒に陣幕内に留めておくはずはない、最悪彼女に今川義元の首を狙わせる可能性だってある…正直俺はもう橘楓に人を殺めてほしくはない…殺さず人を守る大和飛燕流の伝承者になってもらいたいのだ。
「しかし、私は森様から主を守るよう命を受けております…戦場なら尚更主の身を守らなければ…」
「俺は信長様の参謀役、危険な場所には出ないから心配ないよ♪」
「しかし、いくら殿の命だとしても、足軽頭の身分で陣幕内に居るのは他の重臣の反感を買うのでは?…」
「だからこそ、楓さんの力が必要なんだよ!…他の重臣でも口が出せない重臣中の重臣、柴田勝家様を味方に付ければ、誰も俺が陣幕内に居ても文句は言えないだろ?」
「それはあくまで理想ではありませんか?…柴田様は藤吉郎様と行動を共にしている主にすら嫌悪されているのですよ!」
「だから、楓さんの力と人脈が必要なんだよ♪」
「え?…」




