悩みは尽きない
善照寺砦に布陣した織田軍は無数の[のぼり]を立て始める、あたかもここで今川軍と決戦を迎えるかのように!。
きっとその様子を今川軍の物見もどこかで隠れ見ているはずだ。
そんな俺達3人トリオは、織田軍の切り札らしく陣幕内に入れてはもらったが、まるで野営テントのような場所に押し込まれていた。
「信長様から呼ばれるまでここで待機か…淳一、気圧計と方位磁石はすぐ取り出せるようにしておけよ!」
「あぁ、大丈夫だ…小一郎様、パソコンの状態はいかがですか?」
「えぇ、今確認中ですが、起動に何ら問題はありません!…この近辺の地形もすぐ出せます!」
「後は今川義元が桶狭間山に登ってくれれば……」
「あぁ、それに…後は天候次第だな…本当に雨が降ればいいが…淳一、しっかり気圧計を見ててくれよな!」
俺達が機材の最終点検をしているテントの外では、まるで運動会のように所々から気合の入った男共の声が響いていた…駆け足の音や甲冑が擦れる音、何だか俺達以外は大忙しのようだ…。
(そりゃ必死になるよな…死にたくないけど手柄も上げたい…その為には自分が納得出来るまで励むしかないんだから…)
外の騒がしに比べれば俺達の居る空間はお通夜のように静かだった、面接試験の順番を待っている緊張感なんて可愛いものだ!それに、ここに居る俺達全員が戦場ビギナーなんだからしょうがない…。
(扱い慣れた道具ばかりだから、どうしても時間を持て余してしまうな…)
もうこれ以上点検の必要がなくなると、何もする事が無い!…浩一はスマホの画面を開き愛しい妻の写真を眺めている…生真面目な小一郎様はいつでも部隊配置の数を入力出来るよう、PC画面とすでに戦中である…。
(…気合い入ってるな、小一郎様…それに、確か藤吉郎様は森様の部隊だったかな…何とか無事で居てくれればいいけど…)
浩一の姿に感化されたのか、つい俺の脳裏にあの松ノ木の下で微笑む楓さんの姿が浮かんだ…それに、もう一人の女性も…そう、おねちゃんだ…。
おねちゃんは人妻だが、それを忘れさせてくれるほど彼女は無邪気で優しい…この時代に来てから何度も俺は彼女に助けてもらった、今こうして無事に生きていられるのもおねちゃんのお陰だ…。
(おねちゃんには感謝してもしきれない…しかし、この時代の歴史を大きく曲げない為にも…おねちゃんはやはり将来[北政所]になってもらわなければならないんだ…)
あれほど俺にアタックしてきたおねちゃんだ、鈍感な俺でも多少なりともそんな彼女の気持ちは分かっている…。
もし、俺がおねちゃんを受け入れていたとしたら、すでに歴史は今以上に大きく変わっていたかも知れない…。
(…たぶん、未来の[北政所]は歴史から消え、太閤秀吉は別の人物になっていた可能性だって生まれていたはず…)
だが、そんな俺にこの時代を牛耳る歴史の神の暇つぶしか、はたまた悪戯かは知らないが、俺の前に楓さんが現れた…最強の剣客であり、無感情で無表情のサイボーグ剣士…最初はロマンスという言葉とは程遠いバイオレンス色の方が強く、美人なのだが男の本能を揺さ振るような女性ではなかった。
(…やはり、あの令和ツアーからなのか?…)
今考えても、こんなチキン野郎の俺が最強の彼女に好かれる要素は顕微鏡で見ても分からない!。
別に二人で村祭りに出掛けた事も無いし、手を繋いで河川の土手を歩いた記憶も無い…ましてや花をプレゼントして気を引こうなんて思いも付かなかった…だって相手は氷の剣士だし…塩対応されたら俺だって凹むし…。
(ん?…てことは…松風の背に乗せてあげた時か?…いやいや、そんな事であの楓さんが…)
令和時代の成人男子諸君に聞いてみたい!。
[あなたのこれまでの人生で、恋の記憶はどれくらいのページですか?…メモ帳サイズ?…A4ノート一冊?…それとも、まさかコミック本くらいですか?]
で、ちなみ俺の記憶は学級新聞程度である!。
(はぁぁ~、そんな青春時代だったから、女性の心が分からないんだよな…よく瞳ちゃんからも怒られてたし…)
かと言って、楓さんに「ねぇ~、ねぇ~、俺の何処に惚れたのぉ~~♪…教えてぇ~♪」なんて軽々しく聞いたら、また「鈍感!」て怒鳴られそうだ…。
(でも…抱き付かれてキスされたから…俺の事が好きなんだよな…う~ん、分からん…こんな俺のどこを気に入ってくれたんだ?…今度瞳ちゃんに俺の魅力を教えてもらおうか?…いや、ダメだ、限りなく冷酷な眼差しが待っている!…なら、おねちゃん!…う!…め、命日確定だな…)
「巽!藤本、小一郎、用意は出来ておるか!」
いきなり俺達が居るテントの中に信長様の声が響いた、名前プラス「用意は出来ているか!」と言われたら、つい条件反射で借金返済日を思い出してしまうのは情けない限りだ…。
(今は女性問題を考えるのはよそう…目の前の今川討伐に神経を集中しなきゃな…後、借金の事も…出来れば、それは永久に忘れたい…)
「藤本、準備万端でございます!」
「木下小一郎、いつでも御命令のままに!」
「巽も完了しております!」
「よし、皆の者、今川が更に進軍したとの報告があった!それぞれの役目、しかと果たせ!」
「ははっ!」
腕時計を確認すると今の時刻はAM9:10…この後、昼前には中嶋砦を突破した今川軍が桶狭間にやって来る…この時、織田軍の武将二人は討ち取られ、続けて丸根砦、鷲津砦と陥落させ…意気揚々と今川軍は更に進軍!…。
(どうする?…先にこの事を信長様に伝えておくべきか…そうすれば討ち取られるはずの武将の命が助かるかも知れない…どうせ中嶋砦は陥落するのだ、人が死ぬ事を知っておきながらそれを見過ごすなんて最低な卑怯者がやる事だ!)
「…信長様、至急中嶋砦を守っている家臣に退却命令を!」
「何故じゃ?」
「まだ中嶋砦が陥落した報告がありません、となれば次に今川軍が向かっているのは中嶋砦です!今は少しでも兵力の強化に当たるべきです…」
歴史は俺や浩一の出現で新しい方向へ進もうとしている、それを歴史の神が拒むか俺達を受け入れるか、まだ審判は下りていない!であれば、自分が正しいと思う行動を今はするしかない!。
「あの砦は佐々政次、千秋四郎が居る、じゃが…あやつらには[とらんしーばー]を与えてはおらぬ…」
「早馬を出してもらえますか?…まだこの時刻なら何とか間に合うかも知れません!」
「…今はやつらの兵力も欲しい所……分かった、至急中嶋砦に早馬を出す!」
「有り難き幸せ!」




