出陣は目の前
[うぬら、いかなる理由があろうとも、甲冑姿で人の家に訪れるなど言語道断!一戦交えるのならば、この橘楓がお相手いたす!]
「あ、お帰りなさい、楓さん!」
「え?……あ……主?……主ですか?…」
「そうですよ♪…どうですか?この甲冑、信長様から頂いたのですよ♪小一郎様や浩一の甲冑も!」
すでに抜刀体勢になっていた楓さんは、俺達の姿に驚いたのか目を見開きキョトンとした顔をしていた。
「どうです?…似合いますか?」
正直、こんな重い物を身に着けたのは初めてで、思うように身体を動かすのは困難だった…それに、これだけを着こなすと、この時期でもかなり蒸し暑い…本当に昔の人は偉かったのだとつくづく感心してしまう。
「え…あ…と……とても…お似合いです…主…あぁ…素敵です…ポッ❤」
慌てて普段のおなご姿勢に戻った楓さんは、俺の姿を見詰めているうちに段々顔が赤くなり始めていた…。
「それにしても、この甲冑って暑いですね…今日は特に日差しが強いので余計そう感じます、あれ?楓さんも歩いて戻って来たので、やはり暑かったのですか?…何だか顔が赤いですよ…」
「は?…ぇ…ぁ……ど……鈍感……」
「え?…今、なんて?…」
「な、なんでもありませぬ!…し、失礼いたします!」
「なぁ淳一、お前…アホだろ?…」
まぁ、そんなハプニングがありながらも数日後、いよいよ俺達は明日から信長様の単騎出陣の日に合わせる為、清洲城にて駐留する事となっていた。
荷物の準備はすでに完了している、浩一は今日も小一郎様と乗馬訓練に出かけ、藤吉郎様は清洲城にて台所監督業務、おねちゃんは城下町まで出陣前に祝うお赤飯の材料を仲様と共に買出しに行っていた。
「松風、もうすぐ桶狭間の戦いが始まるんだぞ…計画通り信長様は夜明け前に清洲城からいきなり出陣される、しっかり熱田神宮まで信長様に着いて行ってくれよな…」
[ブルルッ!]
「お、任せろ!と言ってくれてるのか♪頼むぞ、松風!」
「松風の世話をされていたのですか?…主…」
「あぁ、楓さん、しっかり松風にも活躍してもらいたいのでね♪」
藁で松風にトリミングをしている俺の所へ楓さんが現れる、彼女も優しい微笑を出しながら松風の顔を撫でていた。
どうやら彼女も出陣を諦めてくれたようで、とても心穏やかな様子に見える。
「間もなく…なのですね?…戦が始まるのは…」
「えぇ、でも、きっと半日で終わりますよ…織田軍は負けません!」
「あ…主?…ほ、本当に私の髪を持って行ってくれるのですか?…」
「うん、楓さんの髪は俺のお守りであって、織田軍を勝利に導く女神様の髪だからね、きっと信長様もお喜びになられるよ♪…楓さんへの褒美はなんだろうね♪」
「…くす、やはり主は、どこまで行っても主ですね♪…」
「そうかなぁ~、まぁ先日、浩一から「アホだろ?」と、言われたけどね…それもよく分からなかった…」
松風はあの楓さんを背に乗せた日を覚えているのか、俺に身体を綺麗にしてもらいながら、前足で地面を引っ掛けるようにリズムよく揺らし、頭を上下に振ってご機嫌のようだった。
「楓さんが来てくれて松風も喜んでるみたいだね、あ、そうだ!また楓さんの歌を松風に聴かせてあげてよ!」
「えっ!こ、ここでですか!」
「俺も、久しぶりに楓さんの歌を聴きたいな♪」
「し、しかし…こ、心の準備が…」
この楓さんの反応は俺達の時代にも通じるところがある、カラオケボックスに友人達と訪れ、ドリンクを注文し終えてから、いきなり友人から一番手を指名された時と同じ気持ちだ!。
「あの日さ、まだこの時代に慣れていなかった俺は不安ばかりで、心の安らぎなんて感じる事はなかったんだ…そんな時、松風の背に乗った楓さんを見るとさ、何だか二人でデートをしているような温かい気持ちになれたんだ…」
「で~と?…それ、瞳殿に教えてもらいました、あの令和で観た[てれびどらま]で、男とおなごが楽しそうに街を歩き遊んでいる場面を…」
「へ~そうなんだ…浩一の家でドラマをね…うん…確かにあの時は俺もそんな気持ちだった♪」
「…主…」
「楽しそうに楓さんの歌う声は俺も松風も癒されて、ずっと俺は楓さんに感謝していたんだ…な、松風?」
「ブルルルッ!」
「…松風…主…嬉しいです…」
あの野党共を叩き伏せていた彼女の冷酷な瞳はもうどこにも無かった…何処から見ても彼女は普通の女の子だ…このまま、ずっと女の子の幸せだけを追い続けてくれる事を、俺は心の中で願っていた…。
「ツバメの子供が鳴いてるよ~♪、お腹がすいたと鳴いてるよ~♪」
(楓さん♪)
「お口を開けて呼んでるよ~♪、優しいお母さんを呼んでいる~~♪」
楓さんは、優しく松風の鼻筋を撫でながら歌い始めてくれた♪…澄み切った声、穏やかな表情と慈愛に満ちた眼差し、そんな彼女からはどこにも剣豪のオーラを感じさせなかった…。
「淋しいツバメは待っている~♪、主の帰りを待っている~♪」
(え?楓さん?)
「無事を…い、祈って…待っている~♪……」
「か、楓…さん?…」
彼女は優しく歌いながら、俺のすぐ目の前に立ち、俺と視線を合わせた!。
そんな彼女の行動に俺は何も出来ず、ただ彼女を見詰めていた…。
「主…どうか…御武運を…………チュッ❤…」
(えっ!!)
顔を赤くしながら、楓さんは自分の唇を俺の唇に重ねた!。
そんな彼女の行動に戸惑いながらも俺は瞼を閉じるしかなかった…。
「し、失礼いたしました……あ、主…き、きっと御無事に戻って来てください!…楓は…ずっと、お待ちしております!」
「あ、か、楓さん!」
顔を真っ赤にし彼女は小走りで馬小屋から飛び出して行った…俺はパニクりながらも、右手の人差し指の指腹を自分の唇に当てていた…。
(え?…え?…か、楓さん…い、いつから俺の事を?…え?…え?…)
今、気が付いた!浩一の言った通り、俺はアホだった事を!。
(ちょ、ちょっと待て!…い、今俺…楓さんと…キ、キスした?…う、嬉しいけど、これはまずい!これがおねちゃんに知れ、おねちゃんの行動も楓さんにバレたら…俺は男らしく戦場で散るよりも、二人の女性から八つ裂きにされ情けなく散るのではないか?…)
これでまた一つ、俺の命に拘わる悩みが増えた瞬間だった…。




