お市様
ようやく仲様の説得を承諾したおねちゃんも落ち着いてくれ、俺は次の段階の計略をみんなに打ち明けた。
ただ、おねちゃんはあまりその話を聞きたくないのか、小雪と共に奥の部屋へ引き篭もっていた。
「なるほどのぉ~…巽殿の考えは分かるが、果たしてそう易々とお市様が動いてくれるかのぉ~…いつもわしが食事を運んでいるが、ずっと部屋に居られるし…我らの事情など気にも留めてくれぬのではないか?…」
「そこは楓さんの出番です♪…あの、楓さん?」
「主、何か?…」
「楓さんは信長様と面識があるってことは、お市様とも面識が?」
「えぇ、幼い頃から父が清洲城に出向く度、よく遊んでもらっていましたが…」
「なら最初の壁は楽々突破ですね♪」
「は?…」
[それから三日後]
俺と楓さん、そして心の整理を済ましたおねちゃんの3人は清洲城へ赴き、楓さんの顔でお市様とのお目通りが許され、今は箱に入った小雪と共にお市様の部屋にて彼女の登場を待っていた。
「お市様のおな~~り~~…」
侍女の声と共に襖が開き、ほんのりと俺が以前プレゼントした化粧品の香りが流れてくると、誰が見ても溜め息が出てしまいそうなほど容姿端麗なお市様が俺達の前に現れた。
「久しいですね、楓…皆の者、頭を上げてください…」
「お市様も息災で何よりでございます…」
「巽、そなたから献上してもらった化粧道具、とてもいいですね♪気に入っていますよ…」
「も、もったいなきお言葉…ありがとうございます…」
見た目も清楚だが、話し方もまるで風に揺れる百合の花のように穏やかで、どこから観察しても彼女は完璧なお姫様だった!柴田勝家を筆頭に、隠れお市様ファンが居る噂は本当だろう。
「して、そちらの方は?…」
「は、うち…いえ、私は木下藤吉郎の妻、おねでございます…」
「まぁ、そなたが藤吉郎の!…あの方は食事時にいつも楽しい法螺話をされ、わらわを笑わせてくれるのですよ♪…」
(そんな事をしてたから、勝家の逆鱗に触れたんじゃないのか?…)
「そ、それしか取り得の無い主人ですので…」
「いいえ、いつも暇を持て余しているわらわには、一番楽しい時間ですよ♪」
「ありがたいお言葉、恐縮でございます…」
人に対しても優しい心遣いが出来るお市様は、正に信長様にとって自慢の妹なのだが、この先の彼女の運命を知る俺は、まるで冷たい手で心臓を掴まれたような気持ちだった…。
♪コト、コト……コト…
「あら?…箱が勝手に動いていますね……中に何か入っているのですか?」
おねちゃんの前に置いていた箱が揺れ始める、どうやら小雪が狭い箱の中で愚図り始めたのだ…。
「は、あの…お市様…」
「なんじゃ?…楓?…」
「は、実は今日、主と共にお市様にお目通りを願い出たのは、この箱の件でございます…」
「この揺れる箱ですか?…」
「はい、なので…出来れば我ら以外、お人払いをしていただければ…」
「……分かりました……皆の者、下がりなさい!」
[お、お市様!…お市様だけここにお一人にさせるのは…それはなりません!…]
年齢的には40代だろうか、真っ先にこの中年女性が声を荒げた!どうやらこの侍女の中で彼女がリーダー格のようだ、俺の時代だと若い女子社員に煙たがられるお堅い先輩上司ってとこだろう。
「何を言いますか、楓は幼馴染み、巽はわらわの友人、おねさんはいつも世話になっている藤吉郎の奥方、そなたが気を揉む必要はありません…さぁ、皆下がるのです…」
[は…はぁ……それでは……皆、下がりなさい…]
ここでもお市様は顔をきつくする事無く、やんわりと優しい笑みを浮かべながら侍女達を説き伏せ、彼女達をこの部屋から立ち去らせた。
「さ、楓、ここにはわらわとそなた達だけです、その箱の正体を見せてくれますか?」
「はい…では、おね殿…」
「う、うん…」
おねちゃんが両手を箱の中に入れ、そっと小雪を箱から出した。
両手に抱えられた小雪はまた見たことも無い場所に連れて来られた事に驚いたのか、小さな瞳をキョロキョロさせている。
「ま、まぁ❤その愛くるしい生き物は何ですか?…」
「お市様、この子は私の時代の犬でございます!」
「なんと、巽の時代にはこのような小さき犬が存在しているのですか!…こ、この子をわらわに?…」
「いえ、実は…この子が私と木下家の命運を背負っているのです…」
「どういう事ですか?…この仔犬がそなたらの命運を背負っているとは?…」
「は!実は……」
俺はこれまでの経緯と柴田勝家との確執、まもなく始まる戦の事や、何としても信長様に勝利をもぎ取ってもらいたい気持ちをお市様に打ち明けた。
「………そうですか…それで巽は頻繁に兄上とお会いしていたのですね…この尾張の為に……それを愉快に思わぬ者が居る事は、わらわも存じておりました…この様な一大事に、家臣が心一つにならなくては兄上の心労も計り知れませんね…」
「…はい…しかし、私はまだ織田家では新参者…周りの風当たりもきつく……」
「そこで勝家の後ろ盾が欲しいというわけですね?…」
「御意でございます…」
「…しかし、仔犬で勝家が動きますでしょうか…あの勝家ですよ…」
「恐れながらお市様…」
「どうしたのじゃ?楓?」
「ここに来るまで、私が詳細に勝家殿の身辺を調べた所、間違いなくあのお方は大の犬好きでございます!…この目でしかと見極めております!」
「は?…犬好き?…あの勝家が?…」
ま、これまでの柴田勝家を知っている者は、この事実に目を丸くするのは当然の反応だと言える、後はお市様が楓さんの言葉を信じるかどうかが今回最大の山場である!。
果たしてお市様がこの事実にどう反応するのか、俺は固唾を飲んで待っていた…。




