第五話目 想定外の事態
「悟志、ちょっと……」
ぐい、と悟志の腕を引いて、ソフィから聞こえない位置に離れてコソコソと話をする。
「どうした楓?」
「悪いニュースよ。もし、ソフィさんの言う通り、ケルベロスが貴方の命を狙っているとするなら、とても一人では守り切れない」
「そんなすごい相手なのか?」
「裏世界じゃ有名な相手よ。実際、ケルべロス相手に逃げ切れた相手なんていないわ。任務成功率は100パーセントよ」
「何でそんな相手が俺を殺しに?」
「分からないわ。よほど貴方の父親を憎んでいるか、邪魔なのか。理由はケルベロスにしか分からない。一応、応援を頼んでおくわ」
スッ、とポケットから小さなイヤホンを楓は取り出し、片耳にセットする。それを指で押さえると、小さな電子音と共に何処かへと繋がる。
『こちらHQ。どうしたの楓、何かあった?』
イヤホンから若い女性の声が響く。彼女たちは非常時にはこうして直通のイヤホン型の骨伝導の通信機を利用する。つまり、これを許可なく使用するという事は、それほど非常事態という事だ。向こうの声も冷静ながらも戸惑っている様子。
「ええ。今朝連絡のあった、暗殺者。どうも『ケルベロス』らしいの」
『ケルベロス……! 本当なのそれ?』
「ええ。だから、至急応援が欲しいわ。私一人じゃ彼を助けられない」
『分かったわ、応援を派遣するわ。但し……』
「ただし?」
『どこからの情報なの? それは確かなの?』
二の句が継げない楓。
それもそのはず、まさか同業者からの情報ですなんて言えば、呆れられるだけだからだ。
「し、信頼できる筋からの情報よ! 名前は伏せさせてもらうわ」
『…………オッケー、楓がそこまで言うなら良いわ』
「ありがとう」
『ただし、現地に人を派遣するのは明日になるわ。それまで大丈夫なの?』
「なるべく早くお願い」
通信はそこで途絶える。
まだ状況が改善されたわけではないが、保証を得た楓には気休めになった。
通信機を外し、ポケットにしまう楓。
「とりあえず、応援は大丈夫。今日を何とか凌げば」
「けど、相手は任務を完璧に達成させる相手なんだろ?」
「何よ、私が信頼できないの? 大丈夫、大船に乗った気持ちでいなさい」
どん、と自分の胸を叩いて鼓舞する楓。
だが、実際の所、楓は恐怖で押しつぶされそうになっていた。
相手は百戦錬磨のケルベロス。噂だけでもその実力は折り紙付きである。
それでも、こうして何とか冷静を保っていられるのは守る相手が悟志であるからだ。なんとしてでも彼だけは守る、という自分の中に芽生える二つの感情だけが楓を支える。
話を終えて、再びソフィの側へと向かう二人。
「オー、お話は終わりましたか?」
「ええ、ごめんなさいソフィさん。隠れて喋ってしまって」
「ノンノン、問題ないです。誰でも隠し事はあるものです」
「そう言ってもらえると助かります」
「しかし……カエデ。どうしました? 先程までと違って、震えてますね?」
図星だった。
気丈にふるまってはいるものの、実際は体が微かに震えていた。だが、普通の人間ならばそんな微かな違いを察する事は出来ない。
それは卓越した暗殺者たるソフィだからこそ感じ取れるものであった。
「おい、楓。お前……」
「大丈夫、大丈夫だから悟志」
「? どうしたのですかカエデは?」
心配するソフィ。だが、ここで本当の事をいう訳にはいかないと思った悟志は。
「実は、楓は訳あって僕を守ってくれる人間なんだ」
「おっと、そうでしたか。確かに、カエデはただ者ではないですからね」
「そして、写真の男の子って僕に似てるじゃないですか?」
「オー、そうですね! 本人かと私も思ってしまいました」
「だから、そのケルベロスが僕を狙いに来るのではないかって」
「なるほど……確かに、ここまでソックリなら実際ありそうですね。つまり、カエデはこのサトシが間違えられて殺されてしまうかもしれない事を悩んでいるでオッケー?」
「ま、まぁ、そうなるかな」
「ふむ……では、どうでしょう? 今日だけは私も一緒に付き添うというのは?」
え? と楓と悟志が声を漏らす。
それは晴天の霹靂のような申し出であった。まさかの出来事に、開いた口がふさがらない二人。
「どうしてそのような事を?」
「実は、私もカエデたちと一緒の高校に潜入……入学する予定なのです」
「私たちと同じ学校に?」
「YES! 私の目標がその高校に通っているという話で、目標を探す合間にカエデとサトシをカバーするつもりです!」
「ソフィさん、申し出は嬉しいですが、そのケルベロスはただ者ではないんですよ?」
「大丈夫デス。こう見えて、私は武術をマスターしたものです」
「どのような武術を用いるのですか?」
「我が青葉流特手近接闘術は基本『無手』です」
「無手……という事は、ソフィさん、素手ってことですか?」
「YES! 青葉流特手近接闘術の極意は影。無音、無邪気、無心。これにより、相手は何時死んだのか悟られる事無く葬る事ができます!」
力説するソフィではあるが、その内容を理解できるのはソフィだけであった。
それよりも、ソフィが素手の暗殺者と聞いて楓は落胆する。
敵としてなら安心するべきだが、味方となるなら逆になる。暗殺者ならば、最低でも飛び道具の一つはもっていなければ、現代社会において話にならない。
(あまり当てにしてはいけない暗殺者ね)
心の中で毒づく楓。少しでも安心していた自分に喝を入れ、気を取り直す。
そうこうしているうちに、ようやくバスが到着する。三人はバスの中へと乗り込むと、中はすでに席が埋まっており、立っている人間が数人おり、吊革につかまっている状態。三人が中へとはいると、ざわつく車内。その原因は言わずもがな、一人のレインコートのせいである。三人も奥へと向かい横並びに立つ。吊革に捕まる楓と悟志。だが、ソフィだけは吊革に捕まらなかった。
「ソフィは捕まらないのか?」
「手がふさがってしまいます。どんな時でも両手は自由にしておかないと落ち着きません」
「そういうものなの?」
「ハイ。食魚病という奴です!」
「それを言うなら職業病だね」
軽いツッコミを入れる悟志。
三人の会話を気にすることなく、バスは走り出す。車内は思った以上に揺れ、吊革をもっている二人ですら、右へ左へと体を揺さぶられる。だが、ソフィは意に介することなく不動の直立を保っていた。