第四話目 あなたは暗殺者? ハイ!そうです!
呆気にとられる楓と、それを後ろで聞いていた悟志も茫然としていた。
暗殺者の話は朝の伝達で知っていた楓ではあるが、まさかこうして公共の場で大っぴらに聞かれるとは夢にも思っていなかった。
「いえ、違いますが……」
ありのまま答える楓。それを聞いたレインコートの女性は、あれえ? と小首を傾げて恥ずかしそうに笑って誤魔化し、おかしいな? と呟く。
「失礼ですが、何故私を暗殺者と思ったのですか?」
一般の人間が聞けば「何を言ってるんだ、この人達は?」と思われる電波の会話。だが、本人同士は至って真面目である。楓自身も本来なら返事を返した時点で話を終えている筈であったが、レインコートの女性が気になったのだろう。暗殺者という単語、そして自分自身の格好はどこからどう見ても女子高校生にしか見えない制服姿なのだから。
「それは勿論、空気ですね!」
「空気?」
「はい。一般の人間の方からは感じられない、死線を潜り抜けた人にのみ纏う空気です。一般の方って、本当に隙だらけなんですが、貴女は何もないこの時間帯ですら一本、線を張っている。常にアンテナを張り巡らせてるっていうんですかね。後は、貴女の一挙手一投足ですね。私に対して距離を置き、瞬時に体を動かせるように細かい修正を図っている所も正にそれですね」
身振り手振りを踏まえて、ぺらぺらと知識をひけらかすかの如く、喋るレインコートの女性。その内容を耳にして、楓の緊張度が増す。
そして理解した。
”このレインコートの女性はただの危ない人間ではない、本当に危ない人間だということを”
「ずいぶんと、お詳しいですね。もしかして、暗殺者の方ですか?」
楓の嫌味ともとれる発言に、レインコートの女性のおしゃべりがピタリと止まる。バス停にながれる静寂した空気。この時、楓は思った。
(え? まさか、この人本当に暗殺者なの?)
ただ者ではない事は分かっていたが、しかし、誰が思うであろうか?
こんな晴れた朝から黒いレインコートを着て、堂々とバス停に並ぶ暗殺者を。いや、誰も想像するわけがない。
一気に緊張が増してしまうバス停。しかし、それは杞憂に終わる。
レインコートの女性は、にんまりと笑いその眼がキラリと光る。
「それは秘密です。隠密、内職……いえ、内密に事を運ぶようにと言われているので」
ふふふ、と不敵に笑うレインコートの女性。
この時、楓と悟志は直感した。いや、直感せざるを得なかった。
”――この人、絶対馬鹿だ!”と。
「もしかしてそのレインコートは……」
「やはり身を隠すには黒ですね! これは定番中の定番! しっかりと目立たぬよう、こうして体を覆っているのです」
本人は本気でそう思っており、笑いを必死でこらえる楓と悟志。
「ちなみにお名前を聞いてもよろしいですか?」
ダメ元で楓は名前を尋ねる。
「いえ、暗殺者は名乗るのはいけないらしいと父上が言っていたのでそれは無理です」
残念ですが、とレインコートの女性は首を振って拒否する。
だが、本人は気付いていない。自分がもっと致命的な発言を口にしている事に。
(あ、やっぱり暗殺者なんだ)
二人は分かっていたが、確信を得る。
突けばボロがでる彼女に、更なる追及をする楓。
「そうですか、残念です。ちなみにお父さんのお名前は?」
「青葉源次郎です。とても尊敬する父です」
「ふむふむ、青葉、と。そんなに尊敬されていられるんですか?」
「YES! 私に全ての技術を教えてくれた師であり、父です。ただし、父からは何時も怒られます」
「それはどうして?」
「父は何時も口癖で『ソフィよ、腕前は良いが、お前はおつむが弱すぎる』と言われるのです」
うんうん、と楓と悟志は相槌を何度も打つ。
「それは大変ですねソフィさん」
「YES! とても大変です。頑張っても、常に小言のように頭の悪さを指摘されて……あれ? どうして私の名前を知っているんですか?」
「ご自分でさっき言われてましたけど」
その指摘に対し、とてつもないショックを受けたらしく、頭を抱えその場に膝を抱えて座り込んでしまうソフィ。
「また、やってしまいました……私はなんていうミスを!」
「き、気を落とさないでくださいソフィさん! 大丈夫ですよ! これから気を付ければいいんですから!」
落ち込むソフィを楓が励ますと、先程の落ち込み具合はどこ吹く風か、直ぐに立ち直って楓の手を両手でがっしりと握る。
「あなた、とても良いひとですね! 是非、私の友達になってください!」
「ええっ?」
困惑してしまう楓。
それもそのはず。ソフィとはどう考えても敵対する立場にあるため、この申し出を断るか悩む。だが、屈託のない笑顔で楓を見るソフィを見て、つい押されてしまう。
「わ、わかりました……私の名前は卯ノ花楓です」
「青葉ソフィと言います! ソフィと呼んでいただいて結構です」
「わかりました、ソフィさん」
「ところで、カエデの後ろにいる男の人は?」
ソフィの関心は楓の背後にいる悟志へと移る。ここで全く関係のない赤の他人というには流石に無理があると楓は判断。
「彼は悟志。高校の同級生よ」
「は、初めましてソフィ」
ソフィは悟志の顔を見ると、ん? と小首を傾げる。
そして、自分のレインコートの下から一枚の写真を取り出す。その顔と写真を何度も見比べる。
「似てますね……」
ソフィがポツリと呟く。
「どうしました? ソフィさん」
「あ、いえ、実は私の目標の相手にとても良く似ているから驚いてます」
その言葉にドキリとする二人。
「良ければ写真を見せていただいても?」
「モチロンです。私とカエデの仲ですから」
ひったくるようにソフィの手から写真を受け取り、それを見る悟志と楓。そこにはまごうこと無き悟志の全体が映っていた。おそるおそる、ソフィを見る二人。
「ちなみに、この写真の子をどうされるつもりですかソフィさん?」
「仕留めます! それが、私に課せられた仕事なので」
「この写真の子の名前は何と?」
「いずみ、さとしと聞いてます」
完全に一致。
どうする? と小声で悟志は楓に訊く。
楓にはいくつかのパターンが想定されていた。一つはこの場から逃げる事。そしてもう一つはこの場でソフィを倒す事。だが、どちらも確実で安全な判断とは思えなかった。そこで、楓がとった行動はというと。
「この写真の子は悟志とは違いますね」
「違う? とてもソックリにソフィは見えますが?」
「いいえ、違います。何故なら……悟志の名前は出海悟志だから!」
苦しい。あまりにも苦しい言い訳である。
常人ならば少し考えれば直ぐに看破されるであろう嘘。だが。
「オー! そうでしたか! スッゴク似てるから、本人かと思いました!」
この馬鹿は信じてしまった。
信じられないぐらいの鈍感さに、二人は胸を撫でおろす。上手く誤魔化せたものの、暗殺者が狙っているという事実は変わりない。
「ソフィさんはおひとりで?」
「YES! 父から、一人でこなしてこそ一人前と言われてます」
「おひとり……ですか」
嘘を言っているようには楓には感じられなかった。いや、それ以前に彼女が嘘を上手くつけるような人物でない事はこれまで話をして大体わかっていた。しかし、楓は朝得た情報とは全く違う事に不安を覚えていた。
「他にこの写真の子を狙っていそうな人間って知ってます?」
「うーん、そうですね……まぁ、私の事でないなら父上も秘密にしなくてはいけないとは言ってないから大丈夫でしょう。なんか、ケルちゃん? ケロロ? そんな感じの……」
「ケルベロス! もしかして、ケルべロスじゃないですか?」
「オー! そういう名前でした! よくわかりましたね」
能天気に笑うソフィとは対照的に、楓はこの世の終わりを見たように青ざめる。それは楓が予想していた以上の大物であり、死刑宣告にも似た通知だった。