第4話 勇気
1
「はぁ」
掬ったご飯を口に入れる前に止めた橋本が、俺を見た。
「10日連続だぞこれで」
「え」
「無自覚溜息」
「……マジか」
あれから二週間経った。
突然のキス。突然の告白。そして、突然の音信不通。
音信不通と言っても、俺から連絡をして返信が来ないというわけでも、晴翔君から連絡が来ているわけでもないのだが。
だって、連絡できるわけがない。
――俺のファーストキスがぁぁぁ!!!
いや、一人や二人付き合った女性はいたけど、キスまで行かずに別れちゃったし、そのあと就職して忙しくてそんな暇はなかったし、まあファーストキスはロマンチックにとか特に拘りはないけれどもだよ。最初が、可愛いと思ってしまっていた16歳のの男の子で、小さな遊園地の観覧車の中とか。晴翔君は計算していたのだろうか。なんて計算高い子なんだ。騙す人こそ計算高いと最初思っていたが、こういう人も計算高いものなんだと実感した。
帰路の「気配」は他愛もない無視できるレベルしかなくなっていた。途中にあって、俺を見かけていたというテラスをちらりと見ても、晴翔君の姿を見ることはなかった。
最初は気持ち悪くてやめてほしかったけど、流されて「友達」になって、一生懸命な晴翔君の姿を見てきた。そんな姿に、どこか惹かれていったのだと思う。姿を見せなくなって、連絡もなくなって、いつしか彼を探すようになった。スマホを気にするようにもなった。
――好き、なのか?
笑顔が好きだと思った。彼と一緒にいてとても楽しいと思った。この時間が続けばいいのに、とも思った。でもそこに恋愛感情があるかというと、そういうわけでもなかった。断れたはずだ。はずなのに、断ったらこの関係が崩れるかもしれないと思うと、それが嫌だった。晴翔君が悲しむ姿も、見たくはなかった。
――あぁ、これって……、いや、まさかな。
「……優冶。止まってるぞ」
「……え」
「思考停止かぁ? どんなモン抱えてんだ……」
停止してない。むしろめっちゃ考えている。
「よし。久々に飲みに行くか」
「……は、でも橋本お前」
「いいんだよ。じっくり聞いてやっから。な」
「……あぁ、分かった」
橋本は俺の了承を聞くと満足して昼食のカレーを食べ始めた。
でも確か橋本って、めっちゃ……。
めっちゃ……。
まあ、良……。
くなかった。
「……おーい。おい橋本、起きろ」
「んにゃ……。にゃ……にゃー……ヒヒヒ」
橋本はめっちゃ酒が弱かった。
「だから言わんこっちゃない。酒弱いのになんで飲もうとするんだよもう」
「らってえ。優冶の悩み聞いてやるのがおえのひごろらろ~」
「おいそのまま寝るな!」
吐き出したは良いが、多分こいつは覚えてないだろうな。まあ覚えておかなくていいんだが。
此奴を家に送ってくと終電に間に合わなさそうだな……。
会社付近の飲み屋で飲んでいたが、俺と橋本の最寄は、途中まで同じだが、別方向に分かれていく。俺は急行で七駅程度なのだが、橋本は急行ですら十駅以上もあるのだ。
……仕方ない、家に泊めるか。
「おい、立て、歩け」
「んー、ねーこはこあつれぇ……」
「雪降ってないぞ、まだ秋だって」
「あきのみや……みゃーじま……」
なんで相談する立場の俺が介抱してやってんだ。
「大将、お金、此処置いときます」
「おう。大変だな、あんちゃんも」
「まったくですよー、ははは……」
「ははは、目が笑ってないぞ」
「ごちそうさまでしたー!!」
ピシャッ。
目は笑ってない。そりゃそうだ。気も重いし橋本も重い。
「……重。おい、ちゃんと歩け。引き摺るぞ」
正直、店や駅に放置しようと思ったが、良心がそれを拒んだ。
「ふぅ」
なんとか最寄に着いた。
最寄からは歩いて15分程度だ。運動のためではあるが、こういうときだけは面倒だと思う。
……まあ綺麗に寝息を立てていること。重さが偏らないように負ぶっているが、それでもそろそろ肩が限界だ。明日が休みでよかった、肩解しにでも――ん。
え?
「……晴翔君?」
目の前に、晴翔君が立っていた。
「……あ、え、えっと」
まだ返事が決まっていないのに、
目の動きが、多分橋本にいっている。
「……え……泣いて、る……?」
晴翔君の瞳から、涙が零れ落ちた。
「って、あ、ちょっと! 待って!」
晴翔君が、俺の横を通って走っていく。
「あ、っもう、お前ちょっと降ろす」
なんで逃げたんだろう。橋本見てたよな……え、まさか。
「ちょっ、待ってって」
猛ダッシュして、晴翔君の腕を掴んだ。
「晴翔君ホント足早い……」
驚いて振り返った晴翔君の顔は、とても赤かった。
「……ねえ、ちょっと話そう」
晴翔君は、こくりと頷いた。
2
「親御さんには連絡した?」
「はい」
夜も遅いということ、終電が無いということで、俺の家に泊めることにした。一度に二人も家に入れるのは初めてだ。橋本はリビングのソファで熟睡している。晴翔君はダイニングテーブルに座ってもらった。
「水だけど、良い?」
「はい、ありがとうございます」
俺は、晴翔君の向かいに座った。
「そういや家には初めてだっけ」
「そうですね。一人暮らしで一軒家なんですか?」
「あぁ、父親が早くに死んで、母が働いてて今海外にいるんだ」
「そう、なんですね」
会話が続かない。
気まずい。
取り敢えず聞きたいのはさっきのことだが、とても聞きづらい。でも聞くしかないか。
「あの……さ」
晴翔君は下を向いたまま。
「さっきなんで逃げたの?」
「……」
「もしかして勘違いしてるのかもしれないんだけど、こいつはただの同僚で……」
「ただの同僚」
「そう」
「彼氏とかじゃない?」
「違うよ」
「セフレでもない……?」
「せっ!?」
「僕と付き合うために、男同士の練習とか……」
「は、晴翔君、もうやめて、聞いていられない」
「あっ、ご、ごめんなさい」
「本当にただのってか、まあ大学時代からの友人なんだけど。俺が、……その、告白されたのを悩んでて、悩み事を聞くだけ聞いてくれる奴なんだよ。今日は酒弱いのに飲みに行くって言って結局一杯で潰れてさ」
「え、一杯だけで?」
「そう、一杯だけで」
「ふはっ、弱いですね」
「あ、笑った」
「あ……、えっと」
「顔、赤くなった」
「実況しないでください」
「ははっ、ごめんごめん」
気まずかった雰囲気が、少し解れた気がした。
「……あのさ」
「はい」
「俺と恋人になりたいって、その、そういうこともしたいって意味な……んだよな」
「……はい」
「……そう」
先に聞くんじゃなかった。でもセフレとか練習とか聞いたら、考えちゃうだろ。
「この二週間、どうしてたの?」
「試験があって」
「試験!?」
「中間試験が」
「……あぁ、そうか、晴翔君ずっと勉強してるから大丈夫なのか」
「?」
「俺と遊園地行ったの、試験に影響するんじゃないかって」
「心配してくれるんですね、優しい」
「……友達として普通だよ」
「恋人としても、普通です」
「またそういうことを」
「試験も理由ですけど、ちゃんと考えてほしくて。試験が終わった区切りも兼ねて、返事を聞こうと」
「……待ってたの?」
「はい。テラスではずっと次の範囲の予習してて、閉まっても通らなかったので、それからは外で」
「ずっと?」
「はい」
「その、俺も連絡しなかったけどさ。連絡するという手はなかったの?」
「驚かせたかったのと、直接聞いた方がいいかなって」
「えーっと、ごめんな、俺じゃ、まだ応えられないよ」
「まだってことは、いつかは応えてくれるんですか?」
「……」
「それって望み有りってことですよね。なんで今じゃダメなんですか?」
食い気味に来た。顔も近付けてきた。
「……顔近いよ」
「近付けてます」
「手、震えてる」
「緊張してます」
「そこまでして」
「付き合いたい」
「……年齢差が」
「どこぞの芸人でも大統領でも年の差婚があります。8歳なんて取るに足らない」
「……晴翔君、未成年だし」
「人を好きになるのに年齢なんて関係ありません」
「……男同士だし」
「好きになったら性別なんて関係ありません」
「……」
「言い訳しか出てきてないですよ。断る理由が、無いんじゃないですか」
「……か、顔持たないで」
「16歳に煽られてるんですよ。どんな気持ちですか」
「……こういう時積極的なの、どうにかならないの」
「脈があると思うから。だって優冶さんも、僕のこと、好きだ」
「なんで」
「拒絶しないじゃないですか。注意もしないし。素直になってくださいよ」
「も、もう顔離そうよ、ね。そ、そうだお風呂、お風呂入ったら。ずっと外にいたんだし、ね。お湯張るからちょっと待ってて」
「それって誘ってるんですか?」
「な、なわけあるか!」
俺は風呂場に逃げた。
……心臓に悪い。
晴翔君の言う通りだ。
でも、一歩を踏み出すのが怖いんだ。
何かに勇気を出すことがこんなに怖いことだとは思わなかった。
あぁ、そうか。
晴翔君は、俺のために、もう何回も勇気を出してくれたんだ。
それなのに俺は……。
情けないな。
もう答えは出ているんだ。
なら、それを伝えなくちゃいけない。
俺は、晴翔君のことが、好きなんだ。
ダイニングに戻って、そして――。
「晴翔く……」
晴翔君は、腕を枕に眠っていた。
疲れてたのかな。
俺は、晴翔君の頭を優しく撫でた。