第2話 純真
1
午前の仕事が終わった。昼食の時間だ。
あー疲れた。
食堂で優冶は、決まった席にいつも座っている。ほら、今日もいた。
「よっ」
「お。よう」
優冶は食事に集中を戻した。
「なんだ。まだ悩み事か」
「え」
図星って顔だ。
「……いや。大丈夫だよ」
「その間はなんだ?」
「うっゴホッゴホッ」
「あー、咳き込むなよ。俺の所為みたいじゃないか」
「お前の所為だ」
「半分はお前の悩み事の所為な」
「うぅ……」
何も言えないって顔してる。分かり易くて本当に面白い。
「こうやって遊ばれないためには悩み事を無くさないとな」
面白くてやっているが、こうやって悩み事を人に話して整理させることで、少しでも軽くさせるのが本当の目的だ。というのは冗談。面白さが勝っている。
「……前……、金曜に話したストーカー居たろ」
「あぁ、いたな」
「そいつと、話すことができたんだよ」
「ほう。良かったじゃん」
「でな。友達になった」
は?
「は?」
「どう思う?」
「は?」
「やっぱ断るべきだったよなぁ……」
「は?」
「橋本」
優冶が、目線をこちらに向けた。
「は?」
「お前、さっきからそれしか言ってねえぞ」
「は? ……は? 何、お前バカなの?」
「だよなぁ」
「自覚あるのかよ」
「だって、ずっと尾行けられてたんだぞ。ちょっと怖かったし、そりゃあ、な」
わかってのことなのか。
「じゃあなんでなったんだよ」
「……雰囲気に流されて……?」
「はぁ。もう後には引けないぞ」
「え?」
「この後、お金騙し取られたり、物盗られたり、もしくはお前の身体が狙われてたりするかもな」
「……は」
「ま、気を付けることだな。兆候が現れたら、即刻切るんだぞ」
優冶は黙り込んだ。その表情は、怯えと後悔と、あと、なんだろう。少しの優しさを感じた。
俺の知っている優冶は、ここまで流されやすい奴ではなかったはずだ。きっと、その相手に何かを読み取ったんだろう。ストーカーという完全悪ではない、何かを。
――何も起きないと良いけど。
俺は、昼食に手を付け始めた。
2
橋本に食堂で言われた言葉が引っかかったまま、仕事が終わった。
詐欺。強奪。人身売買。
あの彼が、か?
あの言葉遣いで、あの身なりで、あの雰囲気で、それはないだろ。
いや、騙す人間というのは、演技が上手いのでは?
あれは偽りの姿、なのか。
ただ、今のところそうは思えないんだよな……。
「――さん」
ん。
「優冶さん!」
ん!?
「えっ、き、君……」
振り返ると、例の高校生がいた。
「……なんでいるの? もしかして、待ち伏せ……?」
「だって、あのあと返信全然ないし、心配になって……。それにストーカーはやめるって言ったから……」
「あの、待ち伏せも立派なストーカー行為だと思うよ……」
「えっ」
少しの間。
「ご、ごごごごめんなさ」
「ちょ、逃げるな!」
また逃げられそうになったから、取り敢えず腕を掴んだ。
「大丈夫だから、な」
内心、大丈夫では全然ない。
「うぅ……、はい」
「俺も悪かったって思ってるんだ。その、君が俺の金目当てなんじゃないか、とか、身体目当てなん……」
俺何本人に向かって言っているんだ!?
もし本当に目当てだったらどうするんだ、あぁ、もう。
「お金目当てじゃないです! 本当に! 安心してください」
なんで君お金だけ否定した? 身体の方はなんで否定しないんだ。
「身体は……?」
君、なんでそんなに顔を赤らめるんだ。
そしてなんで顔を背けたまま、何も言わないんだ。
「……え、マジで」
「あっ、ちっ、違います! 売ろうとか全然! 考えて、ないです」
勢いがトーンダウンしていった。
「そっか、それなら良かっ」
「むむむしろ買いたいです!」
「……え」
俺が聞きたい言葉を、彼はいつも取り消し、よりヤバい方に塗り替えていく。
「あっ、ああああいやそういう意味じゃな、ってどどどういう意味だよ、あの、違くて、って違わないんですけど、買い取って保障したいって意味で――」
「ふ、ふはっ」
「……え?」
「ははははっ」
きっと彼は「あぁまた言葉間違えた、いやだったかな、また疑われたかな、怒らせたかな」とか思って、そんなつもりはないんだと取り繕おうとしていたのだろう。なんで会って日も浅い俺なんかに、そんなに一生懸命になっているんだろう。公園で話した時も、今日も、その一生懸命さがなんだか可愛く思えて、笑ってしまった。
「あー、ごめんごめん。なんだか可愛くって」
「……優冶さんが笑ったところ、初めて見た」
「そりゃ、まだ会って二、三回だしな」
「……って今、僕のこと可愛い、って……」
顔を赤らめるな。そんな瞳で見るな。てか何口走ってんだよ俺! 俺まで顔が赤くなって……。
「もう一回! 録音したいです!」
「……嫌だ、絶対に言わない」
ふくれっ面も可愛いんだけど。絶対に言わない。
「良いです、いつかたくさん言わせますから」
「……?」
「そうだ、優冶さん」
「なんだ?」
「僕の名前、呼んでください」
「え?」
「まだ、君、としか言われてないです。ちゃんと名前で呼んでほしいです」
「……萩原君」
「下の名前が、良い」
「あー我が儘だな! ……は、晴翔君」
名前で呼ぶのが少し恥ずかしい。
「……はい!」
満面の笑みとは、こういう顔のことを言うんだろか。
晴翔君が笑顔で俺の顔を見上げた。
「あ、優冶さん、顔赤い」
「言わなくていい……」
「えへへ。じゃあ、優冶さん、またね!」
バイバーイ、と彼――晴翔君は去っていった。まるで嵐というよりもゲリラ豪雨のように。
陰に隠れて見た時は、真面目で友達が居なさそうな暗い子だと思ったが、なんてことはない。とても明るくて人懐っこい子だった。
もしこれが、人を騙すための演技だとしても、もう少しくらい、楽しんでもいいかな。
違ったら、彼の本心から俺に懐いてくれているのだとしたら。
だとしたら、結構、嬉しかったり。
* * *
駅のホーム。
――名前、ちゃんと覚えててくれたんだなぁ。
少年は、口元が綻んだまま、電車に乗った。
* * *
はー、疲れて帰った後の一番風呂はやっぱり気持ちいなぁ。
って俺しか住んでないけどな! はっはっは!
――あー、寂しい。どっかに俺の伴侶になってくれる女性いないかなぁ……。
テテテテテテ。
ん?
優冶からだ。
「もしもし、どした」
『俺、彼と友達継続することにしたわ』
「は?」
『んじゃ、そういうことで』
ツー、ツー、ツー。
は?
……は?
でも、少し声が、晴れやかに感じた。
――まあ、あいつの決断だしな。
何かあったら、その時は力を貸すだけだ。
ビール、飲むか。