第1話 気配
1
昔から、よく「気配」を感じやすかった。
老若男女の人間に加え、動物、果ては昆虫まで、振り返るとそこにいたものだ。
大学生のとき、所謂視える友人とたまたま歩いていた時に、「気配」を感じて振り返ると、
「君も霊視えるのか」
と質問された。どうやら生き終わったモノまで「気配」を感じるらしい。
能力と言うか、少し感度が高いと言うのか。それでも、ほんの少し疲れる程度で、然程困ったことはない。むしろ役立っている。そう、今も。
会社帰りの今、俺は「気配」を感じている。
途切れることのない、同じ「気配」。帰路が途中まで同じ道すがらの人か。もしくは浮遊霊、背後霊か。
丁度いいところにミラーがあったので、スマホ見た後の首解しの体で、背後に感じる「気配」を確認した。
電信柱に隠れているつもりの影。
俺の様子を窺っているように見える。
――……マジか。
どうやら俺は、
ストーカーに遭ってしまったようだ。
* * *
「はぁ」
「どうした?」
「は?」
「何かあったのか?」
「え、何だいきなり」
「漏れてんぞ、溜息」
「……マジで」
「無意識かよ。で、どうしたんだ、無意識に溜息が出るほどの悩み事でもあるのか」
「……や、いや」
そりゃ、無意識にでも溜息は出るよ。ストーカー被害に遭っているってだけでも悩ませ物なのに、その「気配」というのが、男子学生なのだから。
気付いてからもう二週間は経ったが、会社帰りは毎日「気配」を感じていた。
帰路に入り組んだ道があるため、そこで上手く躱していたが、一度どんな奴かと思って陰で見ることにした。
そして昨日、実行に移してみた。家の窪みや細い道を使って、いつも通り躱し、影から見失って慌てている姿を見た。
俺は、啞然としてしまった。
学ラン。肩にかけたスクールバッグ。眼鏡をかけていて、偶に反射して光る。ストレートで遊ばせていない髪の毛。真面目そうな、ストーカーとか絶対にしなさそうな男子学生だった。
――……、…………。……。えぇ……。
学生は、しょんぼりとして立ち去って行った。
俺は、呆然として少しの間立ち尽くしてしまったのだった。
「……大丈夫、何でもない」
「その間はなんだ。絶対その、あった何かを考えてたろ」
「うっ」
「図星って声出てんぞ」
「……橋本のその鋭さに溜息が出そうだよ」
「お前が分かりやすすぎるだけだ」
ふっ、と笑いながら言って橋本は、昼食の最後の一口を頬張った。
「まあ業務に支障が出ない程度には悩み軽くしとけよ。何かあったら聞くから」
「……おう。ありがとな」
じゃ、お先に、と橋本は去っていった。
――って言われると余計悩ましくなるんだよなぁ……。
頭を抱えつつも、ご飯を掻き込んで、食堂を後にした。
悩みを軽くする。どうすればいいんだろう。
「気配」を感じさせなくさせるのは不可能だ。今まで何度試してみたが、それは抑えることはできても取り除くことはできなかった。訓練して無視できたはずなのに、今回はできなかった。
なら、今の「気配」にやめていただくほかない。
――突撃するかぁ……。
思い立ったら即行動。今日も感じた時は、実行しよう。
* * *
いつもと同じ時間の電車に乗り、いつもと同じ帰り道を同じ時間に通って帰る。通り道の景色が若干変わっていくのは、ここ一帯が再開発地域になっているからだろう。最近、アパートやマンション、一戸建てなど、新しい家が増えている気がする。
ある程度行ったところで、また、感じた。
――始まったな。
ここからは、俺と「気配」との戦いだ。
次の曲がり角から、路地裏に入る。ここで、俺はうまく電柱の陰に隠れ、見失って辺りをきょろきょろと見回す「気配」の前にいきなり現れて、問い質しを――。
「うわっ」
顔面蒼白になった「気配」は、その声とともに口をパクパクとさせている。
「……君、尾行けてるよね?」
「……」
変わらず口をパクパクさせている。
「聞いてる? 俺のこと尾行けてるよね?」
「えっあっえ、えっと、あ、あの、ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃっ!!!!!」
猛スピードで逃げ去っていった。
「お、おい!」
捕まえようとして伸ばした右腕を、静かに下した。
「……はぁ」
問い質すことはできなかったが、追いかけるほどでもない。「気配」の「ごめんなさい」は、尾行けてしまってごめんなさいもうやめます、の意味だろう。顔がバレてしまった以上、もう尾行けられることはない。俺はそう言い聞かせ安心して、家路に戻った。
2
「あ゛ぁ゛ー」
「……。お前、前よりひどくなってないか」
「……え」
「それも無意識とかやめてくれ」
「今何か漏れてたか」
「あぁ、怪獣みたいな唸り声な」
「マジかよ」
「で、どうしたのさ」
「聞いてくれるか?」
「言ったろ、聞くって。嘘は吐かねえよ」
「泣けるわー、優しすぎて泣けるわー」
「棒読みだぞもっと心を込めて言え」
何故、自覚はないが怪獣の唸り声が漏れてしまったのか、俺には心当たりがある。
まだ、ストーカーが続いているからだ。
問い質そうとした次の日は無かったものの、その次の日から、また「気配」が後を付けてきているのを感じた。
一度、「気配」が動く瞬間に振り返ったことがあったが、ギョッとして逃げていった。その時も逃げ足だけは早かった。
橋本に、今の状況を伝えた。橋本は、話を聞いているうちに、目が点になっていった。現実で目が点になる様子を見たのが初めてで面白かったが、そんなものよりも今の悩みの方が勝ってか、笑うことができなかった。
「俺はどうしたらいいんだ……」
「知らん」
「は」
多分今は、俺の目が点になった。
「聞くとは言ったが解決策を出すとは言ってねえ」
「うっ」
確かにそうだ。何も返せない。
「で、優冶はどうしたいわけ。その学生を警察に突き出す?」
「……そこまで被害受けてないから取り合ってくれない気がする。それに、学生なのにそんなことしたくないし……」
「被害受けてるのはお前なのに優しいじゃん。付け込まれるぞ~そこに」
「うっ」
自分でも甘いとは思っているが、大事になるのはとても面倒だ。あぁ、そうか、自分にも甘いのか。
「要は話し合って解決したいんだろ? 一回声掛けたのはそういう理由だろうし」
「……あぁ」
「なら俺が捕まえてやろう」
「逃げ足早いんだよ」
「……無理だな」
橋本は頭を抱えた。俺も頭を抱えた。
「諦めるの早いが多分無理だろうな、お前が足遅いの俺知ってるし」
他愛もない学生時代の会話だが、面白かったので覚えている。橋本はそのスマートさからは想像ができないくらいには足が異様に遅く、100メートル走16秒という平均以下の記録を叩き出し、高校時代はそれで弄られまくったというのだ。
「まぁ、ありがとな。話したら少し楽になったわ」
「……俺が大ダメージ受けたんだけど」
「知らん」
笑って返し、橋本もそれに笑って応えた。
「やべ、全然食ってない」
「あ、俺も」
残り10分で定食を掻き込んで、昼食を終わらせてそれぞれの部署に戻った。
――なんとか逃げられない方法かぁ。
どうにか、考えないとな。
……。
思いつかなかった。
思いつかないまま、帰り道だ。そして、また、俺の背後に、いる。よくもまあ飽きないものだ。本当何が目的なんだろう。おやじ狩り? 俺もう親父に見えるか? もしそうなら度胸の無いおやじ狩りだ。金取るならさっと奪えばいいし、追っかけ……無い無い有り得ない。だめだ、全然思い付かない。
路地裏に来て、また物陰に隠れる。毎度毎度、ここで見失うんだからいい加減気付いてもいいと思うがのだが……いや、これじゃあ気付いてほしいみたいじゃないか。
また、男子学生はきょろきょろして慌てている。しかも道のど真ん中で。危ないぞ。車が来――。
ブォォォォォォォ。
あー、来ちゃうよ。エンジン掛ける音だ。そろそろ発進かな。
え、なんでまだど真ん中にいるの。轢かれちゃうよ。狭いけど意外とスピード出す奴多いんだよこの辺。早く……。
あぁ、もう!
「うぇっ」
ブゥゥゥゥゥゥン。
去っていったか。
「危ないじゃないか、気を付けな……」
眼前に、顔を真っ赤にして、気を失いかけの、男子学生。
――ん? え? ……えぇ!?
なんで、俺、男子学生のこと抱き締めているんだ――!?
3
「あっ、ごめ……」
離そうとしたが、今彼を離したら、また逃げられる気がする。その前に……。
「やっぱ掴んだままな」
肩のことだ。もう腕は解いた。
「えっあっあの、は、はは離してください……!」
彼は俺の顔から背けて言った。
――ドキッ。
振り絞るように出たその声に、少しドキッと……ドキッってなんだドキッって。
「君、逃げるだろ」
「に、逃げ……っ」
「警察に連れていったりとかしないから、君と話したいだけだから。約束するから、ね。逃げないでくれる? ……それにこの状況、見られたら俺が捕まりそう……」
今俺言葉間違えたか? ……まあいいか。
「……はい」
「座って話そうか」
「はい」
彼の顔が、心なしか嬉しそうに見えた。
駅近くの公園に来た。辛かった無言を終わらせ、話し……、問い質しだした。
「……君、名前……あ、いや。いいや」
ストーカーをやめてもらうのに名前を聞いてどうするんだ。
「あ、えっと、萩原、晴翔です」
聞いちゃったよ。
「言わなくて良かったのに。てか知りたくなかっ」
「知って! 欲しかった、から……」
「え?」
俯いたままだったが、びっくりしてしまうくらいには、ちょっと大きめで、食い気味の反応だった。
「あの、お兄さんの、名前は……」
「えーと……」
相手にだけ言わせて、自分は答えないのは、か。いや待て彼自身から言ったぞ、俺求めてないぞ。答えなくていいよな、だって彼はストーカーだぞ、名前言ったら今後何されるか……。
「知りたい、です」
そんな目で見るな。上目遣いを使うな。俺は男だぞ。あとなんで若干可愛いんだよこの野郎。
「あぁ、もう。宮内な」
「下の名前は!」
さらに顔を近づけてきた。なんでそんな食い気味なんだ。
「……宮内、優冶」
「優冶さん」
「……。その、噛み締めるように言うのやめて?」
「え、いやです」
こいつ、若干強気だな……。それになんだかやっぱり嬉しそうだ。
彼の勢いに飲み込まれそうなので本題に入ることにした。
「あのさ、君、俺のこと、ストーカーしてたよね」
「……」
「そこは無言なの? まあいいや。俺ね、人より「気配」を感じやすい方で、最初からずっと気付いてたのよ」
「えっ」
「ずーっと。で、きも……、気持ち悪かったから、やめてほしいんだよ。ストーカーを」
少しキツい言い方だっただろうか。しかし、これくらい言わなければ、やめてもらえないだろう。
「さっきも言ったけど、警察には言わない。まぁ信じてくれそうにもないし、実害はほぼないし。だから、やめてくれない?」
「……あの、えっと。ストーカー、え、僕、ストーカーしてたのか……」
待ってそこ無自覚なのかよ。
彼は立って、俺に向かって頭を下げた。
「ストーカー、してたこと、謝ります。ごめんなさい。あと、警察にも言わない、って、ありがとうございます。もう、やめます」
やめる。俺が一番求めていたこと、言葉。やはり、話し合えて良かった。一件落ちゃ……。
「その、だから、えっと、ぼ、僕と、つ……つ……つき……、つ……月が綺麗ですね!」
……ん?
は?
聞いたことあるぞ、それ。愛の告白ってやつだろ。
「あっいやそ、そうじゃなくて、えっと、あの違くて、いや違わないんですけど」
俺は今、遠い目になっている気がする。これ以上言うな、死んだ目になるぞ。
「その、えっと、お、お、お友達になってください!!!」
手を差し出された。
「……アッハイ」
飲み込まれた。俺は、それに右手で応えてしまった。
どうかしてるぞ、俺。
夜道に感じる「気配」を捕まえたら、
かなり年下の、
友達が、できました。