父親の思惑
「ただいま」
玄関を開けた先の真っ暗な室内に自らの声が虚しく響き渡る。誰もいないのだから当然返事は無く、いつも通りの無音の空間が私を迎えるのみだ。リビングに向かい冷蔵庫を開ければ如何にも生活感のない中身に我ながら失笑が漏れる。ミネラルウォーターを取り出しそれを一口飲み下すと、胸の奥につかえていたため息が漏れ出した。
「ふぅ、四ニにもなって独り身とは、寂しい限りだ」
声に出して呟いてみれば虚しさは更に増すばかり。ネクタイを緩め一息つこうとしたその時、ヴーッ、ヴーッ、と静寂の中にはっきりとした警告のような着信音が響いた。胸ポケットから携帯を取り出し、そこに表示された名前を見て反射的に背筋が伸びる。
「もしもし、左京です」
『ああ、私だ。夜分遅くにすまんな。今大丈夫か?』
「はい。大丈夫です」
電話の主は山中商事の社長、息吹様のお父様からであった。電話が掛かってくることなど滅多にない為、何事かと身構える。
『そうか。いや何、息吹のことだが』
「息吹様が、何か?」
息吹様絡みとなると更に珍しい。息吹様を東京からこちらに住まわせて以来、気に掛けた電話など数回あった程度だ。
『様子はどうだ? 変わりないか』
どう答えるべきか迷った。成瀬さんのおかげで最近の息吹様は僅かではあるが感情に変化がある。長年息吹様を見てきた私にしてみれば、それは大きな進歩であり一大ニュースに他ならない。しかし、ここは当たり障りない回答が無難だろう。
「ええ。お変わりなく勉学に勤しんでおられますよ。ゆくゆくは必ず会社の柱石として活躍されるでしょう」
『そうか。ならいい』
特に興味の無さそうな社長の様子に、この電話の用件が息吹様の近況を気にしての電話ではないと察する。やや言い淀みつつも社長は本題と思しき話題を切り出した。
『実はな、息吹をドイツへ行かせようと思ってな』
「ドイツ……でありますか?」
意図が見えない。今現在ドイツと交易の予定は特にないはず。どちらにせよ、まだ学生である息吹様を会社の立場として引っ張る必要はない。私は続く社長の言葉を待った。
『ドイツは研究も進んでいて実績もある。問題ないだろう』
「……はい」
一体なんの話だ? 先に念を押す口振りに嫌な予感がするが。
「息吹に人格形成手術を受けさせることにした」
想像を絶する一言に私は絶句した。




