熱いひと時
「それじゃあ、ミュウ預かるね?」
「ああ、頼む」
ゲージに入れられてもミュウは大人しくしてくれた。山中くんと私を信頼しているから酷いことはされないとわかっているのだろう。くるりと反転して香箱座りをする姿がなんとも可愛らしい。
「ねえ、山中くん」
「何だ?」
「用事……何か聞いてもいい?」
野暮用があるーー。そう聞いてから不安が心に引っ掛かっていた。答えてはくれないかもと思いつつ、私は思い切って訊いてみた。
「ドイツに行くんだ」
山中くんは淡々と答えた。
「ドイツ?」
「ああ、珍しく父親から直接連絡が入ってな。おそらく会社関連のことだろう」
「山中くんのお父さんの」
山中くんの過去を左京さんから聞いた時、私は山中くんのお父さんにとても責任感が強い人という印象を抱いた。奥さんが危篤の状態にあっても社員や従業員の為、仕事を投げ出さず最期の瞬間に立ち会う事を拒んだ……。どれほどの重責がその双肩にのしかかっているか図りかねる私にこんな事を言う資格はないのかもしれないけれど、愛する人の死すら割り切れる冷たい人。そのように感じたことも事実。
とはいえ山中くんは時期社長になる立場だろうから、会社のことと言われれば納得もできた。まだ高校生とはいえ、取引先に顔を覚えてもらう必要があるとか? よくわからないけど。
「そっか、いつ帰ってくるの?」
「そう長くは滞在しないはずだ。一週間もあれば帰るだろう」
「なんだ……よかったぁ」
「何がだ?」
私の中に生じた漠然とした不安は、山中くんが遠くに行ってしまうような、そんな恐ろしさだった。どうやら杞憂に過ぎなかったみたいで私は安堵した。
「ううん、何でもないよ」
「そうか。明日、一度東京の本社に立ち寄りドイツへ飛ぶ」
「そっかぁ。……ねえ、山中くん」
そっとミュウの入っているゲージをフローリングに置き、山中くんに歩み寄る。
「その間、寂しいからさ。少しでいいから今、抱きしめて」
自分でもびっくりするくらい積極的な言葉が飛び出した。里奈には何かあったら教えてと言われたが、ギュッとするくらいなら報告しなくてもいいよね?
山中くんの靭やかで大きい手が背中に回ったかと思うと、急に身体が宙に浮く感覚に襲われ私は思わず小さく悲鳴をあげた。顔を上げればすぐそこには山中くんの整いすぎた甘いマスク。これはもしかして……いや、もしかしなくてもお姫様だっこだ。
「や、山中くん?」
そのまま無言で私を抱えたまま寝室に向かう山中くん。沢山の本が綺麗に整頓されていて、清潔感漂うとてもいい臭いがする部屋。そして、以前この部屋で目覚めた時には全裸でベッドに横たわっていたことを思いだし、意識した途端に顔中熱を帯びる。
山中くんはそっと私をベッドに下ろした。横になった体勢のままで。
「山中くん、ちょっと……」
見上げた視線の先には私を見下ろす山中くんの静かな表情。いつだってクールな山中くんはこんな状況でも表情に変化はない。
「ちょ、山中くん、あぅッ?」
上半身を起こそうと身をよじらせた私の首筋に山中くんの顔が着地した。同時にヒヤッと冷たいような、それでいて温かい柔らかな感触が首筋を撫でる。思わず変な声が出た。ぞわりと身体が粟立ち、ギュッと力が入る。
山中くんが頭を上げ、私の顔正面十センチのところで止まる。漏れ出た吐息が山中くんの前髪を揺らす。そしてそのまま無言の山中くんの顔がゆっくりと迫る。息づかいさえ敏感に感じられるそんな距離に山中くんがいて、私は目蓋を閉じた。
首筋に感じた柔らかで温かい感触が唇を覆った。ただ静かにそっと重ねられたそれに、自分の心臓が間違いなくここにあるとわかるほど激しく鼓動する。その息苦しさに少しだけ呼気が漏れてしまう。
思わず山中くんのシャツを握りしめる。目を開けたら、そこには目を閉じた山中くんがいて、いつもいつだってクールな山中くんなのに突然こんなこと。
ふと、唇が離れた。
「成瀬……」
「山中……くん」
潤んだ視界に映る山中くんはいつもと変わらない無表情で……だけど私のことをひと時も余すことなく見つめている。身体を起こした山中くんがワイシャツのボタンをプツと外した。鎖骨と首筋に浮き出る血管がとても色っぽい。だけど……。
「ちょっと……待って、山中くん」
上半身を起こして静止の声をかける。心臓がバクバクしてて荒くなった呼吸はまだ戻っていない。
「ごめん……まだ、覚悟できてないみたい……」
山中くんは何も言わなかった。甘く囁くわけでも、何か愛情表現をするわけでもない。だけど、山中くんが強く私を求めてくれていることだけは伝わってきた。
「突然、すまなかった」
「え?」
ボタンを止め直した山中くんが無表情のまま呟く。
「勝手なことをした。……嫌だったか?」
意外だったーー。山中くんがそんな風に聞いてくるなんて思ってなかった。この間も見た憂いているような雰囲気が無表情の奥に今も見え隠れしている。
「嫌なんかじゃないよ。……だけど」
急に困らされた仕返しにちょっとイジワルを言いたくなった。
「私のファーストキス……山中くんに奪われちゃったな」
「…………すまない」
山中くんが何を考えているのかはわからないけど、謝るまでの僅かな間は何て言うべきか考えていたのかな?
そう思うと何だか可愛らしくて、ついつい頬が緩んでしまう。意地悪言ってごめんね。と謝りたくなるけど、謝るよりももっとちゃんと私の気持ちを伝える方がいい。
「ううん、ファーストキスの相手が……山中くんで良かった」
無言の山中くん。自分の発言に凄くドキドキする。私の気持ちを聞いて、山中くんは何て返してくるだろう?
「突然でびっくりしちゃったけど、嬉しかったよ」
「……そうか」
いつもの口癖で締める山中くんに、らしいな。と笑いが込み上げた。




