これが……
成瀬は立ち上がったかと思うと俺の前までやってきてしゃがみこんだ。一体何をしているのか、と疑問に思ったと同時に成瀬の両手が俺の右手を掴んだ。
温かくて柔らかい華奢な成瀬の手。その手が俺の右手を成瀬の胸へと誘った。
「ドキドキしてるの、わかる?」
成瀬は訊いた。
俺は成瀬の胸に触れている手のひらに意識を集中した。トットットット……けたたましい心臓の鼓動を感じる。
「ああ、全力で走った後のように心拍数が上がっているな。それに、顔も赤くなっている」
成瀬は紅潮する顔を少し逸し。
「顔は……いいの。だけど私は全力疾走なんてしてないよ。なんでこんなにドキドキしてるかわかる?」
と再び訊ねてくる。
俺の中にその答えは出てこない。
「これはね、山中くんがさせてるんだよ」
意外な回答に思わず成瀬の顔を見た。続けざまに。
「私の中でどんどん大きな存在になっていく山中くんを想うと自然に胸が高鳴るの。そしてこれは」
成瀬の中で俺の存在が大きくなる? 俺の中で成瀬の存在が大きくなっていることと、それは似ているのではないか。だが、これは好きとは違う。成瀬が前にそう言ったのだ。
一度言葉を切った成瀬は、頬を薄紅色に染めたまま真剣な表情で。
「私の中で、好きがもう始まっている証なんだ」
と、言った。
俺の右手に伝わる成瀬の鼓動が、より一層激しさを増したようだった。
この心臓の高鳴り、これもまた好きだという証なのか。……確かに、好きを知らない俺はその感覚に至った事はない。やはり俺は他人と、成瀬と共感することはできないのか。
成瀬の胸の高鳴りを強く感じたくて、俺も成瀬と同じ思いに至りたくて、激しく動く成瀬の心臓と、静かに脈打つ俺の心臓を同化させてしまいたいとすら思う。
俺も、その境地に至りたい。
「それから、前に山中くんの問いに対して私は好きとは違うと言ったわ。ごめんなさい、あの時は言えなかった私が思う本当の答えを今言わせて」
あの日の問いの本当の答え?
目を閉じ、深呼吸をした成瀬がやや上目遣いに俺を見つめる。その顔が、くしゃっと笑った。それは今まで見た事のない成瀬の笑顔だった。輝くような笑顔でもなく、はにかんだ笑顔でもない。強いて言うならば成瀬が恥ずかしがった時に見せる困った顔。そこに笑顔が足されたような不思議な表情。
だが、その笑顔はとても魅力的だった。
「山中くんのそれは好きの始まり。山中くんの、私への恋の始まりかもしれないね」
――トク……ン――。
……感じた。
確かに、今。
胸の高鳴りを。
そうか、これが。この気持ちが……。
「そうか」
今までにない、胸を満たす充足感の様なものを、俺は確かに感じていた。




