嘘をつかない人
寝室のドアを開けると、そこはリビングダイニングになっていて、山中くんは部屋の窓際にあるソファに座り、本を読んでいた。山中くんの座る後ろの窓からは高層マンションから見渡す街並みがよく見える。田舎町だから、明るく見えるのは国道沿いくらいのものだけど、見慣れないその景色はとっても綺麗だ。
山中くんの視線が上がり、チラと私を見る。視線を受けるとバスローブしか纏っていないので、綻びがないか妙に緊張してしまう。
「もう横になっていなくて平気なのか?」
「あ、うん。大丈夫。ベッド使わせてもらってありがとう」
「構わない。服もあと十分もすれば乾くだろう。乾いたら、山室に言って車で送らせる」
それだけ言うと、山中くんは再び視線を本に戻す。何だか、私を避けるような雰囲気がひしひしと感じられた。
話す事はないと、その態度が言っているようだった。
「隣に座ってもいいかな?」
「ああ」
本から目を離すことなく、流すような返事が返ってくる。
「いつ、帰ってきてたの?」
「今日だ」
「だよね。毎日来てたけど、昨日はまだ居なかったもんね」
返事は無い。
「どうして、私が連れ去られたってわかったの?」
「……山室に聞いたんだ、成瀬が来ていると。帰って来た直後にバイクが住宅街でアイドリングしている不自然に妙な胸騒ぎを覚えた」
山中くんらしくない、会話におかしな点が目立つ。今の言葉だけだと私が来ていることを知っていたのに無視していたことになる。私と話す必要がないのだとしても、私を避ける事は今までの山中くんの行動からは逸脱している。
そして、たぶんこれも当たりだ。
「もしかして、山中くんが山室さんに私を帰るように促した?」
返事はない。無言の肯定だと思った。
「なんか、今日の山室さんおかしいなって思ったんだよね。やけに無理やり私を帰そうとするから」
「すまなかった」
唐突に飛び出した謝罪の言葉。
「一人で帰したのは俺の指示だった」
「ううん、山室さんも左京さんもそうだけど、山中くんのせいでもないわ。それに関しては私が迂闊だっただけ。それに、まだお礼も言ってなかったわ。助けてくれてありがとう」
「大したことじゃない」
「だけど、相手は四人もいて恐い人たちだったから、山中くんが来てくれた時、嬉しかったけど不安だった」
「武術は心得ている。心配ない」
以前にケーキ屋さんで左京さんから山中くんの昔の話を聞いた時、武道を習わせても上達が早く天才だったと言っていた気がする。
山中くんは多くを語ろうとしないし、私の事も見ようともしない。それはいつも通りの彼のようで、私の知った彼とは違う姿。
不意に山中くんが本を閉じ、正面の虚空を見つめた。
「成瀬、俺は心のない化物か?」
「え?」
「俺には何が正しいのか、何をすべきなのか、わからなくなることが多い。そして」
首を傾げ、私の顔を見つめる山中くんを私も見つめる。
「人が何を考えているのかわからないし、共感する事もできない。覚えているか? 俺が猫を殺すと言ったことを」
私は静かに顎を引いた。
「FIPに感染した猫を生かしておく意味が俺には未だに理解できないんだ。成瀬が説いた言葉をいくら反芻しても、響くものはないし、無為だと感じてしまう」
「病気で苦しませずに死なせてあげる事が、山中くんの思う優しさなの?」
首を横に振る山中くん。
「違う。優しさという概念がわからない俺には、優しさが行動理念になることはない。俺はどっちでもいいんだ。ただそこにあるのは衰弱して死ぬのを待つか。直ぐに死なせるかでしかない」
履いているズボンのポケットから山中くんは一枚の硬貨を取り出した。
「だから俺は常にコレを持っている。表と裏、どちらにするかを決めて結果を委ねるんだ」
淡々と語る山中くんだが、わざと私を遠ざけようとするような口振りには違和感を禁じ得ない。
基本的に山中くんは嘘をつかない。それは山中くんが自ら自覚しているように、共感しないのだから嘘をつく必要がないのだ。
だけど、今の山中くんの言葉が本心だとも思えない。
「サイコパスという言葉を知っているか?」
「うん」
「俺は限りなく近い存在だろう。具体的な診断基準はないが、判断基準からいえばそうなる」
暴漢に襲われ助けてくれた時、そのうちの一人が山中くんに対して『サイコ野郎』と言っていたのを思い出す。
「今日のこともそうだ。成瀬が止めなければ、俺はあの男をどうしていたかわからない。殺していた可能性すらある。冷酷で無慈悲。他人に共感しない。全てが当てはまるんだ」
重なり合う視線を山中くんが外し、立ち上がる。
「山室に送るよう伝える。それから成瀬、もうここに来るのはやめろ」
「山中くんは、私と会いたくなかったし、話をするのも嫌だったのかな?」
山中くんの背に質問する。やや黙ってから。
「ああ、その通りだ」
と、応えた。




