手渡された電話番号
私は翌日山中くんの家を訪れた。
畑に囲まれた私の家と違い、山中くんが暮らしているのは住宅街の中でも一際目立つ高層マンション。住所はクラスの連絡網に記載されていたので苦労なく見つけることができたが、この町には不釣り合いなその都会的建物に私は圧倒される。
緊張する胸を落ち着かせようと、エントランス前で深呼吸を数回繰り返し、意を決して重たいガラス扉を押し開けた。
しかし押し開けたガラス扉の先にはロック式の扉が閉ざされていた。正直、こういったマンションに足を踏み入れたことがない私は構造がよくわからず、いちいち戸惑ってしまう。
えっと、ピンポンは、インターホンはどこかしら? あ、でも、山中くんの部屋番号を知らない……。
どうしようかとその場に立ち尽くしていると、右手側からカラカラと音を立てて小窓が開き、「どうかしましたか?」と声をかけられた。管理人さんらしきその人は、人の良さそうな温和な笑みを浮かべたおじさんで、私は会釈をして戸惑いながらも訊ねた。
「あ、あの、山中……くんを訪ねてきたんですけど……」
私は山中くんの下の名前を知らないことに気が付き、なんて間抜けなのだろうと、迂闊な自分を悔いる。
口の中で、「やまなか…」と呟いた管理人のおじさんは、ああと納得した表情を浮かべると「あの山中さんね!」と朗らかに笑い部屋の番号を教えてくれた。
思いの外あっさり教えてくれたのは、私が制服を着ていて山中くんの同級生だと見做してくれたからだろうか?
「お嬢ちゃんはあれかい? 山中さんの彼女さんなのかい?」
「え? い、いえ、違います。私はただの……友達です」
違った。同級生と見做したからというよりは彼女だと思われたらしい。私が友達だと言う際に余計な間を開けてしまった為か、変に勘ぐったおじさんは「あ、そうなんだ」と意味深に微笑む。
思わず愛想笑いを浮かべてしまったが、私はお礼を述べてセキュリティシステムの前に立ち、教えられた部屋番号を入力しインターホンを鳴らした。
応答は無かった。
「あー」
管理人さんが唸るような声をあげ、私が振り向くと「まだ帰ってないみたいだね」と続けた。
「いやね、今朝山中さんが外出して行くのを見たんだよ。だけど制服じゃなかったような? まあ、とにかくたぶんまだ帰ってきてないんだね」
「そうですか……」
確かに今日山中くんは登校していなかった。念の為、図書室にも足を運んでみたが、今日はそこにも姿はなかった。
「すみません。ありがとうございました」
落胆した私が重たいガラス扉に手を掛けようとした時。
「もし、お嬢ちゃん」と呼び掛けられ、振り向くと管理人さんは紙にボールペンをさらさらと走らせていた。
「なんか、切羽詰まってるというか、大事な用件なのかい? ほれ。なんならここに電話するといいよ」
そう言いながら管理人室から出てきたおじさんに、殴り書きされた紙を手渡された。そこには一件の電話番号が書かれている。080から始まるその番号は携帯電話のそれだが、一体誰のだろうか?
「あの、これは……?」
「山室から聞いたって言えばわかるから。それじゃあね」
「あっ」
そう言うと管理人さん、山室さんは管理人室に戻り、小窓も閉めてしまった。
腑に落ちないが、山室さんはこれ以上のことはその電話番号の主に聞いてくれと言っているように感じる。
きっとこの電話番号の先にいる人は山中くんと縁のある人物だと思われる。
私は紙に書かれた電話番号に目を落としながら、マンションを後にした。