第二話『勇者の計画』
「まずは神様が何処にいるのか調べなきゃ倒しようがないよね。魔王城みたいに此処ですって所にいるとは思えないし」
「悪かったね、魔王は単純で」
「でもそれも神様が決めた事でしょ? 倒される為の存在なんて悲しすぎるよ」
勇者に言われると改めて本当に酷い話だったと古傷が抉られるような気持ちになる。ああなんでもっと昔にその理不尽さに抗おうとしなかったんだろう。そうしていたら少しは今が変わっていたかも知れないのに。
俺の部屋に堂々と居座った勇者は女の子なのにはしたない格好で足を組んで座りながら俺に出させた世界地図を睨み付けて小さく唸る。いくら短パンを履いてるからって年頃の女の子が胡坐かくなんて行儀が悪い。
勇者は年頃はまだ十代前半か。細身の身体と小さい背丈、それに加えて幼い容姿のせいで恐らく実年齢より幼く見えているのだろう。着ている服装は勇者の装備と呼ぶには少し布面積が狭い。年頃の娘が着るには確かに似合っているかも知れないがどうしたって冒険者向きではなかった。
それに加えて、初見からあまりにも目立っていた剣と盾。それはかつて見た勇者たちが持っていた物と同じものだと判断出来るが、記憶の中のそれと比べるとあまりにもボロボロだった。全く手入れをしてないのが分かる。盾なんて傷だらけだしヒビ入ってるし、剣は刃の部分が全滅していた。あれでは本当に鈍器にしかならないだろう。
これで良く勇者なんて言えるなぁと改めて思いながら地図を真剣に眺める勇者を見詰めて溜め息を零すと、勇者が跳ねるように顔を上げた。
「やっぱり神様と言えば神殿じゃない? 神殿巡りしようよ!」
「――まぁそうだとは思うけど。流石に魔物が神殿行くのは不味いんじゃないのか?」
勇者の発想は悪くないと思うが実際どうなんだろう。神殿と言えば昔は魔物にとって最低最悪の場所。弱い魔物なら近づくことすら出来ないレベルの存在だったが今はどうなのか。
「ああ今は魔物にも開放されてるよ。やっぱり居心地は悪いみたいだけど今の魔物たちは悪さしてるわけでもないからね。前より結界?の強さが弱まったとかで。信心深い魔物とかもいるんだって。偉いねー」
「……なんだかなぁ。タイムスリップどころの感覚じゃなくなってきたよ、俺」
勇者からもたらされる現代の情報に頭が痛くなる。いや、恐らくは悪い事じゃないんだろうけどやっぱり魔王としては複雑である。まさかこんな風に引きこもりの弊害が来るとは思わなかった。
「そもそも魔王城をなんで観光地にしちゃうかなぁ」
今は閉めた扉の向こうに相変わらず広がる光景に思わず溜め息が零れる。観光地にしようと言い出した奴だけは近いうちに特定しなければいけないだろう。
「でもお陰で魔王の部屋までは簡単に入れて助かったけどねー。おじいちゃんとかお父さんが残した謎解きのヒントとか使わなかったもん」
「うわ……そんなの残してたの勇者。なんというか執念深くない?」
「悲願だったからねぇ。剣と盾だって職人いなくなってからも頑張って保管しつづけてたんだよ。今じゃこんなになっちゃったけど」
と、言いながら脇に置いた剣を撫でる勇者の姿はなんとも言えない。そこまで魔王退治に拘り続けてきた勇者と、勇者たちから逃げ続けてきた魔王。その両者がこんな形で揃っているのもあまりにも皮肉だ。
しかも、片や勇者は魔王を倒す為に神を倒すなんて言い出してる。もう勇者と魔王の関係性が破たんしてるのではないだろうか。
「……それこそ勇者は俺の事情なんて関係なしに襲っちゃえばいいんじゃないか?」
そうだ。そもそも勇者としてはそうしてしまう方が楽なんじゃないだろうか。今もまた神殿の場所を確認してる勇者にそんな風に問いかけると勇者は何故か何言ってるんだこいつとばかりに俺を見上げていた。
なんでそんな顔されるのか俺の方が全く分からないんだけど。
「それじゃあ卑怯じゃないか。僕だって勇者として最低限の礼儀は守りたい」
「……礼儀、ねぇ。そんなの関係ないと思うんだけど」
「いいの。僕がやなものは嫌なんだから」
この勇者、本当に面倒くさいなぁ。結局何だかんだと俺の部屋に居座っているし、神殿巡りとやらにも俺を連れて行く気満々みたいだしどうしてくれようか。
なんてこっちは悩んでいるというのに勇者はそれどころじゃないらしくて地図を眺めて小さく唸っている。だがそれも長くは続かず、何かを決めたように急に顔を上げた。
「――よし、じゃあ取り敢えず近い所から行こうか」
地図を丸めて勇者は立ち上がった。俺の物であるそれを堂々と懐に押し込めて、剣と盾を持つ姿は確かに勇者っぽいがなんとも頼りない。
そして、やっぱり当然のように俺にも立つように促してくる辺りが本当に身勝手だ。いつ俺がその旅に同行するなんて言ったんだろうか。
「ほら、さっさと立つ! 置いてくぞ!」
「寧ろ置いてってくれ」
何気に自慢に思っている俺の長い尻尾を引っ張って、勇者は笑う。
かつて人間だけではなく魔物たちからも恐れられた俺の身体――闇のように黒い長い毛も、その背中に生える大きな竜の翼も腰から生えた長い尻尾も、鋭く伸びた爪が生えた大きな両手足も、頭から伸びた大きな角も恐れの対象ではないのだろう。さっきから触る手には遠慮が一切ない。
こいつは元々魔物と人が仲良く暮らしている時代に生まれてきたのだからそれも当然なのかも知れないが、それにしても少し新鮮な気分だった。
――俺に、元から人間に対する殺意なんてなかった。魔王になって勇者と戦っていても、俺の中にあったのは何故という疑問だけだ。
何故自分がこんな辛い思いをしなければいけないのか。何故俺は勇者たちと戦わなければいけないのか。何故、神は俺を魔王になんてしたのか。
今もまだ、その疑問は尽きない。いや、寧ろこの平和になった世界を見て余計にその疑問は強くなっている。
だから――彼女の言うように神に喧嘩を売ってその理由を問い質すのも悪くはないのかも知れない。ふとそんな感情が湧き上がってきて、未だ尾を引っ張る彼女に従って腰を上げると彼女の小さな身体がふわりと浮かびあがった。
仕方なくそれを支えてやりながら、閉じた部屋の扉へと手をかける。
「……で、何処の神殿から行くんだ? 近くって言っても確か二か所あっただろ」
ぎい、と重い音を立てて最近になって何度も開けられるようになった扉を開けて部屋の外に出ると、外は相変わらず賑やかだった。丁度見学に来ていたらしい観光客の子どもたちが部屋から出てきた魔王と勇者の姿に楽しそうに声を上げている。店に並ぶ客や、店員なども最近やっと外に出てきた魔王の姿に少し珍しそうに視線を向けていた。
そんな視線を一気に集めながら、俺は勇者の小さな身体を腕に抱えて魔王城を出て行く。
「山の中にある方から行こうと思って! そしたら次の神殿には川沿いに降りて行けばいいだけでしょ?」
「……はいはい。分かったよ。というか君一人だけなら俺が運んでやるから。一々歩くの面倒臭い」
「え、飛べるの? そのお腹で浮くの?」
「うるさいなぁ! 確かにだいぶ太ったけどまだ飛べるっての!」
そして魔王城の門を出た所で、羽を広げた。――数百年ぶりに広げたそれはびりびりと使っていなかった筋肉が痛んだりしたが、まだ飛び方までは忘れてはいない。埃を巻き上げながらその場を飛び立つと、腕の中で勇者が喧しく声を上げる。
「あはは! 魔王に抱っこされて飛んだ勇者なんて僕だけじゃない!?」
「――まぁ、そうだろうなぁ」
「すごいすごい! おじいちゃんにもお父さんにも自慢できるぞー!」
「え、生きてるの二人とも。なんか死んだみたいな言い方してたじゃん」
「勝手に殺すなし。今時敵なんて全然いないんだからそう簡単にしないよー」
やけに楽しげな声を聞きながら、久しぶりの大空を飛ぶと――少しだけ気分が良かった。