図々しいサラリーマン
作者は決して図々しいサラリーマンのような人物ではない。
私の名は「図々しいサラリーマン」
毎日の通勤途中に配られるティッシュを一度に2つ頂く程度のスタイリッシュな図々しさに、正月に買ったスタイリッシュなスーツを兼ね備えた社会人の鏡、それが「図々しいサラリーマン」この私のことだ。
今日も寝坊ギリギリに起きて出勤するぞ。スタイリッシュなスーツを着てスタイリッシュなネクタイ、図々しい顔、全てオッケーだ。
玄関を出るといつもよりも3分ほど遅れている。ヤバい。いつも遅刻ギリギリの出勤をしていると、3分から5分の遅れは命取りになるものだ。全力で駅に向かう途中、いつもと違う、とんでもないケツの違和感を感じた。
このケツの感じは大変不愉快で、とても良い感じとは言えなかった。
徒歩数分の駅に全力で走り、2分程度でホームにたどり着いた図々しいサラリーマンであったが、先程のケツの違和感がどうも気になり、右手でケツを確認する事にした。
「くっ……やはりか」
図々しいサラリーマンの感覚は正しかった。いつもケツにある膨らみがない。部屋に携帯を忘れてきたのだ。
勤務中にこっそり抜け出してツイッターやフェイスブックを見るのに欠かせない現代最高のサボり機器を忘れるとは何たる不覚。即刻引き返して携帯を手にしなければ、上司に遅刻の連絡が出来ない上、遅れて会社についてもサボれないではないか!!
引き返そうと後ろを見たその瞬間だった。いつもとは違うお姉さんがティッシュを配っていた。これはラッキーだ。
今2つ貰って家に帰り、携帯を入手、戻って2つ貰うことができれば、トータルで4個もらえることになる。
「今日はとことんツイてるぜ」
図々しいサラリーマンはいつもの通りティッシュ配りの姉さんに近付き、かつ当たり前のような態度で「2つください」と声をかけた。後ろから。
ティッシュ配りのお姉さんは後ろから突然話しかけられるとびっくりしてティッシュを2つ渡してくれるのだ。その後の冷たい視線を気にしてはいけない。人生においては嫌われる勇気も必要なのだ。
だがこのお姉さんは違った。話しかけたときには既に冷たい目をしていたのだ。
「この列車に乗るんですか?」
突拍子もない質問に「えぇ……?」と弱気な声を出してしまう図々しいサラリーマン。今日は全然図々しくないぞ。
「あの、まぁ、乗りますけど……」
そう言うと、このお姉さんは数秒睨んだ後に「今ですか?」と質問してきた。この質問には正直に答えたほうが良い……と言うか、予め決められた答えがあるような気がする。
この脅迫されるような質問の仕方どこかで……そうだ、この前サボっているところを上司に見つかって「お前、やる気あるの?」って聞かれたときと同じような感覚だ!
もちろん答えは「イエス」だ。むしろイエス以外を答えてはならない。下手な解答をしたらクビ、明日からは華のトレジュールサンデーに突入してしまう。
「えっと、あとで……です」
弱々しく正直に話してしまう図々しいサラリーマン。
嘘をつけないのか、図々しいサラリーマン。
情けないぞ、図々しいサラリーマン。
お前はもう図々しいサラリーマンじゃない。弱々しいサラリーマンだ。
自分自身の愚かさに悔いている図々しいサラリーマンを見上げ、ティッシュ配りのお姉さんは吐き捨てるような口調で言う。
「これは”いま”列車に乗る人に必要なティッシュです。別の列車に乗る人には渡せません」
彼女の言っていることが意味不明であることは冷静であればこそ判断できたかもしれないが、既に精神をズタボロにやられた図々しいサラリーマンにとっては正論にしか聞こえなかった。
「あの、その、すみませんでした」
敗北。完全に敗北。彼女と私の間には上下関係が出来た。今後彼女には酒を注ぎ、タバコの火を付け、毎日説教を受けるのだろう。
そう思うと、なんだか嬉しくなってきた図々しいサラリーマンはスキップしながら自宅へ向かった。携帯を手に入れるため、そして、遅刻の報告をするために。
自宅に戻ってベッドの枕元から携帯を充電から外してすぐに遅刻の報告をする。
今日の遅刻理由は「目覚ましの故障」だ。俺に罪はない。上司は電話越しで喝を入れていたが、目覚ましが壊れたのだから仕方がない。そう、仕方がないのだ。
優秀なスパイは敵国に潜入中、自分がスパイであることは忘れなくてはならない。自分はスパイではなく敵国の人間である。そう信じ込まねばならない。
この状況も同じだ。私は目覚ましの故障で遅刻したのだ。そう信じ込むのだ。
目覚ましの故障で寝過ごすところを、体内時計で、気合で起きたのだ。
そこは、むしろ仕事への執着を評価されるべきであろう。
時間に余裕のできた私はのんびりと駅までの道を歩く。もう周りに通勤する人影はなく、自分だけが特別な存在になったように感じた。遅刻した時の風景は素晴らしいものだ。
駅のホームに戻ると、全体的にざわついていた。
そんなことよりもさっきのティッシュ配りのお姉さんだ。今度はちゃんと列車に乗るわけだし、しっかり頂こう。
……と、探しては見るが、そんな人影はない。そして周りが酷くざわついている。もうお姉さんは引き上げてしまったのだろうか。仕方がない。また明日か……。
「今日はツイてないぜ」
ぽつんとつぶやいた一言をかき消す程度に、周りはざわついていた。いやしつこい。
俺とお姉さんの話ししてるのにエキストラがかなりうるさい。ざわつきすぎ。泣き声まで聞こえてくる。
図々しいサラリーマンが周囲に意識を向けると、そこには泣き崩れる人や駅員に食って掛かりそうな人、そして状況が読み込めない多くの人がその場にあふれていた。
「なんだ……これは」
電光掲示板を見ると、全線運休になっている。駅員が客に押し倒されそうになりながら状況を説明している。
頑張って叫んでいるが、もう声は枯れているようだし人混みを押しのけて近づいても上手く聞き取れないだろう。
すぐ近くで電光掲示板に哀れみの目線を送る男性に聞いてみた。
「一体何があったんです?」
その男性は先程発車した列車が踏切を突っ切ってきたトラックと衝突し、脱線。
多数の生存者は望めない程に絶望的であることを教えてくれた。
「うわ……マジかよ」
目の前で本当に起こってしまった大事故。いつもテレビのニュースでしか見ていない、自分に関係のない事故のニュースが、いまこの瞬間、目の前で起きてしまったのだ。
この事件も自分には関係のないニュースのはずなのに、目の前で起きた悲劇というだけで何でこんなにも脱力してしまうのだろう。
図々しいサラリーマンが視線を落とすと、そこには人混みに踏まれて形を保っていないポケットティッシュが落ちていた。
ティッシュの裏には、無数の彼岸花が描かれた紙と火に焼けたような10円玉が入れられていた。
その意味こそ分からなかったが、このティッシュを受け取った人達が皆事故に巻き込まれたのかと思うと、このティッシュ自体が不気味であるように感じられ、ひとり背筋を冷たくした。
この感覚はきっと、この駅で私しか感じ取っていないのだろう。
このティッシュと列車事故の関連性を知っているのは、私しかいない。
「あぁ、さっきのティッシュ。貰わなくて正解だったかもなぁ」
一瞬の安堵とともに、このことを誰かに伝えなくてはいけない使命感に駆られた図々しいサラリーマンはすぐさま携帯を開く……が、充電が0になっていた。きっとコンセントからUSBケーブルが外れていたのだろう、寝てる間に充電はされていなかったのだ!
ファッキン!!
図々しいサラリーマンが辺りを見渡すと、今時珍しい公衆電話があった。
さっき拾ったポケットティッシュから10円玉を取り出すと、電話機に入れ、うろ覚えの番号へ電話をかけた。
1、2コールなったあと、電話越しに男性の声が聞こえた。
そして、図々しいサラリーマンは話した。この話の真実を……
「あ、上司ですか?すみません。さっきの遅刻は嘘なんです。本当は、電車が事故で運休してしまって……えぇ、遅れてでも何とか会社へ向かおうとしたのですが、どの交通機関も渋滞で、会社についても午後を過ぎてしまうかと……えぇ、申し訳ございません、今日は……えぇ、有給にえぇ、させて下さい。はい、えぇ、すみません、はい、はい。すみません、お疲れ様です。失礼します」
END
作者は決して図々しいサラリーマンのような人物ではない。多分。




