2年目の夏1
夏休みは終わった。私たちはおじいさまといとこを勝ち取った。
楽しかったな。でもお父さまに黒いってもう言われたくないから、日焼け止めはたくさん塗った。でももう黒くなったものはしょうがないんだ。
夏休みをきっかけに、私は茜ちゃんと一緒にご飯を食べるようになった。お母さまにもお願いして、夕ご飯だけはなるべく一緒に食べてもらうことにした。お父さまも前よりは一緒に食べてくれるようになった。
私は気がついたのだ。お母さまは人に言われたらその通りにするから、お願いごとははっきりと言おう。お父さまは言わないと気がつかないから、やっぱりはっきりと言う。おばさまとはわかりあえないから努力しない。
だからまずお母さまとがんばるのだ。茜ちゃんはまだわだかまりがあるみたいだけれど、毎日顔を合わせれば少しずつ変わっていくだろう。茜ちゃんがではない。お母さまがだ。
お母さまは、私たちを諦めてしまったから、もう1度取り戻す勇気がないのだ。私たちはいつでもここにいるのに。
時々はお茶の会で遅くなるけれど、お母さまとご飯を食べる回数はすごく増えた。静かなお母さまのために、2人で一生懸命に話すことを考えた。だからお話が上手になったと思う。お母さまからはお茶の会の話を聞く。若先生の話はよく出るから、茜ちゃんも私も複雑だ。お母さまはお父さまひとすじだけれど、若先生はあやしい。だって人妻に親切にする必要がある?
そう言ったら茜ちゃんはあきれて、紅ちゃんは読むマンガを考えるべきだって言うのだけれど、大人のマンガもおもしろいんだもん。
そうそう、結局私も塾に行かされることになって、自由時間が減っちゃった。でも、蒼と碧を図書館に連れて行って、マンガのおもしろさも教えてあげた。
「なんで週に1日しか休みがないんだ」
って嘆くくらい夢中になったよ。だから翔君の作戦を教えてあげたの。お父さんって人種は案外マンガが好きだから、お父さまをそそのかしてマンガをまず1巻買わせるんだって。大人はお金持ちだから、うまくすると全巻そろえてくれるんだって。
この作戦はうまく行ったらしい。藤堂のおじさまは、蒼と碧と一緒に少年マンガにハマってるって。うちのお父さまに勧める勇気はまだ出ないけれど。蒼と碧が読み終わったら、貸してもらう予定なの。
茜ちゃんや蒼と碧は、中学校から、自分たちの学校に外部受験しろって言うんだけど、私は気が進まない。学校が違うのもおもしろいと思うし、友だちだっているし。今の学校でなんの不満もないし、勉強についていける自信もない。
でも、こないだ翔君が、中学から外部受験するって言って、ちょっとショックだった。翔君はお兄さんもお姉さんもいるから家を継がなくていい分、自分でやらなくてはいけないから、なるべく力をつけたいんだって。
将来か。華原の家は、別に継がなくていいっておじいさまは言ってた。おじいさまも入り婿だ。何が何でも華原を、というおばあさまの気持ちが、結局お母さまとおばさまを縛ったのだ。
「家を継ぐと言っても、会社の社長は、昨今は、実力で決まることだ。晴信君は優秀だからそのまま社長になるだろうが、次の代からは会社の中で仕事が出来るものが社長になっていく。会社にも縛られることはないよ。どちらかが土地と名前を継いでくれたら、それは嬉しいけれどな」
おじいさまはそう言った。だからやりたいことはちゃんと考えなきゃいけない。
そんな感じに4年生の冬は過ぎ、あっという間に5年生になった。
茜ちゃんは正式に児童会に入り、忙しくしている。暖かくなって、外で遊ぶことができるようになったから、マンガはお休みして、丘の公園に行って秘密基地で遊んだりする。他の子に見つかったら取られてしまうから、出入りは真剣だ。証拠を残しても置けないから、毎回荷物を持ち込むのが大変だけれども、おやつを持ち込んでおしゃべりするのがとても楽しい。
この頃になるとハルト君やせっちゃんまでやってきて、誰が誰の友達ということもなく、楽しく過ごすのだった。
すみれおばさまが敷いた茜ちゃん用のレールは、もう茜ちゃんを縛るものではなくなったけれど、自分のためになるからしばらくは乗り続けるって茜ちゃんは言っていた。でも、ほめられるためにがんばることはもうない。すみれおばさんの毒はもう私たちには届かなくなった。
けれど、相変わらずお父さまに会いに来るすみれおばさまに、お母さまの気持ちはすり減っているし、蒼と碧の気持ちが満足することもない。お父さまが積極的にすみれおばさまにかかわるわけでもないから、大丈夫かと思っていたのだけれど。
「2ヶ月も出張?」
「そうなんだ、今年の夏休みは別荘に行けなくてごめんな」
お父さまは去年の夏が面白かったらしく、本当に残念そうだった。今度、おばさまの子供服のお店をイギリスで展開することになって、お父さまと一緒に仕事をするんだって。2ヶ月一緒でおばさまは目に見えて浮かれている。お父さまはたぶん仕事だから仕方ないって考えてる。
でも、お母さまがしおれている。ねえ、お父さま、なんで気がつかないの。
お母さまは私たちとの夕ご飯を休んで、またお茶の会によく行くようになった。ある日の夜、お母さまが帰ってきたのでお迎えに出ると、あれ、もう一人いる。
「わざわざ送っていただいて申し訳ありません」
お母さまがていねいに頭を下げている。
「いえいえ、毎回こうして送り届けたいくらいなのに。ゆかりさんが遠慮するから」
お迎えに出た私と茜ちゃんはドキリとした。若い男の人だ。
「お母さま、おかえりなさい」
「紅ちゃん、茜ちゃん」
「どなた?」
「お茶の若先生よ」
「いつもお母さまをお借りしてごめんね」
優しい声だ。お茶の先生なのに柔らかい髪を明るい茶色に染めている。切れ長の瞳の端正な顔立ちをした若い人が、こちらを見てにっこりと微笑んだ。私は思わず1歩下がった。なんだろう。寒気がした。
「へえ」
低い声がした。
「先生?」
「いや、ゆかりさんによく似ている、美しいお嬢さんたちですね」
「優しくて賢い、自慢の娘たちですの」
お母さまが嬉しそうに微笑んだ。
「ではゆかりさん、私はこれで。お嬢さんたちもぜひ連れていらしてください」
「まあ、ぜひ」
「茜ちゃん、紅ちゃん」
名前教えてないのに。しっかり目をのぞき込まれた。
「またね」
いやだ。もう2度と会いたくない。
お母さまは楽しそうにお話を続けた。まだ25歳なのに、落ち着いたお茶を入れるのが人気で、忙しい時によく手伝いを頼まれるのだという。
「頼りにしてますって言われると断りきれなくて」
必要とされたいってこと?でもあの人はよくない気がしたんだ。一緒にいて、幸せになれる人じゃない。お父さまがいない間、引き離さなきゃ。
「紅ちゃん」
「茜ちゃん?」
茜ちゃんが真剣な顔をして私を見た。
「ここでお母さまとわかりあえなかったら、私もうお母さまと一生わかりあえない気がする」
「茜ちゃん……」
「お茶の先生なんかにお母さまを取られたくない。私たちの方がお母さまをずっと必要としてるのに!」
やっと茜ちゃんが本気でお母さまと向き合う気になったのに。なんで他人が立ちはだかるの!