1年目の夏8
私は茜ちゃんと走って磯まで来た。引き潮でタイドプールがたくさんある。ここには海から取り残された生き物がたくさんいるのだ。
「紅ちゃん、しましまのお魚がいるよ!」
「なになに、それはベラっていうんだよ」
「図鑑?」
「そう。あ、見て、そこの陰に今カニが!」
ん、岩の陰に足の先っぽだけが見える。茜ちゃんと2人でじっと待つ。待ったら少しずつカニが出てくる。もう少し、もう少し。
「何見てんだよ」
あっ!カニがまた隠れちゃった。
「カニが驚いて逃げちゃったじゃない!碧君はほんと空気読めないんだから」
「な、カニがいたなんて知るわけないだろ!からっぽめ!」
「からっぽ関係ないでしょ!」
「怒りんぼめ!」
私はいらっとして水槽で水をすくって碧にかけてやった。びしょぬれだ。もう君付けなんかしないんだから。碧め!
「怒りんぼはそっちでしょ。少し頭を冷やしたら?」
「わー!」
碧は怒って水を掛け返してきた。いつの間にか茜ちゃんも、蒼も参加していてびしょぬれだ。びしょぬれだっていいじゃない。だって水遊びに来たんだもん。
「ねえ、せっかく濡れたから、このまま一番大きなタイドプールに入ろうよ!」
「お前、今オレたちケンカしてただろ!」
「え、もういいじゃない。碧が行かないならあたしたちだけで入ろ、ね、茜ちゃん」
「蒼君?」
茜ちゃんはりちぎに蒼に声をかけた。いい子すぎなんだから!私はあきれて肩をすくめた。
「そんなやつら、呼び捨てでいいよ。蒼、碧、行かないの?」
「なんだよ、行くにきまってるだろ!」
茜ちゃんと蒼は、仕方ないねって顔を見合わせていた、ような気もするけど気にしない。さあ、大きなタイドプールには何がいるかな。
おじいさまとお母さまが見学に来た。大人は遊ばないからつまらないね。お母さまは日傘をさしていて、優しい顔をしている。いつもそうならいいのに。タイドプールはほんとにすごく大きくて、30センチくらいの魚がいたけれどどうしても捕まえられなかった。みんなで図鑑を見てみたら、ボラって言うんだって。明日は捕まるかな。
夕ご飯は、磯遊びの話で大騒ぎだった。すみれおばさまは話に参加できなくてつまらなそうだったけれど、お父さまとおじさまは昔取ったなんとかが動いたみたいで、
「明日はオレたちも参加しようか」
と言っていた。蒼と碧がうれしそうだった。
いつの間にか蒼と碧とも友だちみたいになって、4人で楽しそうにしているからか、大人もそれについてきて楽しそうにしていた。別荘の近くには丘もあって、公園になっている。時には芝滑りをしたり、バーベキューをしたり。ゆううつだったはずの夏休みは、とても楽しい夏休みに変わっていた。
すみれおばさま以外は。
すみれおばさまは、大人だけで過ごすのを楽しみにしていたんだろう。公園なんてもってのほかだし、海なんてとんでもない。夜になって夕ご飯からはずっとおじさまとお父さまに張り付いていたし、私たちは勉強と称して部屋に帰らされた。確かに、茜ちゃんにも私にも、勉強はたくさんあった。蒼も碧も、茜ちゃんとおんなじ塾に行っているから宿題はたくさんある。
せめてもの反抗に、4人で一緒の部屋に集まって勉強した。ちょっとはおしゃべりしてもいいのに、この3人はまじめに勉強する。仕方ないから私も勉強して、まだ1年前だとバカにされながらも3人の先生のもと一生懸命勉強もしたのだった。
廊下の先で声がする。
「紅だけお下がりのテキストなんだよ、お父さま」
「しかしな、華原の家のことだしな」
「なら、なんで茜のことには口を出すんだよ。お母さまは茜のことは気にかけてるけど、紅のことは無視だ。塾だってスポーツクラブだって、紅だけ行けてないんだよ。いとこなのに、あいつだけかわいそう過ぎるよ……」
「明るい紅を見ているとそんな風には思えないのだがな……」
「お父さま!」
「わかった。すみれは無駄だろうから、晴信に言ってみるよ」
あらら。私は気にしてないのにな。立ち聞きしてしまった。でも、蒼と碧、意外といいやつだった。
「なあ、なんでオレたちは呼び捨てなのに、お前たちはお互いにちゃんづけなんだ?」
別荘暮らしもあと1日ってところで、碧にそう聞かれた。私は茜ちゃんと顔を見合わせて、ちょっと考えた。
「小さいころからそう呼んでたし」
茜ちゃんはそう言った。
「茜って呼び捨てにするより、茜ちゃんって呼んだほうが、仲良しのような気がするんだもん」
私はそう言った。
「ほんとだ、紅ちゃん。紅ちゃんて呼んだほうが仲良しな気がする」
茜ちゃんがはっとして言った。
「え、俺らは?呼び捨てだぞ?」
碧がショックを受けたように言った。私たちはもう一度顔を見合わせた。
「蒼と碧は……呼び捨てのほうが仲良しな気がする?」
「うん」
蒼と碧はなんだかへにゃって笑った。
「そ、そうか、ならいいんだ。いいぞ、呼び捨てでも」
「変な碧。もう呼び捨てだもん」
「そうだな」
それから碧はそっと言った。
「紅、からっぽって言ってごめんな」
驚いた。
「うん、もういいよ」
茜ちゃんがまたうつむいた。
「私、私……」
「いいよ、茜」
「私、ひどいこと言った、けど……」
「謝りたくないんだろ、いいんだ」
蒼が言った。碧はそっぽを向いている。
「紅と茜のことちゃんと知って、いい奴だってわかったから、悪口言ってごめん。でもな、でも」
蒼は顔をくしゃってした。
「なあ、お父さまも、お母さまも、おばさまも、おじさまも」
そう言って一回、言葉を区切った。
「おかしくないか。なあ」
「やめろ、蒼」
「碧、なあ」
「蒼!」
「俺たち、誰か一人でも、愛されてるか?」
言っちゃった。碧は手をぎゅっと握りしめている。
「俺たちはさ、小さいころから優秀って言われてて、なんでもできて手のかからない子だっていわれてさ。そうなったら頑張るしかないじゃん。手がかからないから手をかけない。習い事と塾に放りこまれて放置だ」
「それ、お前たちのせいだってずっと思ってたんだ」
蒼と碧が言う。
「お母さまはさ、華原の家の話しかしない。お父さまはまだ俺たちに興味を持ってくれてるけど」
「茜が、茜が、晴信さんがって。ゆかりと紅はまったく一緒なのって。かわいくして、何の努力もしない癖に私がほしかったものをみんな奪っていくんだって」
「なんだよ、ほしかったものって。奪うってなんだよ。わかんねえよ、オレたち小学生だぞ。茜と晴信さんをほめる。おばさまと紅はけなす。とにかく、華原の家がなければって、俺たち……」
そうだったんだ。おばさまのほしかったものって何だろう。華原の家?
「けど、お前たちにちゃんと会ってみたら、能天気で」
「失礼だな」
私は思わず突っ込んだ。
「紅のことだってなんでわかった」
「茜ちゃんはよく考えて繊細だからなあ」
茜ちゃんはあわてて言った。
「違うよ、私はおなか真っ黒だよ、紅ちゃんのほうが優しくて!」
「でも能天気」
「自分で言うかよ」
ふっと空気がゆるんだ。蒼が続けた。
「ごめんな、でも。お前たちのほうがずっとほっておかれてた。ずっとほしかったお母さまの関心は、茜を縛って、紅をないがしろにしていたんだな」
蒼、すごい。ずっともやもやしていたものを、ちゃんと言葉にできてる。感心して聞いていたら、
「紅、わかってるのか?」
と怒られた。
「私ね、悲しかったこともあったけど、ほっておかれてるってことは、何をやっても自由なんだって、今年の春に気がついたの」
「自由、か」
「大人が育ててくれないなら、自分で育つしかないでしょ。今は茜ちゃんにも勉強や栄養のこと教えてもらって育ててもらってる」
「紅ちゃん……私はね、もっともっと紅ちゃんに育ててもらってるよ」
「なんだろ。買い物とか?」
「違うよ。もっと大事なもの。人として生きるために大事なこと」
「茜ちゃんは児童会にいるから、すぐ難しいこと考えるんだから」
「紅、能天気」
「碧、ひどいよ」
「だからさ、だから茜は謝らなくていい。謝らなくていいんだ」
「蒼……」
「俺たちは足をひっぱり合ってもしょうがないんだ。親があてにならないなら、助け合って生きて行こう」
「いとこなんだしな」
「碧……」
「ま、楽しく過ごそうよ」
「紅、能天気」
笑い声がはじけた。それでいい。でもね。でも。
お母さまにも幸せになってほしい、と思うのはわがままだろうか。