1年目の夏5
こんなケンカをしたいとこたちと夏休みを過ごすことになる。ましてけんかの原因はすみれおばさんだ。茜ちゃんは特にゆううつそうだった。
ところで私には気になったことがある。ドロボウ猫ってなんだろう。茜ちゃんには聞けなかったので、次の日翔君と遥ちゃんに聞いた。
「それゃアレだろう、オサカナくわえて逃げていくやつ。トラネコ?」
と翔君。
遥ちゃんも知らなかったので3人で図書室で調べた。辞書にはやっぱりオサカナくわえた猫の説明しかない。司書のお姉さんに聞くと、
「えーとね、よくドラマでね、こう、人の恋人を盗んだ女の人に使うわね」
と教えてくれた。なるほど。なるほど。茜ちゃん、だからか。よく知ってたな、そんなこと。
ゲンミツには、おばさんはドロボウ猫ではない。けどドロボウ猫のような振る舞いはしている。そしてそれを周りも分かってるってことか。
「紅、大丈夫?」
2人は気にかけてくれるが、私は大丈夫。でも茜ちゃんが心配だ。
本当は、蒼君と碧君の心配もしなければならないのだろう。でもね、でも、私のことが嫌いな人に、優しくする必要があるだろうか。お母さまは誰にでも優しくねと言うけれど、私には無理みたい。
そう決めたらすっきりした。そうとなったらどうしても来る夏休みを楽しく過ごさなくては損だもの。損って、紅ちゃんはおかしな子ねって、茜ちゃんはまた言うかな。私はそれを想像してクスクス笑って翔君と遥ちゃんにあきれた顔をされた。
去年まではお父さまとお母さまが気になって、海を楽しむどころじゃなかった。今年は茜ちゃんと一緒に海を楽しむんだ。
そのためにまずお母さまに特別な予算を出してもらった。『磯の生き物』という図鑑と、お魚やヤドカリを入れるブラスチック水槽、網などを買うためだ。ホントはお小遣いで買えるのだが、出せるものは出してもらおう。
「まあ、プラスチックの水槽?網?それより水着を新しくしなくてはね、水着より安い?そう、5万円くらいでいいかしら」
自分のお母さんだけど、常識がないなってまた思った。そんなにいらないって言ったけれど、あずささんからは5万円の入った封筒を預かった。
夏休みに入っていたから、茜ちゃんを誘って、翔君と遥ちゃんと4人で買い物に出かけた。本屋さんで磯の図鑑を買ったら、目指すは百円ショップだ。ここは何でも百円で買えるという、とてもよいお店なのだ。とはいえ、あまり来たことはない。小学生のおやつは、スーパーでラムネを買ったり、小さいチョコを買ったりしたら百円かからないんだもの。この間ドラッグストアというところに行ったら、ポテトチップスが70円だった。
ポテトチップスは買ったらひと袋全部は食べ切れないから、買ったことはないけれど。そんな訳であまり使わない百円ショップだが、見に行くのは楽しい。そこで、魚をとる網やプラスチック水槽が売っているのを発見したのだ。
夏休みの予算はたくさんある。小さい網や、海の中を見られるスコープ、軍手など、茜ちゃんと2人分、買い込んだ。茜ちゃんは子ども用の軍手を2つじっと眺めている。
「どうしたの?」
「蒼と碧……」
あきれた。2人が遊びたくなった時のこと心配してるんだ。茜ちゃんは児童会をやっているから、自分だけよければって考えられないのだ。だからって嫌なやつの事まで考えなくてもいいのに!
「でも紅ちゃん、もしもよ、逆だったら?」
「逆?」
「蒼と碧が磯で遊んでて、お前たちの分なんかないさって言ったら?」
「うわっ、碧とか言いそう!やなやつだもん。あ」
私、そんなやなやつと同じことしようとしてたんだ。
「わかったよ、茜ちゃん、軍手は4人分、残りもみんなで使えるように多めに買おう」
念のために大人用も買っておこうか。磯遊びにはサンダルではだめで、靴がいる。磯の図鑑に書いてあった。茜ちゃんは塾の夏期講習に、私はプールと図書館に通いながら、準備を進めていった。
去年までは、夏休みはたいてい家でぼんやりしていた。今年は午前中に区民プールに行って、作ってもらったお弁当を食べて、午後からは図書館に行く。図書館で私はいいものを見つけたのだ。それはマンガだ。
もともと本は好きだったが、おうちにはマンガもテレビもないし、小学校には決まったものしかない。でも図書館にはもっとたくさんあるのだ。ダメと言われたこともないし、茜ちゃんに出された夏休みの宿題をしながら、あいまにはマンガを読む。茜ちゃんとは相変わらず1年の差がある。だから茜ちゃんの去年の夏期講習のテキストをやらされているのだ。茜ちゃんはやっぱり厳しい。
もちろん、翔君や遥ちゃんと遊べる時は遊ぶし、そんな時は丘の公園に行って虫取りをしたり走り回ったりする。時にはおうちにもお邪魔させてもらう。
学校の宿題はほとんど終わったし、読書感想文は書いたし、磯の生き物を調べて自由研究をしたらそれでおしまいだ。
そしてお盆の一週間前、明日からみんなで別荘に行く日。久しぶりに家族4人とおじいさまがそろった。お母さまは朝からそわそわしている。藤堂家とは明日現地で集合だ。
5人で食卓を囲むのは、去年から1年ぶりのこと。おじいさまとお父さまは私を見てビックリして声を出した。
「紅か、ずいぶん、その、ずいぶん……」
「黒いな……」
「うん、プールに行ってるから」
でも日焼け止めだってきちんとしてるよ?そんなに黒いかな……久しぶりにお父さまと話した言葉がこれってなんだかせつない。
「レオックスは屋内だろう。なんでそんなに黒いんだ」
レオックスは茜ちゃんの行っているスポーツクラブだ。
「レオックス?知らないよ、私区民プールに行ってるから」
「区民プール!なぜだ?レオックスは家族誰でも行ける契約のはずだ」
お父さまがそう言った。お母さまを見ると、知らなかったという顔をした。
「ゆかりだって紅だって行ける契約のはずだが」
「知りませんでした。茜だけかと」
お母さまが言うと、茜ちゃんはうつむいた。茜ちゃんのせいじゃないよ。
「紅、区民プールって」
「小学校のそばの。夏休みの午前中は、区の小学生がみんな無料で使えるの。監視員もいるし」
「そもそも夏期講習はどうした」
「行ってないよ?」
お父さまはお母さまを見た。
「いつも茜だけです」
「なぜ」
「すみれが!」
おかあさんは少し大きい声を出した。
「すみれが。茜には家を出てもやって行けるよう特別に勉強をと。幼稚園の頃からで、そしてあなたもお父さもそれに賛成なさったでしょう」
「それは……でもそれは紅にやらせなくていいという事ではないだろう」
「やらせろとも言われませんでした。すみれが、紅には必要ないからと」
「母親だろう。双子だから当然、やらせているものと思っていた」
「それならなぜ、幼稚園を分ける時に反対なさらなかったの!」
「すみれさんは自分たち双子の思いだからと、そう言っていたから、君もそうしたかったのではないのか」
「私は!」
お母さまは言った。
「思い出が重ならないのはかわいそうと言ったはずです」
「しかし、反対もしなかっただろう……」
あきれた。お母さまの気持ち、ぜんぜんわかってない。そして小四まで放っておかれた私の気持ちも、厳しくされ続けた茜ちゃんの気持ちも。