1年目の夏3
「茜、紅!」
元気な男の子の声がする。碧だ。
「碧、待てよ」
蒼の声が追いかけてくる。この2人はいつもこうだ。突っ走る碧。引き止める蒼。
「まさか、これから2人の冒険が始まるとか思ってないよな?」
「4人だぞ」
「8人だって」
二人の声にかぶせて、翔君の声がした。遥ちゃんも一緒だ。それから、ハルト君とせっちゃんもいる。ハルト君とせっちゃんは茜ちゃんの友だちだ。そう、いつの間にか仲良くなった8人で、これから一週間、過ごすのだ。
これから向かう公園は、土地開発がどんどんされていく中で、最後に残った丘陵地なんだって。自然がいっぱいで、子ども公園があって、遊具もいっぱいある。大きな駐車場もあって、管理棟もある。管理棟は昼間は自然教室などもやっている。
その管理棟の裏に、資材管理の物置があって、その物置のすぐ後ろが丘陵地だ。物置と丘の間には、ちょうど隙間があって、大人の人が4人ゆったりと寝転がれるスペースがある。翔君と探検をしていて見つけたこの場所は、私たちの秘密基地だ。
管理棟の人は午後5時で帰ってしまうので、暗いのを我慢すればそこからは見つからない。小学4年生のあの時から、誰にも見つかったことはない。
そう、誰にも気にかけてもらえないと気づいた時から。自由に気づいた時から。私は学校からすぐに帰るのをやめた。道草はいけませんって言うけれど、誰も心配していないのに帰る必要がある?
習い事のある日こそ、お道具を持って学校に行く。直接行くことにすればそれまでは自由だもの。
私は翔君と、時には遥ちゃんと、そして時には1人で、小学校のある街を探険して歩いた。公園のそばには大きな図書館もあって、夜は7時までやっている。公園の反対側には区民プールもある。
コンビニというものにも初めて入った。牛丼は一杯290円だって知った。大きなスーパーもあり、たくさんのおやつが売っていた。私はお小遣いというのをもらったことがない。だってほしいものなんてなかったから。見るだけで買わないと、コンビニでは変な目で見られちゃう。ファミレスは子どもだけでは入れない。ハンバーガー屋さんは大丈夫。一番安いハンバーガーは、百円で買える。牛丼屋さんはお持ち帰りなら何とかなりそう。
おどおどしていると不審に思われるから、堂々としているのもコツだ。翔君は仲良しだけど男の子だから、男の子の友だちも多いし、サッカーもしているからいつも付き合ってくれるわけでもない。遥ちゃんも私もピアノや英会話があるから、いつでも遊べるわけでもない。それでも、4年の春から、私はこの街にどんどん詳しくなっていったのだった。
お小遣いをもらう作戦もばっちりだ。お母さまにおねだりした。
「社会勉強だと思うの」
「いくらくらいかしら」
「一人でウサギ屋のどら焼きが買えるくらい」
「そうね、おもたせにするくらいね、一万円もあれば足りるかしら」
「え、うん」
自分のお母さんだけど、常識がないなって思った。
「じゃあ、毎月1日にもらっていい?」
「いいわ、あずささんからもらってね」
あずささんはお母さま付きのお手伝いさんだ。なんで1日かって?だって翔君がいつも1日にもらってるって言ってたもの。
「ねえ、お母さま、茜ちゃんはお小遣いもらわないの?」
お母さまは私の口から茜という言葉が出てびっくりしたようだった。
「茜ちゃんは……お父さまが考えると思うの」
「どうして?お母さまがあげたらいけないの?」
「いけなくはないけど。すみれにばれたら何を言われるか……」
お母さまはうつむいた。
「茜ちゃんはおばさまの子じゃないのに?」
「茜のことを大事にしてくれているから……」
「紅のことは?おばさまは紅のことは大事じゃないの?」
「紅……」
お母さまは苦しそうに黙り込んだ。お母さまを責めてはいけない。この人は弱い人なのだ。茜ちゃんのことは今は置いておこう。
「ごめんなさい、お小遣い、楽しみにしてるね」
私はニコッと笑った。お母様はほっとした顔をした。
お小遣いをもらった話をすると、茜ちゃんはうらやましそうにした。
「いいなあ、私もお金使ったことがないの」
「じゃあ、一緒に買い物に行こうよ」
「一緒に?」
茜ちゃんの目がキラキラと輝いた。
「うん、2人で貰ったことにすればいいよ」
「ありがと!私ね、木曜日だけ習い事がないの」
「私も木曜日はないの。どこで待ち合わせしようか」
「紅ちゃんの学校まで遠いんだよね……」
「茜ちゃんの学校までも……」
「プッ、フフ」
「フフフ」
同じ位遠いの、当たり前だよね。
「私が茜ちゃんの学校に行くよ。校門前でいいかな」
「いいの?児童会があって、3時までかかるから、じゃあ3時半で間に合う?」
「木曜日は5時間だから大丈夫!」
さっそくお小遣いから交通費がかかるけど、大丈夫!茜ちゃんの学校はお勉強だけでなく、児童の自治を尊重していて、児童会があるんだって。役員は5年生からだけど、4年生も見込みのある子はお手伝いさせられるんだって。
「これでも優秀なんだから」
「知ってる。でも茜ちゃん、案外人見知りなのに児童会なんて大丈夫?」
「小さい頃も紅ちゃんの方が誰にでも話せたよね。でも大丈夫!学校ではしっかりしてるから」
次の木曜日は、ワクワクしながら電車に乗った。茜ちゃんの学校は駅から5分、通学なんかに勉強の時間を取られないようにってことかな。少し早く着いて、校門の前で待っていたら、チラチラと見られている。
千代さんによると、私たち姉妹はキレイな顔立ちなんだって。キレイだからこそ、嫌われないように、愛されるためには優しい表情と笑顔だって教えてくれた。少し茶色い髪の毛を、サイドから後ろでふんわりまとめるやり方。落ち着いてキレイに見える立ち方や座り方。ご飯の食べ方。みんな千代さんが教えてくれた。
お母さまの言う、愛される人と言うのはわからないけれど、人をいやな気持ちにさせるよりは、優しい気持ちにさせた方がよいと思う。そうして今でも千代さんの言う通りに振る舞っている私は、遥ちゃんによるともてるらしい。らしいというのは告白なんてされたことないから。
優しく見えていたらいい。チラチラ見られるのは、よその学校の子どもだから?それとも茜ちゃんと似ているからかな?
「華原さん、早いね?」
突然声をかけられた。そこには翔君と同じ位の男の子がいた。
「え、髪が長い?人違い?」
真っ赤になって、あたふたしている。茜ちゃんと間違えたのか。ちょっと嬉しい。私はその気持ちのままに話しかけた。
「茜ちゃんと間違えたのかな?私は華原の、ベに。茜ちゃんの妹なの。茜ちゃんはまだ学校かな?」
「う、い、いもうとか、華原なら、児童会で、児童会は終わったから……」
「紅ちゃん!」
茜ちゃんが走ってきた。
「遅くなっちゃった?」
「平気。楽しみで早く来ちゃったの」
「楽しみだね!どこに行こうか」
「茜ちゃん、駅から来る途中にスーパーがあったよ。そこに行ってみよう」
「うん」
私は男の子の方を向いた。
「茜ちゃんと会えたよ、ありがとう」
「あ、二階堂」
「今気づいたのか、華原……」
茜ちゃんにやっと気づいてもらえて脱力する二階堂君に私はもう1度言った。
「ありがとう。二階堂君。またね」
「ああ、うん、俺、ヒロト。ヒロトって言うんだ。大きく翔けるって書いて、ヒロト」
「ヒロト君?」
「そう、あ、またな、紅」
「またね」
手を振って別れた。
「紅ちゃん、すごいね」
「何が?」
「二階堂。女の子苦手らしくて、話しかけたりしないのに」
「ああ、茜ちゃんだと思ったみたい。華原って声をかけられたから」
「児童会でいっしょなんだよ」
「そうかー、茜ちゃんも友だちいっぱいいるんだね」
「学校が一番楽しいよ。でもライバルでもあるから」
「ライバル?」
「勉強の。負けらんない」
「そっちがすごいよ……」
その日はスーパーに寄って、悩みに悩んで、怪しい色をした練って食べるお菓子を買った。茜ちゃんは見つからないように私の部屋にお菓子を隠した。もったいないから、後で食べるって。