1年目の夏2
私たちが待ち合わせたのは、家から5駅離れた隣の区の公園の前の信号だ。私の通う小学校のあるところ。これから一週間、親に内緒でこの公園で野宿するのだ。家出?とんでもない、ちゃんと戻ります。ただ、おばあさまの家に行く予定を、一週間早めてちょっと寄り道するだけだ。そしてこれは、私たちの賭けでもある。本当の家族を取り戻すための。
おばあさまはお父さまのお母さま。ここから新幹線に乗って北に3時間、それからバスに乗り換えて3時間かかるところにおじさまと一緒に住んでいる。大地主なんだって言うけれど、よく分からない。お父さまもお母さまもおばあさまの所には行きたがらないし、連絡もしない。私が言った日程で疑いもしないんだもの。去年で確認済み。
私たちは双子だけれど違う小学校に通っている。私は伝統のある私立の小学校。幼稚園から大学まである。茜ちゃんは高校まで一貫の進学校だ。
思い返せば、私たちは幼稚園に入るまでは普通の家族だったと思う。入り婿のお父様も、事業をしっかり引き継いでおじいさまの信頼もあつく、忙しかったけれど家にいる時は優しかった。
私と茜ちゃんは喧嘩もしたけれど、2匹の子犬のようにいつもじゃれあって仲が良かったのですよと、千代さんが言っていた。千代さんは年をとってもうやめてしまったけれど、お手伝いの人だ。私も覚えている。いつでもいつでも茜ちゃんがそばにいた。お母さまは優しくそれを見守っていた。
そして一緒に住んでいたおばあさまが亡くなった。その後すみれおばさまがこう言ったのだ。
「双子でもこんなに性格が違うんですもの、適性に合わせて学校に通わせるべきではなくて?」
性格?私が落ち着いてのんびりしていて、茜ちゃんが少し活発なだけ。そんなに違わなかったと思う。
「華原を継ぐのは1人だけ。私だって幼い頃からもっとしっかり勉強できていたら、家を出た後で楽だったのにって、ずっと思っていたの」
おばさまは姉なのに家を出た。おじいさまの会社に入ったお父さまを、おじいさまが気に入って華原の家を継がせたいって思った時、お父さまが選んだのはお母さまだった。おばあさまとおじいさまはそれを気にやんでいたから、おばさまの言うことはたいてい何でも聞いた。
「双子で違う学校だなんて、大人になってから思い出が重ならないわ……」
「あら、ゆかり、一緒の学校に行ったって、同じ想い出なんてないじゃない、私たち」
不安そうに言うお母さまに、すみれおばさまはそう言った。活発で生徒会にもいたおばさまと、おとなしくて静かだったお母さま。学校でもほとんど接点がなかったそうだ。
おばさまにも子どもはいる。私たちと同じ年、双子の蒼と碧という。そうとあおって読むの。お母さまとお父さまが結婚を決めてすぐに、自分で相手を見つけて結婚した。双子の家系ってあるらしいけど、双子多すぎなんじゃないって友だちの翔君が言って、人の家のことアレコレ言うんじゃないって遥ちゃんに怒られてたっけ。翔ぶと書いてかけると読む。カッコよすぎてカッコ悪い名前だって苦笑いしていた、翔くんも遥ちゃんも私の小学校の仲良しだ。
多すぎって言われてもどうしようもないもの。この2人は、つまりいとこなんだけれど、おばさまが連れてこないからめったに会わない。茜ちゃんは一緒の学校だから会うけど、仲は良くないんだって。
「だってすみれおばさま、うちによく来て、私の教育に熱心じゃない。お母さんを取られたような気がしてるんじゃない?」
「茜ちゃんの事が大好きなのね、おばさまは」
「違うわ」
茜ちゃんは暗い顔をした。
「おばさまはね、お父さまのいる時しか来ないのよ、知ってた?紅ちゃん」
「……うん」
知っていた。お母さまも知っている。知らないのは多分お父さまだけ。ううん、知らないといいな、と思ってる、って、言うのが本当の気持ち。
別々の幼稚園に入って、帰ってからも習い事に行かされる私たち。食事の時間もバラバラで。自立するよう部屋も分けられてしまった。何を言っても、
「いずれ自立する紅のため」
とおばさまに言われれば、おとなしいお母さまに抵抗できるはずもなく。私はやんわりと甘やかされ、小学校に入る頃にはいつの間にか家族はバラバラになっていたのだった。私は知っている。茜ちゃんには厳しくしなければならないのに、私にだけ優しくするのは茜ちゃんに申し訳ないってお母さまが思っていることを。私を見ると茜ちゃんを思い出すから、私のことも見ないようにしてるってことも。
翔くんの家に遊びに行って、楽しくて遅くなってしまった時、ご飯をごちそうになった。そこにはお兄さんがいて、お姉さんがいて、お父さんもお母さんもいた。翔くんのうちは老舗のお菓子屋さんだ。有名なお土産屋さんとして工場生産もしているけど、本店は手作りが売り。朝は早く働くからご飯は別々だけど、夜はなるべく一緒に食べるんだって。お兄さんは中学生で、お姉さんはなんと高校生だ。
「だから翔君は大人っぽいんだね」
私が言うと、
「翔が?ちゃんちゃらおかしいわ」
とお姉さんが言った。ちゃんちゃらおかしい?憶えておこう、いつか使えるかもしれない。私はお姉さんを憧れの目で見た。
「紅、それ今どきの人は使わない。姉ちゃんおかしいから憧れるなよ」
「かーけーるー」
「二人とも、紅ちゃんがあきれてるぞ」
お兄さんがそう言って止めた。
「いいなあ」
ふと口からこぼれた。お姉さんが聞きかえした。
「何が?」
「誰かとご飯。久しぶりだから」
「え、紅ちゃん、お母さん働いてた?」
「ううん。うちはみんな1人ずつご飯なの」
お父さまと食べたのはいつだったかな。お父さまがいる時はいつもおばさまと茜ちゃんと食べるから。お母さまは夕ご飯はほとんど食べないし。
「だからおいしい。お代わりしてもいいですか」
山盛りのご飯をよそってくれたけど、
「食べすぎてはだめよ、太るから」
って言われた。
「太っていてはダメなの?」
と聞いたら、
「太っていても健康ならいいの。かわいいし。でもね、食べ過ぎや偏った食生活は、大人になってから体を悪くするから、子どもの頃からきちんとした習慣をつけないとね」
と言ってくれた。大人になったら。華原の家を継いだら。私の役目はそれで終わりだってお母さまに言われてるって言ったら。
「結婚して終わりなんて、そりゃないよ。子どももできるし、子どもが大きくなったら働くもよし、したいことするのに、健康じゃなきゃしょうがないでしょ」
あきれたようにおばさんが言った。お母さまは?私が大人になったあとのこと、考えてないから太っていてもかわいいって言うのかな。
「結婚した後の生き方、お母さん自体がわからないんだろうねえ」
おばさんがため息をついた。大人なのにわからないことがあるのかな。
「いっぱいあるさ。そうならないように、翔も紅ちゃんもちゃんと勉強するんだよ」
「ちぇー」
翔君が口をとがらせた。ごまかされたような気がする。でもね、
「いつでもご飯を食べに来てね」
って言ってもらった。おばさんもお姉さんも優しい目をしていた。その時、なんとなくおかしいと思っていたことが、本当におかしいのだと、同情されてしまうほどの事なんだとわかったのだった。
そうしてご飯をごちそうになって遅くに帰ってきても、誰も何も言わなかった。千代さんが二年前に辞めてからは、お手伝いさんは新しい人ばかりだ。ご飯は出してあるけれど、食べても食べなくても何も言われないし、お母さまはお茶の会にお出かけして何も気づかない。お母さまは今はお茶の会に凝っていて、よくお出かけをしている。おじいさまとお父さまはお仕事で帰ってこない。
私は自分の部屋に戻ると、ベッドに腰掛けた。そしてこんなに大きな家なのに、私と茜ちゃんがいるはずなのに、なんで誰も気にかけてくれないんだろうって考えた。
そしてふと気づいた。誰も気にかけてくれないってことは、何をしても自由って事じゃないの?