3年目の夏5
華原家が去り、藤堂家が残った。
「まあ、みんな座ろうか」
恭一が言い、残り3人はしぶしぶ座った。手をつけられなかったデリバリーがテーブルにそのまま残っている。
「なんで、私今日みんなにこんなに責められるの?いつもと同じことしかしていないのに」
すみれはぽつりと言った。蒼と碧は疲れたのか少しぼんやりしている。
「私はね、すみれ。そうやってがんばってる、いつも一生懸命な君が好きだから、結婚したんだ」
「恭一さん」
すみれはほっとしたような、恥ずかしいような気持ちだった。いつもいい子の蒼や碧だけでなく、ゆかりにまで責められた。晴信さんのことも責めたわけではないのに、そんな風にとられてしまった。
「でもね、君は私のどこがよくて結婚したのかな。ずっと思ってたんだ。ゆかりさんへの当て付けじゃないかって」
「違うわ!私自分が活発だからか、静かな人が好きなの。でも静かな人はみんなゆかりが好き。事業で成功しているのに浮わついたところのない、静かなあなたがとても素敵で。まさか私を選んでくれるとは思わなくて。ゆかりの結婚とはたまたま時期が重なっただけ」
「そうか」
恭一は大きく息を吐きだした。
「それを聞けてよかったよ。私だけは、最後まで君と一緒にいるから」
「ありがとう?」
「だから蒼と碧ときちんと向き合って」
すみれは6年生になってから呼び出しが多くなった蒼と碧を扱いかねていた。この一ヶ月ほど、呼び出しがなくなってほっとしていたのだ。だから今回も、仕事を断ってまで見に行かなくても大丈夫だと、少々甘い気持ちでいたことは否めないのだった。
「蒼、碧、今日は行けなくてごめんなさい。今度何かあったら絶対に行くから」
「今度っていつだよ!」
碧が怒鳴った。
「今回のスピーチはな、小学生の大会で、学校で2人しか出られない貴重なものだったんだ。出るのがどんなに大変なことか」
「あなたたちなら中学に行ったってそんな機会はあるでしょう」
「中学生になったらもう来なくていい」
「蒼?なんでそんなこと……」
「よかったねお母さま。もう俺たちにわずらわされないよ」
蒼が冷たく笑った。
「最後の機会だったんだ。俺たちはもうお母さまより大きくなった。一度でいいから、大事に思ってもらいたかった。かわいがってほしかった。普通の子どもみたいに抱きしめてほしかった」
碧も続けた。
「去年の夏休みにさ、紅と茜が、ゆかりおばさんと一緒の布団に入ってさ、とんとんってしてもらってた。俺たちもさ、そうやって、何にも追われずにゆっくりとお母さまと過ごしてみたかった」
蒼と碧の目から涙がこぼれた。そして碧がふっと笑った。
「温かかった。俺、初めてしっかり抱いてもらったのがいとこなんて、ちょっと恥ずかしいや」
すみれが何も言えないでいると、2人は席を立った。
「あ、ごはんは……」
「いつも食べてるかどうかなんて興味ないだろ。今日はもう休むよ。疲れたんだ」
「ああ、おやすみ」
「「おやすみ」」
2人は部屋に戻ってしまった。
「あ、私……」
「すみれ、それでもまだ『私』なのかい?」
すみれは戸惑った目で恭一を見た。
「蒼と碧、実は私もだけど、華原の晴信と茜がどんなにうらやましかったことか」
「恭一さん」
「彼らに向ける関心のほんの少しでも私たちに向けてくれたらって」
「……」
「急に言われてもわからないかもしれないね。でも、甘え過ぎてはいないかい?」
「甘え?」
「私が側にいるのが当たり前。蒼と碧がいい子で手がかからないのが当たり前。自分が家族にわずらわされずに仕事ができるのが当たり前。人の家のことに干渉をしても、怒られないのも当たり前」
「……」
「自分がやりたいこと全部やって、忙しいのも当たり前。でもね、君はやりたいことやっているのに、蒼と碧は本当にやりたいことをやっているの?茜と紅は?ゆかりさんは?みんなの幸せを、君が決めつけてはいない?」
「わからないわ……」
「考えて。そして傷ついているのは蒼と碧だってこと忘れないで。君は今、息子を失おうとしているんだよ」
蒼と碧がいなくなる?一見今と変わらないように思える。そのくらい忙しい生活をしてきた。でも。
子どもたちが大きくなるのが楽しみだった。赤ちゃんのころの蒼と碧、茜と紅を見てkiraを立ち上げたのだ。一日一日大きくなる子どもたち。子どもたちに似合う服をと思って、それでデザインを考えたのだ。だから蒼と碧が、そして茜と紅がモデルで似合わないわけがない。そのために作っているのだから。紅が太った時だって紅に似合う服を一生懸命考えてはいたのだ。実現はしなかったが。
子どもを見ていなかったわけではない、と思う。でも外側しか見ていなかった?蒼と碧がモデルになって、うれしかった。蒼と碧の目が私を見るのがうれしかった。でも、私は?自分の生活のうち、どのくらいを蒼と碧に割いていたのかしら。
茜が気になったのは?自由に勉強させてやりたかったから。晴信さんは?好きなだけ仕事をしてほしかった。恭一さんは?素敵だとは思う。でも、恭一さんは何がしたいのかわからない、から手伝えない。ゆかりは?双子なのにいつも何がしたいのかわからなかった。紅は?わからないわ。蒼と碧は?いるだけでいい。私にとっては。でも蒼と碧にとっては?
私にとっておばあさまはどうだったかしら。いつも活発な私に手を焼いて、放っておかれたと思う。いつもゆかりといて。ゆかりだけの母親で。
やりたいことを自分から言わない人をどうしていいかなんて知らない。
「すみれ?」
「恭一さん……」
「蒼と碧は、すみれにやってほしいことをちゃんと言ったよ」
何だったかしら。大事にしてほしかった。かわいがってほしかった。抱きしめてほしかった。一緒のお布団に。とんとんって。ゆっくりとすごす。
無理だわ。忙しすぎる。
「ほんとに無理なのかい?君は何のために、誰のために仕事をしているの?」
蒼と、碧に似合う服を着せたいから。蒼と碧に着せたい。私が。では、蒼と碧は何をしたいの?もとに戻ってしまった。
「君は母親なんだよ。君のお母さまは、自分だけ好きなことをしていたかい?」
いつも自分のことは後回しで。そんな生き方はいやだったから。
「でも、否応なしに母親なんだよ。君は自分の母親の育て方がいやだったんだろ。ならばなぜ、子どもたちが嫌がることをするの?」
いやがること。構わないのがいやなの?私は構われたくなかったのに。どうしたら。どうしたらいいの。
「とりあえず、練習しようか。難しいことじゃないのにな」
「恭一さん」
恭一はすみれの側によると、そっと抱きしめて背中をとんとんとした。そんなふれあいも久しくなくて。そう、小さい頃は。結婚したばかりのころ。蒼と碧が生まれてしばらくは。そう。こんな風にしてくれていた。自分だって蒼と碧にしていたじゃないか。
「私も向き合うから。すみれも考えて」
「……はい」
一方、部屋に戻った蒼と碧は、果てしなく暗い気持ちでいた。一年間、何のためにがんばったのか。最初からあきらめて、これから来る自分だけの人を待てばよかったのか。
いつまでも涙を流している場合じゃない。だけど胸に何か硬いものがあって、苦しいんだ。
ベッドにうつ伏せていると、ノックもなしにドアが開いた。蒼だ。
碧は自然に窓寄りに移動した。隣に蒼がどさっと倒れこんだ。お互い何もしゃべらなかった。
しばらくして蒼が言った。
「なあ、今日一緒に寝ていいか」
「いいけど」
めずらしい。仲の良い2人だが、一緒に寝たのなんて茜と紅の田舎に行って以来だ。
「一人でいたら、暗い何かに落ちて行きそうなんだ。碧といたらきっと、沈まないでいられる」
「ああ」
きっと明日になれば普通でいられる。今まで通りに。寝れそうもなかったはずなのに、2人はあっという間に眠りに落ちて、次の日遅くまで起きてこなかった。
そして、月曜日、それでも学校は始まる。
「おはよう、お母さま、めずらしいね」
「え、ええ、少しでも、あの、一緒に」
「そう、ありがと」
蒼はニッコリほほ笑んだ。でも目は合わなかった。碧は無視して、だまって出て行った。
「すみれ、少しずつだ」
「ええ」
伸ばしたことのない手を伸ばすのは難しい。




