3年目の夏3
「いったい何が始まっているんだい?紅」
「え、と、その」
私は目が泳いでいたと思う。茜ちゃん、助けて!
「お、お父さま、そう言えば学校でね」
「茜、ごまかされないよ」
お父さまは静かに言った。この間の食事会の後、私と茜ちゃんはお父さまに追及されていたのだ。
わたしたち4人は仲良しだ。だから一緒にご飯を食べるのはおかしいことではない。でも、蒼と碧は明らかに無理をして明るくふるまっていた。お父さまですら気がつくほどに。
「仕方ないね、すみれさんに聞いてみようか」
「待って、せめて恭一おじさまに!」
「……なるほど。恭一は知っているんだね」
「「……」」
「紅、茜」
蒼、碧、ごめんなさい。共犯者は隠ぺい工作ができませんでした。
「お父さまは感心しないね。2人はボロボロじゃないか」
「でも、4年生のころからがんばってたんだよ。モデルだって、すみれおばさまに見てもらいたいためだけにやっているのに」
「私もすみれのこと言える立場じゃないけど」
お母さまがそっと話し始める。
「すみれはもっと蒼と碧を見るべきだと思うのよ。いつも2人はすみれを見てる。その視線を当たり前だと思っているのよ、すみれは」
「お母さま」
「いつもいつもそうだった。目立つすみれは誰からの視線も独り占めにして、顧みようともしない。すみれ目的で私に近づく男の子もいっぱいいたのよ。私の好きな男の子だって」
「ゆかり?」
お父さまの眉がぴくって動いた。
「晴信さん、いやだ、中学生や高校生のころよ、そんな男の子たちには見向きもしなかったけどね、すみれは」
「いや、そっちじゃなくて、ゆかりの好きな男って」
「晴信さん、今は蒼と碧のことよ」
お母さまがたしなめた。
「そうだな。もしかして蒼や碧が最近サボっているのは……」
「うん……」
私も茜ちゃんも返事はしたけれどうつむいた。
「バカな……。そんな反抗期の不良のようなことを。あのまじめな蒼と碧がか」
お父さまがあきれたように言った。
「それまでだってがんばってたんだよ。やりたくないモデルまでやって。いい子になるよう努力して。その結果が無関心じゃない!」
茜ちゃんが叫んだ。
「でもな、すみれさんにはもっとこう、直接言わないとだめなんじゃないのかい?かなりはっきり言わないと通じないぞ?」
「そして当たり前のような顔で、大事に思ってるわよって言われたらどうするの?ぜんぜん大事に思っていないのに」
「大事に思っていないことはないと思うが……」
「通じてなくっちゃ意味がないの!」
「そして伝えてくれなくちゃ意味がないの!」
私と茜ちゃんは交互に言った。
「私だって紅ちゃんだって、大事にされなかったなんて思ってない。だけど、子どもだよ、私たち。考えて考えて、そうかもしれないってやっとわかる大事さなんて、何の足しにもならないよ!」
「目に見えるようにしてほしいの!」
「ごめんね、2人ともごめんね」
しまった、つい。お母さまが涙ぐんでいる。
「ごめんなさい、おかあさま……」
「いいの、いくらでも言って。もっと言っていいの。そして、お母さまにもごめんねをいっぱい言わせてくれる?悲しかったこと、少しずつ吐き出してしまいましょ。私だって泣いちゃうけど、でも、茜と紅を取り戻してから楽しいことがいっぱいだから、さしひきしてもずっとずっとプラスなの」
「「お母さま」」
「こうして抱っこできることの幸せを。すみれは知らないのね」
「蒼と碧も。とんとんしてほしいって」
「まあ」
お父さまはふっと息を吐いた。
「仕方ない、私たちのせいか。少しの間見守るけど、限界があるからね」
「「うん」」
状況は変わらないまま、7月の初め、小学生英語スピーチ大会という大会が開かれた。小規模な大会だが、英語教育を早くから取り入れている小学校同士で行うもので、うちの小学校も、茜ちゃんの小学校も入っている。他はやはり一貫校が多い。会場は各小学校持ち回り。今回は茜ちゃんの学校。
その代表に蒼と碧が選ばれたのだ。ちなみにうちの学校からは遥ちゃんともう一人男の子。6年生になってからの素行が少し問題になったけど、勉強も5年生までの実績もある。おそらくこれをきっかけに更生するかもと言う期待も込めて選ばれたんじゃないかなってハルト君が言っていた。
紅は出ないのかって?かすりもしませんよ。そんなところに出るのは面倒だもん。茜ちゃんも話すことはあんまり好きじゃないんだって。遥ちゃんはね、将来英語のお仕事をしたいんだって。高校生になったら留学も考えてるって言ってた。
開催日は土曜日だから、出場者の両親も見に来れるって言うわけ。
だから6月から蒼と碧はがんばっていた。親にアピールできる機会だからって。5月にサボっていたのはどこへやら、6月の終わりは原稿の推敲、先生とのスピーチの練習で休む暇もないほどだった。もちろん、遥ちゃんもだ。
広い体育館に椅子をいくつも並べるから、会場は結構ゆとりがあって、親じゃなくても入れるようになっている。と言うよりむしろ、祖父祖母が見に来たがるし、うちのようにおじおば、いとこが来たがるところもあるから、そのくらいゆとりがないと困るのだ。小学生で英語の大会はやはりめずらしいし、誇りに思う。
「お母さまさ、すごい喜んでくれて」
碧がうれしそうに言った。
「久しぶりに怒ってない、うれしそうな顔を見たよ。まあ、怒らせているのは自分たちなんだけどね」
「成果はどう?」
「うーん、いい感じに困らせてたと思うけど、今はスピーチ大会のほうが大事だから、どうだろ。でも、お母さまに向かってスピーチするよ。お母さまも英語得意だからな」
「英語は大事って、お母さまによく言い聞かせられたもんだよ」
蒼も言う。それはそれは楽しみにしていたのだ。
でもおばさまは見に来なかった。
私たちはあせった。恭一おじさまも、来る予定のはずだという。
壇に上がった蒼も碧も、まず私たちを見、恭一おじさまを見、安心してすみれおばさまを探し、目がさまよったのがわかった。自分が見つけられなかったんだろう、そう判断して、力強くスピーチをしたのだと思う。蒼が一位、遥ちゃんが二位、碧は生き生きとしたスピーチから、審査員特別賞をもらっていた。
授賞式でも2人の目はすみれおばさまを探していた。そして。
「お母さま、来なかったんだな」
2人の目は赤くなっていた。そのとき、恭一おじさまの電話が鳴った。
「すみれ、どうした。もう終わったぞ?え、急に?取引先が?結果はどうなったかって?あ」
蒼は恭一おじさまから電話を取り上げると、だまって通話を切ってしまった。
「仕事が、急に入ったって。結果を、ちゃんとお前たちのこと、気にして」
「いいんだ。いいんだお父さま。期待なんかしちゃいけなかったんだ。だって今までだって来たことなかったじゃないか。今回だけ特別なんて、そんなことなかったんだ」
なぜだろう。のどのところに何かが詰まって、何か言いたいんだけど何も言えないんだ。
「とにかくおめでとう。きっとお祝いになるからと思って、お店を予約しているんだよ、そこですみれさんと合流しようか」
蒼はそう言ったお父さまをきっとにらむように見ると、何か言おうとした。けれど、何も言わずに私と茜ちゃんを見た。無理しなくていいんだよ。蒼はかすかにうなずいた。
「おじさま、ごめん。帰りたいんだ」
「そうか」
お父さまは優しくそう言った。
「何か買って帰ろうか。お祝いはしないとな」
「うん」
おうちでお祝いをすることにした。




