1年目の夏1
真夏の午前中、暑い日差しがじりじり照りつけてくる。私は背伸びして道路の向こう側を眺めた。私と同じ顔をした、ほっそりした小学生が走ってくる。茜ちゃんだ。息を切らしてこう言った。
「紅ちゃん、待った?」
「大丈夫。さあ、行こう!」
「行こう!」
私たちは手をつないで歩き出した。小学6年生の夏休み、これから一週間、2人の冒険が始まる。
華原 茜、そして私が華原 紅。はなはらの、あかねとベに、この名前は、お母さまの好きな色の名前だという。
私たちは目を合わせ、くすくすと笑った。
2年前はこんな日が来るとは思わなかった。私たちは旧家に生まれた双子だ。物心ついた時は引き離され、広い邸内で別々に育てられた。時折すれ違うことがあっても、言葉を交わすこともなかった。といっても、どちらかがいじめられていたということはない。ただ違っていた。とにかく違っていたのだ。
私はしたいことは何でも許された。食べたくないものがあれば次の食事からはけして出なかったし、食べたいものはそれがどんなに高価なものでも与えられた。やりたいと言った習い事はすべてやらせてもらえ、やめたくなったらいつでもやめられた。
双子の妹である私は、大きくなったら婿をとって華原の家を継ぐのだという。紅はかわいいわね、何をしてもかわいいわ、愛される人になるのよとお母さまは繰り返す。誰にでも優しくね、素敵な人に選んでもらえるように女らしくね、という。
もともと穏やかで聞き分けのいい私は、お母さまのいうことになんの疑問も持たなかった。その結果運動嫌いでお菓子好きの私は、ポッチャリを通り越してやや太っていたが、それでもお母さまはかわいいかわいいと私に言う。。
お父さまは仕事で忙しく、ほとんど家にはいない。会社のそばのマンションにいるのだ。時折顔を出しても、私にもお母さまにもにもあまり興味はなさそうだ。
特に幸せでもなく、不幸せでもなくたんたんと日々を過ごしていたが、心の奥にはいつも疑問があった。誰にでも優しくしなけれはいけないのなら、なぜお父さまは私とお母さまに優しくないのだろう。なぜお母さまはかわいいのに、お父さまに愛されていないの?
誰にでも優しくする前に、茜ちゃんに優しくしてはいけないの?同じ家にいても、どうして話してはいけないの。双子って、仲のいいものではないの?
茜ちゃんは、離れに暮らしていて、お母さまと話した所をほとんど見たことがない。前に見た時は、
「あなたは華原の双子の姉。いずれ出ていく身なのだから、事業を起こせるくらいしっかりと学びなさい」
と厳しく言われていた。うつむく茜ちゃんは、私と同じ顔のはずなのに、まるで何も食べていないかのようにとがったりんかくをしていた。
茜ちゃんには、最高の教育が与えられているのだそうだ。難しい塾、体を作るための専門のトレーナー。おやつなんてもってのほか。栄養士に計算させた体にいいメニューを3食に、甘くないおやつ。
いくらお母さまが、あなたと茜は違うからと言い聞かせても、同じ屋敷に同じ年の子どもがいて気にならないわけがないのだ。そしてそれは茜ちゃんも同じだった。
4年生になったばかりの頃、おやつの袋を持って、池の鯉にぼんやりとエサを投げていた時のことだ。離れの障子がかたっと音がして、少しだけ開いた。そちらを見ると、茜ちゃんがいて、こちらをのぞいていた。私は慌てて周りを見渡し、誰もいないことを確認すると、そろそろと障子に近づいた。
「茜ちゃん?」
小さい声でこっそりと呼びかけると、小さい顔の茜ちゃんの大きな目が、いっそう大きくなった。
「紅ちゃん?」
「そうよ、やっと話せてうれしい」
私はばれていないかさらに周りを見渡した。大丈夫なようだ。
「うれしい?紅ちゃんて、私のことうらやんで嫌ってるって聞いた」
私はポカンとした。何それ?
「嫌いなわけないよ、双子だもん。いつも話したかったの」
「妹は頭がからっぽで話す価値がないって……」
それはひどい。
「誰が言ったの?」
「すみれおばさま。紅もお母さまとおんなじで、婿を取るだけのからっぽな存在だって。だから賢い私たちがうらやましいんだって」
おばさまはお母さまの双子の姉だ。確かに自分でアパレルの事業を起こし、特に子ども服をブランド化し世界中に店を広げているという。小さい頃はよく好きでもない服をもらっていたように思うが、今は、
「紅に合うサイズがないの。ぽっちゃり用も開発したら売れるかしら」
と言うだけだ。そして私は、実はこのおばさまが好きではない。誰にでも優しくと教わっても、自分をバカにする人を好きになるのは難しい。茜ちゃんはおばさまのお気に入りだから、そんな話もするのかな。
「ねえ茜ちゃん、私成績はいいのよ。茜ちゃんほどではないけど、からっぽではないと思うの。だからうらやましくもないし嫌ってもいなくて、できればなかよくなりたいの。だってせっかくの双子なのに、どうして話してはいけないの」
「せっかくの双子……」
「学校に行かなくても毎日話す人がおうちにいるのよ。話さないのは損ではないの」
「損って。紅ちゃんておかしな子ね。あのね、あの」
茜ちゃんがもじもじした。
「その手に持っているの、なに?カラフルできれい……」
「これはマカロン、お菓子よ」
私は茜ちゃんがゲンミツに食事を管理されている事を思い出した。また周りをうかがうが、誰もいない。
「食べる?」
「いいの?」
「茜ちゃん、怒られない?」
「隠して食べるから」
「じゃあ、はい」
「ありがとう、紅ちゃん」
茜ちゃんはうれしそうに笑った。あ、誰か来る。
「茜ちゃん、誰か来る、早く隠れて!」
「紅ちゃん、紅ちゃん……またね!」
私はそしらぬふりをして、鯉に餌をやった。離れの使用人がこちらを見たが、気がつかないふりをする。
またね、茜ちゃんはそう言った。
「またね」
私も小さな声で言った。私はやっぱりからっぽなのかもしれない。その一言で、やっと何かが満たされた気がしたから。
それから私たちは、家人の目をこっそり盗んで時々お話をするようになった。四年生になったばかりのころだ。私はおやつを持って茜ちゃんの部屋に忍び込む。時には茜ちゃんがやってくる。夜遅くに。何となく離されて暮らしていたけれど、よく考えたら、私たちが会うのを止める人は誰もいない。住み込みのお手伝いさんはお母さま付きのあずささん一人だ。あとは通い。住み込みの満足のいくお手伝いさんは雇うのが難しいらしい。夕御飯をそれぞれ食べたら、そのあとは自由時間。寝るまで誰も見に来ることなどしなかった。
そうとなったらお互いの部屋を行き来するのに何の悪いこともない。三歳までは、一緒に育てられたのだ。もともとの仲良しだもの、また仲良くなるのも早かった。あるとき茜ちゃんが言った。
「私ね、紅ちゃんがからっぽって聞いてね、いつも思ってたことがあるの」
「何を?」
「私たち、学校で人の悪口言っちゃいけませんって習うでしょ?なのになんで大人は平気で悪口を言うんだろうって」
「ほんとだ」
私は茜ちゃんに言われて初めて気づいた。
「ぽっちゃりだから着れる服がないっていうのは悪口かな」
「ぽっちゃりって言った時点で悪口だと思う。体の特徴のこと言ったらいじめになるって先生言ってた」
「やっぱり」
うーん。いやな気持ちがしていたのは悪口だからか。
「でもね、私は周りの大人から悪口聞いたことないな。おばさまがいやなこと言うくらい」
「そうか、紅ちゃんは恵まれてるね」
「そうかな、でもね」
私はちょっとためらった。
「私も茜ちゃんみたいに、お父さまと話をしてみたい」
「話したことないの?」
「うん、ここ一年くらい」
「私だって、勉強の調子はどうかって聞かれるくらいだよ。じゃあね、じゃあね、私も」
「茜ちゃんも?」
「お母さまに、茜ちゃんはかわいいわねっていわれたい」
「……」
そうだよね、どちらかというと、お母さまから引き離されたのは茜ちゃんなんだ。私は一応、お母さまとは話すこともあるから。でもね。
「かわいいわねって言われなくていいから、お母さまと一緒にご飯が食べたい」」
「紅ちゃんも一緒に食べてないの?」
「うん、千代さんがいなくなってから、いつも一人。もう二年くらい」
「誰とも?」
「誰とも」
「……」
茜ちゃんは黙り込んだ。
「でも、ほら最近、茜ちゃんと話せるようになったから」
私は嬉しくなって言った。
「毎日が楽しいの」
「私も。紅ちゃん、私も」
ちょっと太めの私と、ちょっと細めの茜ちゃん。優しくする人ができました。