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ワールド・アドミニストレーター  作者: あやねいおり
5/6

始業式

 冬の寒さはなくなり、すっかり暖かくなった日。

 桜はギリギリ満開といった時期。

 新しく新生活を始める新入生たちを向かえた式の翌日。今日からは新しい校舎、新しい学年での生活が本格スタートする。

 始業式が終わり、早速始まった授業に戸惑いながらも挑む生徒たち。

 短いながらも満喫した春休みの気分が抜けない生徒。

 新しい学年の授業について行けるか不安な生徒。

 未知の一年に希望をいだく生徒。

 それら様々な生徒のどこにも所属しない少女がいた。ときだ。

 教壇に立つ教師の声と、黒板をたたくチョークの音が、ほのかに響く、廊下の先の階段。

 それが、今の彼女の居場所だった。

 授業中に教室にいない彼女は、見とがめられれば、すぐにでも職員室へご招待だ。

 しかし、不安と戦っている様子はない。

 ただ、そこで授業が終わるのを待つ。それだけだ。

 なおまさの授業が終わるのを待っている。

 今日、一日どのような行動をするのか、それを監視している。

 今のところ、生徒会長ことたかみやずみと出会った様子はない。しかし、いつどうなるかわからない注意深く観察する必要がある。

 観察を始めてすぐにわかった。貴宮と出会う前の彼は時得の知らない雰囲気をまとっていることを。これなら、万が一、与儀と貴宮との出会いを見逃していたとしても、すぐに分かるはずだ。

 今の与儀は人を拒み、黙々と自分の目的を達成するために動いているように感じる。簡単に言えば、ほぼ孤立していた。

 時得は、待っていた、そのときを。

 今回も転校すれば良かったのではないか、と思い始めた頃。校内に生徒たちにとっての福音が鳴り響いた。

 四時限目の終了を知らせるチャイムだ。

 校内が一斉ににぎやかになる。

 教室を勢いよく飛び出し、購買部でのパン争奪戦に赴く生徒。

 弁当箱の入った手提げを抱えて、廊下を歩く生徒。

 クラスの仲良しグループで机を囲む生徒。

 どんな昼休みを過ごすかは十人十色で、それぞれで輝いていた。

 肝心の与儀は、と言えば。

 不機嫌そうに廊下を歩いていた。

 どうやら弁当を忘れたらしい。教室を出るときに、数少ない友人に購買部へ行くことを伝えていた。

 廊下をずっと歩いていくのかと思っていると、校舎をつなぐ渡り廊下の途中で方向を変えた。中庭を通過するつもりらしい。

 与儀の教室から購買部への最短ルートだ。他にも中庭を往来している生徒はたくさんいる。アスファルトで舗装されており、指定の上履きになっているスリッパで歩いても、問題視されないらしい。

 与儀の後ろ姿を見守る時得の視界にある人物が入った。

 生徒会副会長のともながだ。

(あの娘がいるのなら、貴宮伊純もいるはずです)

 彼女は二階の渡り廊下を歩いていた。その後ろを追いかけるように渡り廊下を走る貴宮の姿が見えた。

(このタイミングで出会うことはなさそうです)

 油断した。

 今回は、出会いの瞬間を見極め、どのように阻止するかを検討するための偵察だ。具体的な阻止行動をするつもりがなく、気が緩んでいたのかもしれない。

 時得が、気づいたときにはことは起きていた。

 友永に駆け寄る貴宮がつまずき、持っていた、弁当の入った巾着が宙を舞った。

 そして、中庭を歩く与儀の手に収まった。

 まるで、映画のワンシーンのように。

 落ちてきた物体に疑問を持ちながらも見上げる与儀。

 その与儀に対して手を振る貴宮。

 何やら声をかけて、また、走り出した。

 友永はあきれるようにめ息をつき、後を追いかける。

 程なく、与儀のもとに貴宮・友永の二人が現れる。

 何やら話し込んでいる。

 与儀が興奮気味に話しているようだ。

 そして、時得は目をつむる。

 

 ◇

 

 お昼休みの開始を知らせるチャイムが鳴り響く。

 始業式が終わり、今期初めての昼休み。校内に広がる雰囲気がガラッと変わる。

 時得は、校舎をつなぐ渡り廊下に立っていた。

 待ち伏せをする作戦だ。

 ここで、話しかけてタイミングをずらす。たったそれだけで、すべてが変わる。

 廊下の向こうから与儀が歩いてくる。

 タイミングを見計らって飛び出す時得。

「わっ」

 驚きの声が聞こえた。

 転ぶくらいの勢いで突っ込んだはずなのに、いつまでもぶつかる気配はない。勢い余った体の行く末はひとつで、本当に転びそうになる。

 しかし、床や壁と激突することはなく、そっと優しく受け止められた。

 見上げた視界には、与儀の顔。

「大丈夫?」

「はい……」

 与儀の出会いを阻止しようとして、自分が出会ってしまっていた。しかも、ラブコメ定番のシチュエーションだった。

 抱きかかえられた状態から、静かに床に下ろされる。

 思わぬ状況にほうけてしまった。しかも、これで目的は達成されたと油断してしまった。しかし、それは大きな間違いであることに、すぐに気づかされる。

「ごめん、急ぐから」

 廊下に座らせた時得を置き去りにして走り去ったのだ。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 時得の願いは聞き遂げられない。

 仏頂面で謝罪した与儀はすぐに中庭に到達し、歩き出した。

 歩きながら与儀は自分の両手を見る。

「柔らかかった……」

 決していやらしいことを考えた訳ではないのだが、与儀の率直な感想だった。

 年頃の女子を抱き留めた感触は、繊細で柔らかだった。

 もちろん、手を握ったことくらいあるし、振れたことくらいはある。だが、今日のは一味も二味も違う。自分が格好良いと勘違いしてもおかしくないシチュエーションだ。

「きゃーー」

 穏やかな昼休みを切り裂く悲鳴。

 声の聞こえた方向。つまり、上を見ようとした瞬間、何かが視界を通過した。上から下へと。

 そして、手の平から腕へと大きな負荷が襲いかかる。

 広げた手の中に何かが収まっていた。

 それは、和風な生地の巾着袋に入った弁当箱らしきものだった。

 先ほどの悲鳴は、これの落とし主なのだろう。そう思い見上げる。

 そこには、両手を合わせて感謝、若しくは謝罪を示す女子生徒がいた。

「ありがとー。今、取りに行くから、申し訳ないけど、そこで待っていてくれるかな?」

 落とし主が取りにくるらしい。当然だろうと思いつつ、与儀は黙ってうなずく。

 もう一度、落ちてきた巾着袋を見て思う。

「よく何かを受け止める日だ」

 もちろん、女子と小さな巾着袋は全然違うものだ。しかし、何かが引っかかる。心のどこか。

「いや、今度はちゃんと受け止められた……か?」

 何が、ちゃんとなのか。

「お待たせ、ゴメンね」

 目の前に立った女子生徒。リボンの色から、どうやら先輩らしい。その存在が、与儀の思考を遮る。

「いえ」

 どうせ、ハッキリしない内容だったのだ。気にしても仕方がない。

 姫カットの長い黒髪を元気に揺らして、軽くお辞儀をした。

「ありがとう、あなたのおかげで私のお弁当が救われたよ。危うく私の未来ごごが真っ暗になるところだったよ」

「大げさね。購買部でパンでも買えば良いのよ」

「大げさじゃないよ。死活問題だよ」

 お弁当を落としたという女生徒の後ろを歩いてきた眼鏡で性格のキツそうな女生徒が、冷静な突っ込みを入れた。

 それに対して姫カットの女生徒は、泣き真似まねをして抵抗してみせる。

 女子同士の戯れ。

 ありがちな日常。

 だが、与儀がそこに興味をひかれることはなかった。

 普通なら各自の仲でのえポイントを見いだしていたはずだ。しかし、与儀にはそんな余裕はなかった。

 思い出していたのだ。過去に受け止めたくて受け止められなかったモノのことを。しかし、その失敗は否定されることなく、未来を救ったと認められた。そして、何か救うつもりで、何よりも一番、救われたのは自分だった。ずっと罪の意識しかなかった思い出の中に、救いがあったのだと。

「あなたは、もしかして購買部へ行くところだったのかな?」

「はい」

 姫カットの女生徒が問い掛けに、かろうじて答える。

 既に、目の前の女生徒を真っぐに見られなくなっていた。

「となると、もうほとんどの商品が売り切れてしまっているわね」

 もうひとりの眼鏡の女生徒が、絶望的な事実を突きつける。

 そうなのだ、この学校の購買部(と言っても近所のパン屋の出張所)の入荷数は少なめでいつも争奪戦になる。早めに買いに行かないと好きな商品どころかお昼ご飯にすらありつけない。まだ、残っているかもしれないが、文字通り売れ残りだ。

「そっかー。申し訳ないことしちゃったね」

「いえ」

 近くのコンビニまで買いに行けば良いことだ。少し面倒なだけだと、きびすを返そうとしたとき――。

「一緒に食べよう」

「?」

 言っている意味が分からない。たった今、与儀はお昼ご飯の調達に失敗した。そう言う話になったはずだ。

「お礼に、私たちのお弁当を分けてあげるから。ね?」

「ちょっと待ちなさい。『たち』ってどう言うことかしら?」

「言葉どおりだよ」

「その言葉どおりを確認しているのよ」

「やだな。私とかなちゃんのお弁当を、お礼としてこの子に分けてあげるのよ」

 そう言って、与儀を紹介するかのように手の平で差し示した。

 正直、与儀は二人の展開、いや、漫才について行けてなかった。

 完全に勢いに飲まれ、結局、なされるがままに昼食を一緒にることになった。

 

 ◇

 

 授業が始まり静寂が広がる校舎の屋上。

 時得はひとり力なく座っていた。頭が後ろへ大きく倒れ、視界には青い空が広がっている。

 未来などちょっとした切っ掛けで変わる。世界レベルともなれば、そう簡単には変えられないが、個人レベルなら難しくはない。

 重要な役割を担った人物が予定より早く死亡しても、代わりの人物がことを成し遂げる。因果が小さな変化を吸収してしまうのだ。細かく見れば、日付程度は幾らでも変動する。

 だから、高校生ひとりの出会いを阻止するくらい簡単だと考えていた。

 しかし、それは判断ミスで全く変更できなかった。

 いや、正確には細かいシチュエーションやタイミングはズレるものの、結果は収束した。与儀直正は、必ず貴宮伊純と出会って恋に落ちる。

 

 弁当を忘れるから昼休みに購買部に買い物に行くことになる。それならば、忘れさせなければよい。しかし、数少ない友人が代わりに弁当を忘れ、不器用に渡して、自分が買いに出かける。

 

 登校できなければ出会うこともない。登校自体を阻止した。すると始業式当日の出会いはなくなるものの、数日後に出会ってしまう。

 逆に、貴宮伊純の方をその場所に来ないように仕向けたこともあるが、結果は同じだった。

 

 どれだけ、繰り返しても与儀直正と貴宮伊純の出会いを阻止することはできなかった。

「どうして、変えられないでしょうか?」

 口にすると、あるはずのない返事を期待してしまう。

 誰か答えてほしい。

 世界情勢を変化させてしまうような大きな変更ではない。地球の未来を考えれば誤差でしかない出来事のハズだ。

 しかし、何も変わらない。

 変わらない過去に苛立いらだちが募る。

 空を見上げる瞳はうつろになり、何を見ているのかすらわからない。

 空の色を見ているのか、ゆったりと流れる雲を見ているのか。

 すがめた目は、いつを見ているのか。

 自分でも何を考えているのか、クシャクシャになってしまって定まらない。

 いつしか、永遠のように繰り返した過去を思い出していた。あのときは本当に苦労したと思う。何度、やり直しても起きる悲劇に心がすり減るのが自分でもわかった。

 本当に自分が正気でいられるのが不思議だった。いや、正気だったのかすら怪しい。

 それに比べれば、今回は大したことはない。

 だが、以前よりも消耗しているようにすら思えた。

 心理的なダメージが大きい。

 貴宮と出会い笑う与儀の顔を見ていられない。

 繰り返すたびに見せつけられる笑顔に、胸の奥が締め付けられる。

 そこには、悲しみも涙もない。あるのは、喜びと笑い。

「負の要素はないはずなのに……」

 半ば現実逃避のように、永遠に続くとすら思いかけていた過去に思いをはせる。

 

 ◇

 

 あれは、一九八五年。

 今とは違う流れで、第三次世界大戦が始まる年。

 いや、始まるかもしれない年。

 世界の流れをはある人物の生死が、大きく決めていた。

 その人物は、与儀直正の父親。

 原子力すら量がする次世代エネルギーを研究していた与儀博士。

 幼少の与儀直正と出会ったときは、まさか親子だとは思っていなかった。

 名前を聞いていなかったのだから当然だが、その後に彼を探している間に気づいても、それほど重要視はしていなかった。父親を非業の死で亡くした子供。気の毒ではあるが、それだけだと考えていた。

 あの出会いがなかったときの与儀はせめて幸せであってほしいと勝手なことを考えてしまうが、そのときのことは知る由もなかった。確かめようにも既に確かめるすべはない。一度捨てた未来に戻ることはできないのだ。

「でも、今なら分かる……。きっと……」

 与儀博士が与儀直正の父親であり、『ナルちゃんと呼んでね』と軽い感じで自己紹介したえんしげが伯母であるとわかったとき、すべてがつながったのだ。

 そして、繰り返しの中で会った、茶園博士の言葉の意味がようやく理解できた。

『私からすべてを奪った世界が憎い。だから、私から奪ったあの人の力で世界を滅ぼす。そう誓って今まで研究してきたのよ』

 すべてとは、与儀親子と、二人との生活や未来が含まれるのだろう。

 幼少の与儀と出会った時点で、既に母親は死別していた。茶園博士と与儀博士の関係は分からないが、少なくとも直正の母親代わりだったのだろう。自分の姉妹の忘れ形見なのだから。

 だから、彼女は自分の幸せを理不尽に奪った世界を許さなかった。

『あの人は、人類の未来のために次世代エネルギーを研究していた。でも、世界は違った。まず兵器として利用とした。まぁ、お約束の展開よね……。それをかたくなに拒む彼をついには殺した。手に入らないとみると抹殺しにきた。そして、あの子も奪っていった。もう、何もない。そんな世界に価値なんてない』

 世界へののろいを吐く茶園博士の狂気に満ちた顔は、今でも覚えている。

 だから、与儀直正と平和に暮らしている彼女を見たとき、すぐに気づくことができなかった。背格好も服の趣味も変わっていなかったのに、まるで印象が違ったからだ。

 与儀博士が死亡してから、その研究を引き継いだ茶園博士が一九九三年に完成させる。

 時得の良く知っている歴史では、今年の初春にその成果は発表され、一度は回避できていた第三次世界大戦が始まる。

 発表された成果は、次世代エネルギーの領域だけではなかった。小型化された超高出力な熱機関は、二本の足でそそり立つ鉄の巨人に内臓されていた。その巨人は、世界中の最新兵器など歯牙にもかけず、圧倒的な力を見せつけた。

 発表時点で、日本中の自衛隊基地に大量に配備され、その力を恐れた隣国からの核攻撃が行われたのだ。

 国土への甚大な被害とは裏腹に、その新兵器には全く効果がなく一方的な反撃が始まった。当然、世界もどちらの国を支援するかで分かれ、泥沼化していった。

 泥沼の戦いの主要因は、新兵器の設計情報が全世界に意図的にばらまかれていたことだった。そして、そのばらまきの対象に、敵国も含まれていた。

 当然、各国が競って実用化を行い、血みどろの戦いが世界中に広がるまでに、さほど時間は必要なかった。

 人ひとりの生死が、狂気が、世界を変貌させる。

 世界の崩壊を防ぐべく、時得観世は何度も世界をリセットし、過去の状態から繰り返した。

 過去の任意の時間に戻せたが、戻した時間より先の記録は失われる。一度経験していている時間でも先の状態には戻せない。

 何度も、繰り返し、彷徨さまよい、世界が存続する過去を探した。

 もう、何度繰り返したのかすら覚えていない。

 そんな中、意図せずとは言え、悲しい未来の中心にいた彼らの未来を願って手を差し伸べた。

 あの日、与儀直正と出会ったあの日。

 それが、未来をつないだ。

 与儀博士の死は避けられなかったが、与儀直正は生き延び、茶園博士の狂気は治められた。

 

 ◇

 

 時得の長い黒髪を結って作られたツインテールが風に揺れる。

 その風は優しく、春の穏やかな午前中を演出する。

 だが、時得にはそんな穏やかな日常を感じられる余裕はなく。ひたすら考えていた。

「何が足りないのでしょうか」

 今も、少年の幸せを願っている。

 正しい知識を持って苦しまずに青春を謳歌おうかしてほしい。世界と比べれば些細ささいなことかもしれない。

 しかし、それが時得の願いだ。

 それに、さいなことだからと言ってないがしろにはできない。

 以前は、近くで泣いている子供がいても放置していた。その程度のことくらいで何が変わるわけでもない、と。

 しかし、与儀を助けたときは違った。そのさいなことが世界を変えたのだ。

 何度も、やり直す中で見つけたのだ。

『やり直すって、これからのことじゃないの?』

 ふと、一年後の彼の言葉を思い出す。

 彼は言ったのだ。

――過去を認め、先に進もう――

 と。

 時間を戻せない、人としての当然の言葉だったのだろう。

 それでも、それは時得にとっては大きな言葉だった。

「そうですね。過去を変えるだけでは辿たどり着けない未来があっても良いですね」

 立ち上がる時得の表情は、晴れ渡った空のように澄み渡った笑顔だ。

 自分を縛っていた鎖を解き放し、吹っ切れた。そんな表情だ。

 春の優しい空気が良く似合う。

「でも、だからと言って、そのままって言うのもしゃくですね。あの勘違いを聞かされたときは、流石さすがにショックでしたから」

 時得は、屋上を降りる階段へと歩き出す。

 

 ◇

 

 昼休みの開始を告げるチャイムが鳴る。

 与儀は、忘れたお弁当の代わりにするべく、購買部へとパンを買いに出かけた。

 そして、廊下を歩く彼の目の前に、見慣れない女子が立ちふさがった。もちろん、全校の女子を把握しているわけではないので、実際は見慣れない女子まみれだ。

「与儀直正くんですね」

「はい」

 そして、名前を呼ばれた。与儀が警戒の色を見せたとしても仕方のないことだろう。

「君は、これから大切な人と出会います。そして、長い間、解決できなかった問題が解消するでしょう。それに気がついたら、またお話しましょう」

 そう言うと、女子はその場を離れようとするが、思いとどまり言った。

「さ、早くしなさい」

「あ、あぁ」

 何を言っているのか分からない。そう書かれた顔で与儀は答える。

 警戒心丸出しの目で女子を凝視し、その場を離れない。

「良いから、急ぎなさい。パンがなくなってしまいますよ」

 今度は、背中を軽く押された。だから、仕方なく歩き出した。

 

 ◇

 

 その後は、何度も繰り返された。安定のラブコメだった。

 

 ◇

 

 放課後の昇降口。

 与儀の前に再び、見知らぬ女子が現れた。

「ちょっと、時間をもらえますか?」

「拒否はできないんでしょ?」

 察しの良い与儀に、女子は笑顔でうなずく。

「まぁ、僕も聞きたいことあったから。いいよ」

 二人は、昇降口を出て、校舎の裏手の方へと回る。

 人通りが少なく、他人に聞かれたくない話をするには最適だ。

「私は、時得観世です」

 先を歩いていた女子は振り返ると、まずは名乗った。

 ふわりと舞うツインテールの髪と、スカートの裾。だが、今の与儀にその素晴らしさを堪能する余裕はなく、警戒の色を消さない。

「ま、そうですよね」

 時得と名乗った少女は、納得した様子で話し始める。

 幼かったあの日、木から落ちた君を助けたのは自分であったこと。

 それからずっと抱えていた悩みのこと。

 そして、その悩みは今日、解消されたこと。

 しかし、悩みが解消されたこそ、これから二年生の一年で報われない気持ちを抱えて過ごすこと。

 その後に傷つくこと。

 一年後の教室で再会した君の姿は、想像できないほど悲惨だったこと。

 そんな精神的にボロボロな君に大切なことを教えてもらったこと。

 そもそも、あの日、君を助けなければ世界は破滅していたこと。

 君に出会ったから世界の破滅を回避できたこと。

 こうして君に再会できた喜びのことを。

「これまでのことを、少しでも信じてもらえるように、お昼に会いにいきました」

 突拍子もない話をたくさんした。

 それを静かに聞いてくれた与儀は一言。

「ありがとう」

 時得は、礼を言われる理由が分からなかった。

 与儀を傷つけないようにと行動していたことは失敗に終わり、与儀はこれから不幸になると言うのに。

「時得さんが、声をかけてくれなかったら気づけなかったかもしれない。お昼休みに先輩と出会ってモヤモヤを感じたけど、その正体が分からなかったかもしれない。だからだよ」

 与儀は、時得の納得のいかないという表情に向かって、お礼の意味を説明した。

 そして、「だけど」と付け加えた上で、話し始めた。

「子供のころ、助けてくれた女の子が先輩だったら良いなって、今でも思うよ。そもそも、僕には事実を確かめる方法がないからね。だから、そうだったら良いなと思って自分の気持ちにケリをつけたい。あのときの女の子が自分だと主張する時得さんには申し訳ないけど、本当は誰でも良かったんだ」

「そんなことって」

 時得は与儀の顔を見据えて肩を振るわせる。

「時得さんの話を信じるなら、過去に戻れるんだろ?」

「それほど都合は良くありませんし、私の感覚とは少し違いますが……」

 与儀の確認に答える。おおむねの認識としては間違っていない。

「本当に過去に戻って歴史を自由にできるなら、僕と先輩の出会いを阻止すれば良かったんだ。でも、していない。できないか、してはいけない事情があったんだと思う」

「何度も試しましたけれど、君たちの出会いを回避できませんでした」

 時得の肯定に、与儀はうなずく。

「なら、やり直すなら一年後からじゃないのかな? 一年後の僕が言ったんだよね『これからをやり直そう』って、同じ人間なんだから当然かもだけど、そう思うよ」

 同じことを、また言われた。

 自分は本当に何を分かったつもりに、なっていたのだろうと悔やむ。

「傷つくのはいやだけど、それを体験してこその青春だし。そうやって限られた時間を生きて成長していくのかな。僕みたいな若造が言っても説得力ないだろうけどね」

 与儀は、落ち着いた笑顔で語る。

 もしかすると、突拍子もないことを語る見知らぬ女子に対して、哀れんで優しく接してくれているだけかもしれない。

 だが、与儀が、本当に信じてくれているとしたら『やり直すなら一年後』の意味を理解しているのだろうか。いや、理解しているに違いない。

「一年後からやり直すとしたら、一度、君と私が今日出会う前まで戻さなければいけません。君と私は一年後まで再会していないのですから」

「そうだね」

「つまり、今の君の存在はなかったことになります」

「そういうことかな」

「何で、そんなに落ち着いていられるのですか?」

「んー、そう言われてもなぁ」

 時得の疑問に困った表情で頬をかく。

「今までに何度か、このことを話したことがあります。ですが、大抵、自分の存在が消えることに恐怖し、不安におびえて、おかしくなってしまいました」

「それを知っていて、僕に話したの?」

「戻すつもりなんて……ありませんでした。話した上で、理解してもらって、ちゃんとあの日のことも思い出してもらって、一緒にいたかったから」

 ようやく本音が出てきた。時得は、自分でそう思った。

 だが、同時に自分がしてしまったことへの罪悪感に支配される。

 恐怖に染まる時得の表情を見て、与儀は語る。

「ありがとう。時得さんの方が怖がっているみたいだね」

 優しく微笑ほほえむ与儀の指摘に、時得は驚きを隠せない。

「私は……」

「時得さんが時間を戻せるって言うのは――。えっと、何だろうセーブポイントみたいなものかな?」

 時得は、うなずく。

「こんなことを言うと時得さんは怒るかもしれないけれど、そのセーブポイントは、きっと僕には意味がないものなんだ。うんん。そうじゃない……。この世界のみんなに意味はないと思う。神の視点で時間の変化を俯瞰ふかんできる君にしか意味はない。だから、世界を再スタートしたところで、僕に恐怖も何もないんだよ」

「でも、知ってしまいました。教えてしまいました。今、私の前にいる君は消えてしまうのです」

「ゲームの中のキャラクターは、リセットボタンを押した瞬間を認識できないし、セーブデータを読み出す瞬間を認識できない。同じように僕らは世界が止まる瞬間を、認識できるわけじゃないんでしょ?」

「その通りです。今、世界を止めても、きっと君は明日を疑わず、私と話しているままです」

「ね、怖くない」

「それは、私の――」

 セリフだ、と。それは、なだめる側の言葉だ、と。

 自分が、目の前の与儀を納得させなければならない。それなのに、自分が気を配られてしまっている。

 恥ずかしくて与儀の顔が見られない。

 その様子を見た与儀は、自分が傷つけるようなことを言ったのかと心配していた。

「僕の方こそ、無神経なことを言ってゴメン。時間を戻すことで本当に傷つくのは君なのにね。戻す前の世界を知っている君だけなのにね。何度も何度も、悲しい救われない世界を切り捨てるしかなかった君なのにね」

 与儀の想像以上の理解に、顔を上げる時得。

 その顔を見て、与儀は自分の言っていることの正しさを確認できた気がした。だから、もう一度フォローをしようと思った。

「これから過去に戻したとしても、君は今の僕を覚えていてくれる。僕の存在がなくなるわけじゃない。今生の別れみたいなセリフだけど、本当に死ぬわけでも、僕の存在が消えてしまうわけじゃないでしょ?」

 与儀としては、そうでも言わないと、時得が時間を戻すことに罪悪を感じてしまう。思い上がりかもしれなくても、少なくとも自分に対してだけでも、そうはなってほしくなかった。

 少しでも、理解して肯定したかった。

「だから、大丈夫」

 時得は、潤んだ瞳で見上げる。

 これほどまでに感情が揺さぶられたことが、かつてあっただろうか。

 過酷な世界と戦い続けてきた代わりに、何かを犠牲にしてきたのか。

「それにね。君の言葉が僕の世界を変えた。それは、変わらない事実。僕は、僕のこの一年を無駄にはしないよ。素敵な出会いを君がくれたんだ。そんな君と一年後再会できる、こんなにうれしいことはないよ」

 一度、大きく息を吸って与儀は言った。

「ありがとう」

 とびきりの笑顔で。

 向かい合う時得も笑顔になっていた。

 目尻に浮かぶ涙が、の光を反射して輝いていた。


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