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校門前の彼女  作者: 平原みどり
第二章
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第六話

「……え」


 恵子と『茜屋』でゆったりとした休日を過ごしたその翌日、


「…………え?」


 人間、本当の衝撃を受けると全く言葉が出てこなくなることを、和美は身をもって知った。



 放課後、和美はいつもの様に肩からスポーツバッグを掲げ、脱兎の勢いで体育館へと向かう。まさしく字のごとく、ウサギのように可愛らしく走り抜ける彼女の姿を見て、周囲の生徒たちは微笑ましく「頑張れよー」と声をかけていく。それらに手を振り応え、タッタッタッと体育館へと辿り着き、勢い良くドアを開け、元気よく発声する。


「ちわーっす!」


 そこで彼女は館内の雰囲気がいつもと違うことに気がついた。

 とても、静か、だった。

 いつもは和美が来る前から、バスケ部の部員は男女とも我先にと体育館へと駆けつけ、ソワソワと楽しげにバスケットシューズに紐を通し、ボールを弾ませ、シューティング練習をする。その為、リングに当たるボールの音、ボールが床を弾む音、シューズと床が擦れる音、そして笑い声――歓声が聞こえてくるはずだった。だから、それらの音が一切しないこの状況がとても不自然に思えていた。


 ――わたしが一番乗りなのかな。


 ショートホームルームが終わって、友達とお話をしてのんびりしてたのにな、とその時はまだ実感していなかった。館内を見回し、女子バスケ部の部室前に制服を着た三年生の先輩、そして二年生の先輩全員が揃っていることに気づいた時も、


 ――先輩たちいるじゃない。着替えないでなにのんびりしてるんだろう。


 まだ理解できていなかった。

 そして、和美の姿を認めた彼女の先輩たちが一斉に顔を歪ませ、誰憚ることなく泣き始めたのを見て、ようやく和美はこの状況が一大事であるということに理解が及んだ。


「和美……ごめん、ごめんねぇ!」


 その中で、和美にとても良くしてくれた三年生の先輩、現女バスの主将(キャプテン)小川紬(おがわつむぎ)が泣き叫びながら和美に謝罪する。ずっと、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し、両手で顔を覆い、彼女は膝から崩れ落ちる。慌てて、和美は紬に駆け寄った。


「ちょ、ちょっと紬先輩! どうしたんですか、なんで泣いているんですか! 一体、なにがあったんですかっ!」


 顔を上げず泣き続けている彼女では埒が明かないと感じ、和美は取り巻く先輩方の顔に一人ずつ視線を移していく。だが、誰一人、和美と視線を合わせようとはしない。首を振り子のようにし「どうしたんですかっ、何があったんですかっ」と声を張り上げるが、誰一人反応せず、全員が瞳を潤ませていた。

 そこに、館内にドアを開ける音が響く。


「皆、揃ってるな」


 監督とコーチを兼任している間宮薫子(まみやかおるこ)がスーツ姿のまま、立ち並ぶ女子バスケ部員の前に立った。


「まだ、一年が」


 和美が、崩れ落ちたままの紬に寄り添った姿勢でボソリと呟く。


「和美、お前以外の一年は事前に通達して全員休みを取らせた。今日は、レギュラー組、そして二年、三年のみだ」

「え、なん、で、ですか?」


 和美のその疑問を無視し、薫子は彼女の教え子たちの顔を一人ひとり見つめていく。そして、未だ床に座り泣き続けている紬を視界に捉え、いつも練習中に発する以上の厳しい声で、


「立て、紬! お前は主将だろう! 最後までしっかり立っていろ!」


 怒鳴りつけた。

 その声に、彼女は嗚咽を漏らしながら震える足に力を込めて、和美を支えにして何とか立ち上がる。そこで和美は、何かに気づく。


 ――今、監督は何て言ったの。『最後』って言わなかった?。


 そんな和美の動揺と疑問を余所に、薫子はとうとう決定的な言葉を発した。


「学校側からの処分を伝える。光風高等学校女子バスケットボール部。学校規定、寮規定、各種法令の違反に伴い、一ヶ月間の対外試合禁止とする。最終的な通達は追って各自に言い渡される」

「……え」


 その瞬間、和美の頭が真っ白になる。


「…………え?」


 人間、本当の衝撃を受けると全く言葉が出てこなくなることを、和美は身をもって知った。


 ――一ヶ月の対外試合禁止? え? だって、もう今月末にはインターハイ予選始まっちゃうじゃないですか。


 和美の大きく見開いた猫目が薫子を射抜く。が、それを薫子は半眼で鬱陶しそうに、そして――悲しそうに見つめ返す。


「よって、現三年は今日を最後に引退とする。これからは二年、一年を中心にチーム作りを始めることになる。代替わりが少々早くなったが、今回のことを踏まえ、公私共余計なことは考えず、学生らしく、そしてスポーツマンらしく今後を送ってくれることを切に望む。それと今日の練習は臨時だが一日休みとする」


 そして、薫子はさらに何かを言及しようと口を開き――しばらく立ち尽くし――「……お前らには以上だ」そのまま去ろうと背を向けた。

 だが、その背中に、


「ちょっと、待ってよ!」


 和美が怒声を張り上げる。その澄んだ音色の声質が、悲しみと怒りに染まり嗄れた老婆のような声となって館内に響き渡った。和美の背後にいる彼女の先輩たちが、ビクリと身体を慄かせる。


「三年の先輩たちは、この夏のインターハイが最後の大会なんだっ! もう終わりなんだよ! その日のためにずっと頑張ってきたんだ!」和美の顔は涙でぐしゃぐしゃで「何があったのか分からないけど、何とか、何とかしてよ、監督! もう一回、学校側に何とかしてもらうように言って……よ」最後の方は、嗚咽で声が尻すぼみ消えていった。薫子が振り返った。


「……和美。そんなことはなぁ」


 薫子が今まで見せたこともないような形相で――眼を真っ赤にし今にも泣き叫びそうなそんな表情で、


「私が一番分かってんだよ! お前よりもな! こいつらとずっと一緒にやってきたのは私なんだ!」


 そこで激情を抑えきれなかった自分を恥じたのか、軽く舌打ちした後、はぁ、と深く呼吸をする。


「私だって納得いっていない。今の今までずっと頭を下げ続けてたんだ。でもてんでダメだった。なんでこんなことになってるのか、学校側が、何故今回に限って女バスを目の敵にしているのか分かんないんだよ。本来この位の事例だったら、何のお咎めもなく済んだはずだったのにな」


 畜生、と吐き捨てると、その厳しく釣り上がっていた目尻を軽く押さえる。そのまま和美に向かって歩いてくると、ポンと軽く頭に手を置き優しく撫でた。そしてその後ろにいる自分の教え子たちに深々と頭を下げる「私の力が足りなかった。お前らを庇ってやれなくて、守ってやれなくて……本当にすまなかった」

 その瞬間、堰を切ったように薫子の周りを女子バスケ部の面々が取り囲む「監督!」「私たちが、私たちのせいで!」「監督と一緒にインターハイに行きたかった……!」その後三十分以上に渡り、女子バスケ部の全員は涙を流し続けていた。



 体育館から女子バスケ部の二、三年が去った後も、和美は呆と壁によりかかり男子バスケ部の練習を見ていた。見ていた、というよりはただ視界に入れていた、というだけで彼らの動きは景色の一部となっていた。

 薫子は女子バスケ部の二、三年と一緒に一時体育館を後にしたが、しばらくすると何やら難しい顔で再び戻ってきた。

 彼女は以前は女子バスケ部のみの監督だったのだが、男子バスケ部の三年生が件のことで全員いなくなり、二年生が五人だけ残った状態――新入部員は一人も入らなかった――の中、兼任の監督として頑張っていた。

 今日も男バスを指導するために戻ってきたと和美は踏んでいたのだが、彼らの前で神妙に何かを伝えている薫子に、どこか不審なものを感じていた。

 それは先程の女バスの騒動と似通った、いや、和美にとってそれ以上の不吉を伴ったものだということを直感していた。薫子が再び体育館から姿を消した後、残された男子バスケ部員は五人とも呆然と佇んでいた。

 その姿を見た和美は慌てて立ち上がり、彼らの元へ駆けていく。


「安藤、先輩っ!」


 その中で一際大きい男子バスケ部主将、安藤直樹に声をかける。


「あ、ああ。和美ちゃん。まだ、残ってたんだ」

「そんなことより! 先輩、どうしたんですか。監督から何を言われたんですっ!?」

「……は、はは」


 男子バスケ部の五人は互いに顔を見合わせ、苦笑いする。もう笑うしかない、といった体で、そこには諦観の念が見て取れた。


「だから、一体何を、」

「解散」

「……え?」

「男子バスケ部が取り潰されるんだって」


 その言葉を発した直樹は、和美に困惑した笑みを浮かべた。


「女バスのとばっちり、かな?」


 その言葉に、和美の視界は真っ暗になった。膝の力が一気に抜け、ガクンと身体が床に落ちる。四つん這いになり、何とか身体を支えるが、体が震えて立ち上がれない。


「ちょ、ちょっと和美ちゃん」


 さっきまで憤慨し号泣した女バスの先輩たちとのこと以上に、そして目の前で『とばっちり』と言っていた彼らの心情以上に、今度は怒声を張り上げる気力もなく、立ち上がるにも身体の力が入らず、過呼吸になるほど呼気を荒くした和美は、愕然と打ちひしがれていた。


 ――宮原さんの戻るべき場所が、なくなっちゃう。

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