第五話
和美は恵子と差し向かい座っていたが、視界は完全に彼女から逸れていた。今は目の前のメニュー表に視線を一心不乱に走査させている。あれにしようか、それともこれか、と言った風に、眉間に皺を寄せ、真剣な面持ちで眺めている。そんな和美の姿を見て、恵子がクスクスと笑っているのは分かっていたが、和美はこれだけは妥協できなかった。高級な甘味を、自分の限られたお小遣いの中で頼むには、なかなかに度胸がいるのだ。
「むむ、むむむ……決めました! やっぱりこのほうじ茶パフェがいいです!」
「そうね、私もそれにしようと思ってた。このお店の一番人気だしね。とても美味しいの」
二人は放課後、駅前にある甘味処『茜屋』に来ていた。この街で、和美が産まれる前から経営している老舗の甘味処であり、各メディアからも好評に紹介されている地元民の御用達店だ。茜屋と銘打ちながらも、フランス宮廷のサロンを模したロココ調の店内は、とても落ち着いてた様相だった。それは、ゆったりとのんびり話を楽しむにはぴったりの場所。
注文後、ソワソワと目当ての甘味が届くのを待っている和美に、恵子が微笑ましく話しかける。
「今日は部活は休みだったのね」
「そうです。隔週で水曜日はお休みです」
「……大変なのね。殆ど、遊べないじゃない」
あはは、と少し困ったように和美は笑う。
「仕方ないです。これでも光風の女バスはいつも静岡代表を争うような強豪ですし、バスケって一日休んでも、結構感覚にズレが出てしまうようなスポーツなんですよ」
「そうなの、ね。大変なスポーツなのね。その中であなたは一年にしてレギュラーを勝ち取った。それは、とても素晴らしいことだと思うわ」
「有難うございます。それでも三年が七人、二年が三人に一年は私を含めて五人の十五人体制ですから、他の強豪校に比べたら、そこまで大所帯ではないんですよ。個々人の能力は高いと思いますけど……」
「それでも全国を狙えるチームなんだから凄いと思う。今の主力は三年で、今年の夏の――インターハイ予選がそろそろ始まるみたいね」
「はい、今、先輩たちは燃えてますよ! 光風は三年生は冬の大会は出ないですから、先輩にとってはこれが最後の大会です。私も、私の全力で先輩をサポートします!」
今日の休日を境に、あとはインターハイ予選まで出来る限り、和美は先輩たちに尽力するつもりだった。それはレギュラーでも控えでも関係無い。女子バスケ部一丸となって、この夏に燃え尽きるつもりだった。
「あなたは、燃え尽きちゃだめじゃないのかな」
「……あ、心の声が聞こえてましたか」
和美は照れる。
その様相を見て、恵子は何かを考え――そして、何故か眉根を下げ、目を細めた。
――あれ? なんだこれ。
その恵子のふとした表情、仕草に、和美は――何故か得も言われぬ不安を感じる。
「恵子、先輩?」
「なあに?」
再び見た恵子の誘引されるような光輝な笑顔に、そのよく分からない不安を払拭させ、そしてタイミング悪く、
「あ、来たみたいよ」
「え、あ! きたきたきた、ほうじ茶パフェきたー!」
その重要な直感を、すっかり甘味の彼方へと捨て去ってしまっていた。
しばらく和美と恵子は黙々と、目の前の至高の一品に舌鼓を打ちつつ、口だけを動かしていた。時折恵子が頬に手を当て、うっとりしている表情を見て、和美も同様に頬を垂れ下げていた。
お互いゆっくりと味わいながら食し終わり、食後の緑茶を堪能すると17時を少し過ぎたあたりだったが、外はまだ大分明るいようだった。
「夏至は過ぎたのに、まだまだ日が落ちるのは長いわね」
「これからもっと暑い夏が来ます」
和美は窓の外を見ながら、言葉を紡ぐ。
「恵子先輩」
「なあに?」
「わたしはまだ、我慢しなければいけませんか」
そうねぇ、と恵子は人差し指を唇に当てると、
「もうしばらく、ね。まだ、今のままでいいわ。今のあなたの行動は間違っていない。私が一番心配しているのは、」
「わたしが宮原さんに踏み込みすぎること、宮原さんの琴線に触れてしまうこと」
「そうよ。分かっているならいいわ。今のまま、今の行動を、今の思いを、彼に伝え続けなさい」
「それに、本当に、意味があるんですか」
「あるわ。あなたも彼の表情を見ているのでしょう? あなたがボールを差し出す時、彼の鉄面皮は少し剥がれる、そうでしょう?」
「……わたしには、わかりません」
「あんなに、理解りやすいのに」
そこで恵子は何かを思い出したのか、口に手を当て「ふふ」と上品に嗤う。和美はその気品のある笑みを見て、何故か「怖い」と感じてしまった。その和美の逡巡を見て取ったのか、恵子は「私はあなたの味方よ」薄く笑った。
和美にとってその笑みは、今度はとても暖かなものに感じられた。