第二話
「今日は時間通りだね」
校門の柱に寄り掛かっていた少女――梨々花は、素早く陽大の腕に縋り付いた。上目遣いに嬉しそうに頬を染め、彼の胸に顔を埋める。陽大の匂いをかぎ、安心したように身体を弛緩させた。
そして少し緊張したように辺りを見回し、何かを警戒する。
「……あの女、今日はいないのね」
「ああ、高橋さんなら、もう僕に付き纏ったりしないよ。約束だってした。だから心配しないで? 僕には、梨々花しかいないんだから」
「……陽ちゃん」
瞳を潤ませる梨々花に、優しく微笑みかける。
「今日の服も可愛いね。その色合い、梨々花によく似合っているよ」
「あ、こ、これ? 可愛いでしょ。おろしたてなんだ」
「梨々花はなんでも似合うね。美人だしスタイルもいいし、梨々花は僕なんかにはもったいないくらいの恋人だよ」
「……陽、ちゃん」
梨々花が身に纏うのはライトグリーンのチューリップスリーブのワンピース。大人びた梨々花の雰囲気とあいまって、より一層彼女の魅力を引き出している。
「じゃあ、行こうか。今日は、駅前のファミレスかな? お腹空いてるでしょう?」
「うん、お腹すいたー! 今日はお肉食べよう、っと。陽ちゃんは?」
「僕も肉にしようかな。梨々花の好きな物が、僕の好きなモノだからね」
「……陽ちゃん」
そう言いながら陽大の腕にぶら下がるように歩みをすすめる彼女は、とても幸福そうに見えた。そして仲良く連れ立って歩く二人は、とてもお似合いの誰からも不可侵の――理想のカップルとして周りには映っていた。
「へぇ、じゃあ、梨々花は料理を始めたんだ」
「そうなの! だって、陽ちゃんにお弁当作ってあげたかったし、お母さんがね、家事とか何にもできないと、いつか陽ちゃんに嫌われちゃうよ、って言うし……」
「馬鹿だなぁ、僕には梨々花しかいないのに」
「……陽、ちゃん」
二人の間で紡がれる恋人同士の甘言。傍から聞いていたら胸焼けがしそうになる睦言。
「そう言えばさ、もうすぐ梨々花の誕生日じゃないか。どうしようかな、その日は。プレゼント期待しててよ。ちょっと奮発しちゃうからさ」
「い、いいよ、そんなの。陽ちゃんといるだけで、それだけでいいし。それにね。誕生日のこと昨日も話したじゃない。まだ一月以上先だよ。気が早いよ」
「いや、だって、梨々花の誕生日だよ? 今から念入りに計画しないとさ。僕と梨々花がずっと一緒にいることの証明に、思い出を沢山作りたいじゃないか」
「……陽ちゃん」
でも、微笑ましく二人に向けられる衆目は、その不自然さに気付けない。
「あはは、それで今日は少し目が腫れてたんだね」
「も、もう、笑わないでよ。だって本当に感動したんだから。陽ちゃんだって絶対に泣くはずだよ。本当にいい話だったんだから!」
「じゃあ、今度、一緒にそれをブルーレイで見ようか。梨々花の泣き顔も久しぶりに見てみたいからね」
「もう、ひどいよ。じゃあ、約束。今度、お泊りするときに一緒に見よう」
「ああ、約束だ。朝まで寝かさないから」
「なんだかその言い方、いやらしいよ」
その恋人同士の会話が成立していないことに。一方通行に閉じていることに。高校生であろうにも関わらず、これまで一切学校の話が出てきていないことに。
だから、周囲はひどく驚く。仲睦まじい理想の恋人像。一分の隙のないように見えるその関係が、何故、今まで出てこなかった何の変哲もない学校の話で、こんなことになってしまうのか。
「それでね。陽ちゃん、今日、学校、どうだった?」
「……うん、いつも通り、だよ。ずっと、本、読んでたんだ」
「嘘」
陽大の腕を掴む梨々花の指にギリギリと力がこめられ始める。
爪を立てたのだろう、衣替えで半袖になり肌が露出した二の腕に血が滲み始める。
「約束、したって言った。あの女と。話したじゃない。あの女と」
「……そうだったね。でもそれは必要な事だったんだ。もう二度と付き纏わないように」
「嘘。あの子、ものすごく可愛かった。梨々花なんかより、ずっと。だから、でしょう? だから、話したんでしょう?」
「違うよ。僕には梨々花しかいないんだ。他の女なんて目に入らない」
その瞬間、物凄い勢いで飛んできた梨々花の平手が陽大の頬を打ち据えた。
陽大の顔が弾け飛び、唇が切れ、口元に血が滲み始める。
「……陽ちゃん、私、帰るね」
「駅まで送って、くよ」
「来るなっ!!」
怒声を張り上げ梨々花は走り去っていく。唖然とする周りの人の中心で、陽大は悄然と立ち尽くす。
「痛い、なあ」
ボソリと呟いた陽大の口からは血が流れ、先程まで梨々花が掴んでいた二の腕からも同じように血が流れていた。そして彼の二の腕には、細かい傷が、新旧合わせ散在しているのが見てとれた。