1.木苺
突然、強い風が西から吹いてきた。
若草の香りと焦げ臭い匂いの混ざったその風は、アダミノを無性に不安にさせた。幼なじみのクロウと丘に駆け上がり、背伸びをして西方を眺めた。ここ、ベルデコリーナより西には大きな森があり、そこを抜けると城壁に囲まれた都があった。焦げた匂いは都から来るのであろう。黒い煙が見えた。都は今、血で血を洗う状態だと、アダミノの父ハッシュが言っていた。アダミノはベルデコリーナから出たことがない。アダミノは、いつも丘から都を眺め、そこの中心にそびえたつ城の生活を空想していた。きらきらと光る服を着たハンサムな王様と美しいお后様。笑顔の絶えない臣下たち。豪華な料理に優雅なダンス。お話を聞かせてくれる隣のおばあちゃんから聞いていたお城のイメージはこんなものだった。なのに、血で血を洗うとはどう言う事なのだろう?
「アダミノ! 都から来た人がお父さんを訪ねて来たよ」
弟のティムがアダミノを迎えに丘を駆け上がって来た。はあはあと息を弾ませていた。
「あのね、うんとね。肩に矢が刺さっていて血を流しているの。りっぱなお馬に乗って来たんだよ」
5歳のティムは矢が刺さった人の話をするのに笑顔を見せた。彼には血を流していると言う事よりも、都から来た人と言う事の方が重要なのだろう。アダミノは不安でクロウの手をぎゅっと握った。クロウはアダミノと同じ10歳なのにアダミノよりも背が低く、やせっぽちで頼りにならない男の子だった。でも、この時はアダミノの手をしっかりと握り返し、アダミノとティムの手を引きながら3人で家路を急いだ。
家の前には確かにりっぱな栗毛色の馬がいた。ティムはキャアキャアとはしゃぎ声を立てた。3人は急いで家の中に入った。アダミノとティムの母ノアがギョッとした様子で子供たちを見た。家の中はノア1人だけだった。
「都から来た人は?」
ティムの大きな声に、ノアは口に人差し指を当てた。
「静かにしてちょうだい。クロウ、今日は帰ってくれる? それからティムが何か言ったと思うけれど、それはすべて忘れてしまってちょうだい。誰にも話さないで欲しいの」
「誰にもって、あの馬が家の前にいるのは目立つよ。すぐに村中に知れ渡るよ」
クロウはそうに言いながら帰って行った。
「おじさんは地下よ。アダミノ、ティム、おじさんの事は誰にも言わないでちょうだい。おじさんは父さんと母さんの古いお友達で、悪い人に追われて逃げて来たの。悪い人がこの村に捜しに来ても見つからないようにしなければならないの」
アダミノの不安は広がった。悪い人なんて物語の中にしかいないのだと思っていたのだ。アダミノはノアに言われて、馬を納屋に隠しに外に出た。美しい毛並みの馬で立派な鞍を載せていたが、腹には主人の血がべっとりと付いていた。納屋で鞍をはずし、血を拭いてあげると馬はうれしそうな顔をした。
「きっと、お前はあのお城に行ったことがあるのでしょう? あんな立派な鞍を着けているんだもの」
アダミノは馬に水と餌を与えながら、またお城の美しい世界を夢見ていた。
アダミノが家の中に戻ると、ティムは興奮しすぎて疲れたようで眠っていた。ハッシュもノアも地下にいるのだろう。アダミノは床に腹ばいになり、耳を床に当てた。
「王が無謀な戦争を始める気なんだ。我々が反対しても聞く耳を持たないんだ。ハッシュよ、7年前、新王に失望を抱き、身を引いたお前を軽蔑して罵った私がお前を頼りにするとはな。許してくれ」
「いいや、何を言うんだ。我々はその昔、国の行く末を夜通し語り合った仲じゃないか。私は貧しい農夫に成り果ててしまったが、ブノフ、君は危険を顧みずに王に意見したんだ。私の方こそ逃げてしまった事を許してくれ」
「君には美しいノアと幼いアダミノがいたんだ。君は家族の幸福を望んでこの村に逃れて来たんだ。それは正しい事だったさ」
ノアのすすり泣く声が聞こえてきた。
「懐かしいわ。あんなにも幸せだったのに。ウィル様が若くして王になられてからは、ウィル様から逃げるように皆がお城からいなくなって、ついに私たちもここまで逃れて来てしまった。ブノフ、あなたに7年ぶりに再会したのにあなたはこんなに傷ついている、何てことでしょう。せめて、何か栄養があるものを食べさせたいのだけれど・・・」
足音が聞こえ、誰かが地下の階段を上ってくるようだったので、アダミノは急いでティムの横に座りティムの髪を優しくなでた。ノアが地下から出て来た。
「アダミノ、森に行って木苺を採って来ておくれ。1番おいしい時期だからね。それぐらいしかお客様を喜ばす物がないからね。いっぱい採って来るんだよ」
「ティムも連れて行くわ」
アダミノはティムの頭をポンと叩いた。ティムは起きそうにない。
「ティムを連れて行くと、遅くなるわよ。1人で行ってちょうだい」
アダミノは1人、麻袋を持って出掛けた。
森の中まで都からの焦げ臭い風が届いていた。
「父さんと母さんがお城にいたことがあるなんて聞いたことがなかった。逃げて来たと言うのだから、内緒にしていたんだきっと。7年前、私は3歳だったのだから覚えているはずもない。私もお城に行った事があるのかしら?」
アダミノはもう、想像するだけでうれしくなった。アダミノは誰にも教えていない大きな木苺の樹の場所を知っていた。そこには美しい白蛇がいつも居た。白蛇はどことなく気品があって、アダミノは「王様」と呼んでいた。今日も王様蛇は樹にしっとりと身体を巻き付けていた。
「こんにちは、王様。少し苺を分けてちょうだいね」
小さな赤い舌を出しながら、王様蛇は少し身体を後退させた。アダミノに摘んでもいいよと言っているかのようであった。アダミノは暗くなる前に帰らなければと、せっせと摘み始めた。麻袋はどんどんと重くなっていく。
「これだけあればジュースも作れるわ。ティムが喜ぶわね。ありがとう王様」
アダミノは王様蛇に笑顔でお礼を言い、帰ろうとした。すると、王様蛇はスルスルと樹から降りて来た。アダミノは王様蛇が自分に噛み付くのではないかと怯えた。王様蛇はアダミノを中心に3回静かに回ると、またスルスルと樹に登った。アダミノは何かおまじないでもされているような不思議な気分のまま帰った。家に近づくにつれ、都からの焦げ臭い匂いが強くなっていった。この匂いはアダミノをとても嫌な気分にさせた。
「ブノフのように怪我をした人たちが町には大勢いるのかもしれない。戦争が始まったのだわ」
アダミノは急ごうとしたが麻袋が重くて早くは歩けなかった。森の出口でアダミノは唖然とした。焦げ臭い煙で視界が遮られた。何が起こっているのか理解出来ず、家に向かって歩いた。途中、泣いた赤ん坊を抱えたクロウが立っていた。
「何が起こったの?」
クロウは放心状態だった。アダミノがクロウの肩を叩くと彼は静かにアダミノに視線を向けた。
「王様の紋章が入った旗を持った騎士達がやって来て、俺の家の外で『ブノフはいるか』と叫んでいた。父さんが出て行って、その人達と話をしていたんだ。突然、父さんが『逃げろ』と叫んだ。母さんが俺に弟を抱かせて裏から出ようとした。騎士達が入って来て母さんの髪を掴んだ。母さんは裏口に立ち塞がり俺たちに『逃げて』と言った。俺は夢中でここまで来た。村には火が放たれている」
アダミノは怖くて麻袋を抱き締めた。
「私、家に行くわ」
アダミノは出来る限りの速さで走った。「父さん、母さん、ティム。どうか無事でいて」微かにティムの泣き声が聞こえてくる気がした。しかし、それは幻だった。アダミノの家に火は放たれていなかった。家の前には既に事切れた死体が4体並んでいた。父、母、弟、そしておそらく、客人ブノフのものだろうと思われる首なしの死体。アダミノはまだ麻袋を抱き締めていた。それを放すと自分が正気でなくなる気がした。麻袋は木苺が潰れて真っ赤に染まり、その果汁は滴り落ちていた。




