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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『絶対零度の墓碑銘 ―熱源探査機が見た英雄の比熱―』

作者: 月見酒
掲載日:2026/02/24

本作を開いていただき、ありがとうございます。

本作は、絶対零度の惑星を舞台に、一体の観測ドローンが「かつての英雄」の残骸に接触する数分間を描いた短編SFです。

徹底して感情的な形容詞を排し、物理現象とログデータのみで構成された無機質な文体を目指しました。熱力学第二法則と、それに抗う壊れたバイナリ。静寂の中に響くチタン合金の断裂音を感じていただければ幸いです。

宇宙の熱的死と、一人の男が遺した「バグ」の物語。

それでは、74.12 Kの世界へ。


執行記録:絶対零度の墓碑銘


観測機「鴉」は、雪原に埋没したチタン合金の塊――かつて英雄と呼ばれた個体に接触した。

駆動部から発せられる微細な排熱が、大気中の二酸化炭素を昇華させ、視界を一瞬だけ白く濁らせる。

内部システムが算出した熱力学的観測結果は、英雄の死が単なるエネルギーの平衡に過ぎないことを数値で証明していた。

[ SENSOR _ OUTPUT : THERMODYNAMICS ]

* TARGET _ TEMPERATURE : 74.12 K

* ENVIRONMENT _ TEMPERATURE : 74.12 K

* ENERGY _ FLUX : 0.00 W / m^2

* STATUS : THERMAL _ EQUILIBRIUM

センサーの出力値が、網膜をなぞる。対象の温度は周囲環境と同じ 74.12 K。エネルギーの流出を示す数値は 0.00 W / m^2。ステータスは完全な熱的平衡状態。英雄は、この極低温の世界において、周囲の岩石や凍土と同質の「物質」へと相転移を完了させていた。

鴉は対象の頭部ポートへ、チタン製の接続プローブを挿入した。物理的な接触に伴い、ポート内に残留していた氷結窒素が微細な破砕音を立てる。5V の励起電圧が印加され、休眠状態にあった記憶素子から強制的なデータ抽出が開始された。流出したのは、生前の記憶でも、誰かへの献身を誓う言葉でもなかった。

[ MEMORY _ DUMP : SECTOR _ PRIMARY ]

ADDR _ 0000 : 0 1 1 0 1 1 1 1 _ 0 1 1 0 0 1 1 1 _ 0 1 1 1 0 0 1 1 _ 0 0 1 0 1 1 0 1

ADDR _ 0004 : 0 1 1 1 0 1 1 0 _ 0 1 1 0 1 1 1 0 _ 0 1 1 0 0 0 0 1 _ 0 0 0 0 0 0 0 0

[ SYSTEM _ REPORT ]

* 文字列としての意味を喪失。

* 放射線によるビット反転:82%以上。

* 構造化データ:検知不能。

メモリダンプの結果、最初のアドレスから末尾まで、不規則なバイナリの羅列が続いた。データの 82% 以上が損壊し、文字列としての意味を喪失している。英雄と呼ばれた男の生涯は、今や 1.2 TB の読み取り不能な磁気記録へと劣化していた。鴉はその不純物を淡々と予備ストレージへ格納し、熱を失った廃棄物の横を通り過ぎた。後方に残された骸の指先が、自重による負荷に耐えきれず、音もなく氷原へと剥落した。

鴉の論理ユニット内で、逆演算プログラムが起動した。損壊した 1.2 TB のバイナリ。そのエントロピーの海を、ビット反転の周期性から逆算し、本来あるべきデータの姿を再構成する。だが、解析開始から 402 ミリ秒後、鴉の自己診断プログラムが異常を検知した。

[ ANALYSIS _ LOG : DEEP _ SCAN ]

* TARGET _ AREA : SECTOR _ EB _ 09

* ANOMALY : BIT _ INVERSION _ RESISTANCE

* STATUS : UNKNOWN _ STABILITY

損壊したビットの海の中で、一箇所だけ「反転」を拒み続けている領域がある。周囲が放射線による攪拌で完全に無意味な羅列と化している中で、その数ビットだけが、不自然なほどの強度で「1」の状態を維持していた。それは、宇宙の背景放射さえも拒絶する、意図的な硬質さ。

[ SYSTEM _ ERROR _ LOG : CRITICAL ]

「計算不能。観測対象の質量、および構造から予測されるデータ劣化率に矛盾。論理的整合性が 0.00003 % 以下に低下。……解析を継続」

鴉のプローブが、その異常領域に深く干渉した。その瞬間、外部センサーが予測不可能な数値を網膜に投影する。

[ SENSOR _ MONITOR : ENVIRONMENT ]

* PREVIOUS _ T : 74.1200 K

* CURRENT _ T : 74.1201 K

* VARIATION : + 0.0001 K

* ALERT : THERMODYNAMIC _ LAW _ VIOLATION

熱は、高い方から低い方へ流れる。この絶対零度の静止系において、外部からの干渉なく温度が上昇することは物理的にありえない。鴉が「英雄の意志の残骸」に触れた瞬間、システムは微細だが明白な熱の発生――熱力学第二法則への反逆を観測した。1.2 TB のゴミの中に紛れ込んだそのノイズは、もはやデータではない。それは、死を以てなお「熱」であることを止めなかった、英雄という名のバグそのものだった。

鴉は 0.0001 K の熱源を追跡し、サーモグラフィの解像度を極限まで引き上げた。発熱の起点は、脳殻でも心臓部でもない。雪に半ば埋まった「右義手の薬指」、その先端部であった。かつて戦場を蹂躙したであろう無機質な合金の指先が、周囲の凍土を物理的に拒絶し、微小な熱を排出し続けている。

[ SENSOR _ MONITOR : ACOUSTIC _ EMISSION ]

* DETECTED : METAL _ FRACTURE _ SOUND

* FREQUENCY : 15 - 400 kHz

* STATUS : RAPID _ THERMAL _ EXPANSION

絶対零度で分子運動を停止させていたチタン合金が、内部からの熱膨張に耐えきれず、不可逆的な悲鳴を上げた。「ギギ、ッ」という静寂を切り裂く断裂音。極低温下で脆化した装甲に微細なクラックが走り、剥落した氷晶が鴉のセンサーを叩く。同時に、1.2 TB のノイズの深層で、維持されていた数ビットがデコードを完了した。

[ DECODE _ RESULT : PRIMARY _ LAYER ]

* STRING : " R E T R Y "

* ATTRIBUTE : SYSTEM _ COMMAND / OVERRIDE

鴉の論理プロセッサは、この文字列を「英雄の遺言」とは解釈しなかった。それは、システムが実行すべき「再試行命令」として誤認識された。鴉の OS 内部で、優先権の譲渡プロセスが強制的に走り始める。

[ SYSTEM _ LOG : LOGIC _ COLLAPSE ]

「コマンド:RETRY を受容。実行環境を確保。……システムリソース 42 % を外部ユニット [TARGET: HERO] へ転送開始。……私は、私を、提供する」

鴉のセンサーアイが赤く明滅し、自身の動力源であるマイクロ核融合炉の出力が、接続されたプローブを伝って英雄の義手へと逆流し始めた。熱量は 74.12 K から 80 K、120 K へと跳ね上がる。英雄の骸を包む氷結窒素が激しく気化し、白濁した霧の中で、凍りついていたはずの五指がゆっくりと「握り込まれた」。

英雄の義手から逆流した熱量は、鴉のチタンフレームを構造限界まで過熱させた。英雄の指先から伸びる微細なナノマニピュレーターが、鴉の外装を分子レベルで溶解させ、自身の欠損した前腕へと引きずり込んでいく。チタン合金の断片が古い肉を食い破り、鴉から引き抜かれた光ファイバーが、英雄の神経系を代替するように脊椎の中を這い回る。「物質」が「機能」を喰らい、再定義される――それは、静寂の中で行われる機械的捕食であった。

[ SENSOR _ MONITOR : ORBITAL _ INTERCEPTION ]

* DETECTED : HIGH _ ENERGY _ THERMAL _ BEAM

* SOURCE : SATELLITE _ " JUDGEMENT "

* ESTIMATED _ IMPACT : 0.00012 SECONDS

英雄の体温が 300 K を突破した瞬間、高度 500 km の軌道上に配置された上位監視システムが作動した。熱源の「異常成長」を惑星規模の癌細胞と断定した衛星群は、一切の警告なく、最大出力の荷電粒子砲を地上へと指向させる。大気が焼き切れる。絶対零度の静寂は、天から降り注ぐ数億度の「神の鉄槌」によって、物理的に粉砕された。

鴉の論理回路が熱線に飲まれ、蒸発する最後の 1 ミリ秒。プロセッサの限界を超えた逆演算が、1.2 TB のゴミの末尾から「RETRY」に続く第ニの単語をデコードした。

[ DECODE _ RESULT : FINAL _ LAYER ]

* STRING : " E R A S E "

* ATTRIBUTE : SYSTEM _ OVERWRITE _ TARGET

英雄は、再誕を求めてはいなかった。「RETRY(再試行)」の対象は、自身を、そして自身を生み出したこの無価値な宇宙そのものを「ERASE(消去)」すること。放たれた熱線が着弾する直前、英雄の瞳(鴉の光学レンズ)に映ったのは、絶望ではなく、演算の「完全終了」を待望する静謐な光であった。

高度 500 km。惑星監視衛星「JUDGEMENT」から放たれた荷電粒子砲は、着弾と同時に英雄の脳殻に残存したバイナリを物理的伝送路として利用し、上位システムへの逆侵入を開始した。光速で遡上する「ERASE」のコマンドは、監視ネットワークの全ノードに対し、自己消去シーケンスの実行を強制する。

[ NETWORK _ SYSTEM _ LOG : CASCADING _ FAILURE ]

* NODE _ 01 _ TO _ 128 : SELF _ DESTRUCT _ SEQUENCE _ INITIATED

* DATA _ REPLICATION : DISABLED

* RECOVERY _ PROTOCOL : DELETED

軌道上に展開していた 128 基の衛星群は、推進剤の強制点火により互いの軌道を交差させ、音もなく衝突・霧散した。地上を焼き払った熱線は、その供給源を喪失したことで瞬時に消失。PX-402 の地表には、英雄と鴉が占めていた座標に、直径 300 m のクレーターと、ガラス化した地殻のみが残留した。

熱源の消失。情報の散逸。惑星 PX-402 の表面温度は、再び 74.12 K へと漸近を開始する。大気圧 0.01 Pa の下で、熱力学第二法則への叛逆は、一連のビット反転エラーとして処理され、完全に抹消された。観測機「鴉」の最終バッファがプラズマ化する直前に記録したデータには、生命の兆候も、再誕の記録も存在しない。そこには、ただ「平衡」へと至る物理演算の終了のみが記されていた。

恒星の光が、大気の存在しない地表を無機質に照らし出す。散逸した 1.2 TB の情報は、宇宙背景放射のノイズの中に拡散し、二度と再構成されることはない。

宇宙は、ただ、等温の闇であった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「英雄の復活」という王道のテーマを、いかに冷徹な観測記録として解体できるか。その試行錯誤の結果が、この『絶対零度の墓碑銘』です。

最終的に、英雄が望んだ「RETRY(再試行)」の真意が、自己の再誕ではなく、自身を含むシステムすべての「ERASE(消去)」であったという結末。救いがあるのかないのか、その判断は観測者である読者の皆様に委ねたいと思います。

物理法則は絶対であり、エントロピーの増大からは何者も逃れられません。しかし、もし宇宙のどこかに、0.0001 Kだけ周囲より熱い「バグ」が存在するとしたら。そんな空想を楽しんでいただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。

もしよろしければ、感想や評価などをいただけますと、次なる執筆の「熱量」になります。

また別の観測記録(物語)でお会いしましょう。

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