夏祭り
「…………ふぅ、ちょっと休憩」
それから、およそ一ヶ月経て。
リビングにて、そっと鉛筆を置きだらりと背もたれに身体を預ける。……うーん、やっぱり難しいな、京大の問題。どうにか解けたには解けたけど、もう少し早く解けなきゃ本番じゃ厳しいかも。
それに、入試日はきっと緊張し過ぎてほとんど頭が回らないかもしれない。だから、そんな状態でもどうにかなるよう今のうちに余裕を持って解けるようになる必要も……まあ、まだ受けるかどうかも分からないんだけど。
「…………あ」
ふと、窓の外へ視線を移す。見ると、たなびく雲がオレンジ色を帯びていて。そんな心安らぐ光景を眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせる。……もしも、もしも仮にもう少し早く帰ってきていたら、もしかすると今日――
――ピンポーン。
「…………ん?」
卒然、現実へと引き戻される。……えっと、誰だろう。母さんのお客さんかな? でも、申し訳ないけど今は女子会に――
「…………へっ?」
謝る準備をしつつインターホンの前に到着すると、画面に映るは思いも寄らない馴染みの美少女。ともあれ、急いで玄関へ駆け扉を開き――
「――やっ、久しぶり新里」
そう、快活な笑顔で告げるボブカットの女の子。もちろん、すごく嬉しい。嬉しいのだけど――
【……あの、斎宮さん。確か、お帰りはまだのはずでは……】
そう、たどたどしく尋ねる。事前に聞いていた話だと、確かこちらに戻ってくるのは二日後。なのに、どうして――
「……へぇ、新里は嫌なんだ? あたしが、予定より早く帰ってきたら」
「……へっ? あっ、いえ決してそういうわけでは――」
「ふふっ、冗談だよ。悪いなとは思ったけど、お父さんに頼んでちょっと早く帰らせてもらったんだ」
すると、慌てふためく僕に可笑しそうに告げる斎宮さん。そんな彼女の姿――水色を基調とした涼やかな浴衣姿からも、流石に理由を察せられないはずもなく。
「――それじゃ、行こっか新里!」
「……わぁ、やっぱりいっぱいだね」
「……はい、そうですね」
それから、およそ30分後。
そう、感嘆の声を洩らす僕ら。視界には、溢れんばかり人……それも、弾けんばかりの笑顔を見せる人に溢れて。なんて幸せな世界なのだと、じんわりと胸が暖かくなる。
さて、僕らがいるのは地元の神社――燦々とした夜空に映える、鮮やかな朱色の鳥居の前で。そして、先に続く参道の両側には、鮮やかな朱色の提灯――そして、多種多様の魅力溢れる屋台が連々と並んでいて。
そう、今日はお祭り――この辺りでは八月最後の、楽しい楽しい夏祭りの日で。
「ところで、ほんとに今更だけど大丈夫だった? 実は、予定とかあったり……例えば、今日の祭りもほんとは誰か別の子と行く予定とか……」
すると、少し不安そうに尋ねる斎宮さん。本当は予定があったのに、無理やり連れてきてしまったのではないか――きっと、そのような懸念を抱いているのだろう。……ほんと、優しいなあ斎宮さん。
……ところで、彼女の言う別の子とはもしかして……いや、何はともあれ今は返事だ。そういうわけで、いつものごとくペンを執り言葉を綴る。
【いえ、予定なんてありません。正直……斎宮さんと一緒でないのなら、今日ここに来る理由なんて皆無でしたし】
「…………あ」
書き終えた直後、ポツリと声を洩らす僕。……しまった、こんな言い方をしたら斎宮さんに気を遣わせてしまうかも。自分のせいで、僕が予定を入れられなかったのだと。
【あの、斎宮さん。そもそも僕は誰からも誘われていないですし、どうかお気づ――】
「……そ、そっか。あたしと一緒じゃなきゃ、か。そっか、そっか……ふふっ」
どうかお気遣いなく――そう告げようとするも、ふと僕の手がピタリと止まる。と言うのも……呟くようにそう口にする斎宮さんの表情が、傍目にも疑いようのないほどの喜びに満ちていたから。……うん、それならいいか。




