競技開始
【……ふぅ、緊張してきました。こういう時は、あれですね、人という字を書いて飲み込めば良いといいますよね……それでは――】
「いやだから物理的に飲み込もうとしないでください。と言うか、どうして何も見ずに一字一句同じ文言を繰り返せるのですか」
【…………へっ? 同じ文言、ですか?】
「覚えていらっしゃらない!?」
それから、数分経て。
リレーの集合場所にて、メモ用紙に手を掛けようとした僕の手をさっと掴みそう口にする織部さん。……えっと、同じ文言? いったい、何のおはな……ああ、応援合戦の前のお話か。
……ただ、それにしても……うん、よく覚えてたね織部さん。それも、一字一句同じということまで。僕なんて、自分で書いたことすら忘れてたのに。
ところで、今更ながらですが――三年生の渡部先輩の代役が二年生の僕というのはルール違反なのでは、という疑問を抱く方もいるかもしれません。
ですが、当校の体育祭――まあ、他の学校の事情は分からないので、これが珍しいことなのかどうか分からないけど――当校の体育祭では、怪我や体調不良などやむを得ない事情で参加不可となった場合、その生徒の代役は同級生のみならず下級生が努めることも認められていて。
ちなみに、その逆――下級生の代役を、上級生が務めることは認められていなくて。……まあ、でもそれは仕方ないか。一概には言えないけど、それだと交代した方が有利になる場合も多いだろうし。
ともあれ、そういうわけで渡部先輩に代わって僕が出場することは当校において何ら規則に抵触するものではなく……いや、でも仮に抵触するとしても他のチームから文句が出ることはないだろうな。渡部先輩から僕への変更なんて、他のチームからすれば不都合なんて何もないだろうし。
「……ですが、それにしても……ふふっ」
【……? どうなさいましたか、織部さん】
すると、ふと笑い声を洩らす織部さん。突然、どうしたの……ああ、僕の顔が滑稽だからかな? でも、それは今に限った話では――
「……うん、何やら壮大な勘違いをなさっていそうですけど……私がつい笑ってしまったのは、不意に訪れたこの状況にですよ? 何だか主人公のようですね、朝陽先輩」
「……へっ? ああ、そう言えば……」
そんな思考の最中、何処か楽しそうに話す織部さんの言葉にハッとする。1位を取れば逆転優勝という最後の競技で、まさかの急遽交代……それも、アンカーという大役……確かに、これではまるで主人公――
……うん、違う。繰り返しになるけど、地味で陰キャラでコミュ障の僕なんかが主人公のお話なんて、この世にただの一つとしてあるはずないんだし。
ともあれ、最後ということもあってか、グラウンド全体が本日一番の緊張感――そして盛り上がりの中、それぞれのチームから第1走者の生徒達がスタートラインに立つ。ちなみに、当校では第1走者から第5走者までがグラウンド半周――そして、第6走者のアンカーはグラウンド一周を走るというルールで。なので、1、3、5走者はスタートの方――2、4、6走者は、その反対側でスタイバイしているという状況で。
ともあれ、各々ゆっくりと腰を落とし、走る体勢へと入る第一走者の生徒達。そして――
――パンッ!
ピストルの合図と共に、一斉に走者が走り出す。それから暫しして、先頭に立ったのは――E組! おぉ、このまま何とかリードを――
「…………あ」
だけど、2走者目で追い付かれ、3走者目では追い抜かれ2位に――そして、トップはB組。……うん、まあ簡単にはいかないよね。
それでも、ここまで2位というのは本当に凄い。この調子だと、僕のところまで回ってくる時に――
「「――あっ!」」
すると、ほど近くで声が重なる。と言うのも……現在1位のB組――その第3走者の女子生徒と、第4走者の男子生徒のバトンの受け渡しが上手くいかず、バトンは地面にポトリと落ちて。そして、その間に2位に付けていた僕らE組が追い抜き1位へ――
……うん、分かっている。これも勝負だし、仕方がないのだけど……やっぱり、少し複雑ではあって。
……だけど、そうはいってもやはり勝負は勝負――どうにか切り替え、ゆっくり白線へと向かう。既に全チーム第4走者がスタートしていて、こちら側に残るは僕ら第6走者――即ち、アンカーのみで。そして、僕の隣には――
「――宜しくな、新里」
そう、仄かな微笑で口にする男子生徒。鮮やかな檜皮色のマッシュヘア、そして深い蒼の瞳を宿す美少年。そんな彼に対し、僕はどうにか声を発して答える。
「……はい、宜しくお願い致します……日坂くん」




