選択
――それから、数日経て。
「……やっぱり、いたずらだよね」
放課後、ポツリとそんな呟きを洩らす僕。そんな僕がいるのは、校舎隅にひっそりと在する小さな階段の近く――聖香高校七不思議の一つに数えられる、例の小さな階段の近……うん、それはもういいよね。
ともあれ、もはや訪れる理由もなくなったはずのこの場所に、どうして今になって現れたのかというと――偏に、どこかのどなたかからの呼び出しを受けたからに他ならなくて。
とは言え――そっと右ポケットから四つ折りのルーズリーフを取り出し、改めて内容を確認する。今朝、これが僕の靴箱に入っていたのだけど……うん、やはり差出人の名前はない。偏見かもしれないけど、文字の雰囲気から恐らくは女性なのかなと思う。いずれにせよ、記載された約束の時刻はとうに回っているのだけれど……手紙の主はもちろん、人ひとり姿を見せる気配もなくて。……うん、分かってはいたけど、やっぱりいたず――
「――っ!?」
刹那、心臓が大きく跳ねる。そして、僕とは思えないほどの身のこなしでさっと段裏下のスペースへ身を潜める。何故なら――
「……そうだな、この辺でいいか」
そう、隣を歩く女子生徒――岩崎先輩へ柔和な微笑で話し掛ける、鮮やかな亜麻色の髪を纏う美男子。見紛うはずもない、その鮮麗な姿に――
「……郁島、先輩……?」
どうして、郁島先輩がここに……いや、もちろん来てはいけないわけもないんだけど。ただ、もう生徒会の活動もないはずなのに、どうしてかなと思っただけで……いや、関係ないか。そもそも生徒会室に近いわけでもないし、ここ。
それと、ついでに一つ……別に、隠れる必要なかったよね、僕。ただ、何か反射的に……
……とは言え、今更このタイミングで出ていくのは些か以上にハードルが高い。ひとまず、ここはこのままお二人が通り過ぎるのを待って……あれ、どうしてか急に止まって……それに、そう言えばさっきの台詞はどういう意味――
「…………え?」
思わず、目を疑った。何故なら――人目を気にするようにさっと辺りを見渡した後、すっと身体を寄せ合い唇を重ねるお二人の光景が、僕の視界にまざまざと映し出されていたから。
「…………どういう、こと……?」
未だ理解が追いつかないまま、呆然と目の前の光景を見つめる。いつの間にか段裏の下から身体が出ていたことに気が付いたけど、バレないよう気に掛けている余裕なんてなかった。とにかく、眼前の光景と既知の情報を照らし合わせるのにいっぱいいっぱいで――
――うん、この光景自体には何ら驚きはない。……まあ、こうして突如目にすることとなった驚きは多少なりあるものの――そういう意味ではなく、以前から噂になっていたお二人の関係性から鑑みても、本当にそうだったんだと確信するに至ったに過ぎなくて。……なので、疑問はそこではなく――
暫し呆気に取られていると、軽く手を振り去っていく岩崎先輩。一方、郁島輩はその場に留まり……ん、どうしたのだろう? 何か、用事でもあるのかな? だとしたら、大変申し訳ない……ないのだけども――
【……あの、すみません郁島先輩。少々、お時間宜しいでしょうか?】
「あれ、朝陽くん。いったいどうしたのかな、こんなところで」
「あっ、えっと……その」
突如、おずおずと姿を現し尋ねる僕に少し驚いた様子の郁島先輩。だけど、すぐにあの穏やかな微笑を浮かべ尋ね返す。
……うん、咄嗟に出てきたはいいものの……具体的に何を言うかなんて、正直まるで纏まってなくて。……えっと、やはりまずは今の光景に対する説明を――
……いや、そもそもそんな必要があるのかな? 別に彼から説明など求めずとも、今の光景をそのまま斎宮さんに伝えれば良いのでは?
……もちろん、傷ついてしまうと思う。そして、それは容易く癒えないとも思う。それでも……これを機に先輩への想いを吹っ切れれば、それ以上の傷を残さずいつか新たな恋へ進むことも出来るはずだし、僕も出来うる限り力になるつもりだ。ならば……今、僕の取るべき選択は――
【……どうか、お願いします郁島先輩。どうか、どうか……斎宮さんの大切な想いに、真摯に向き合ってください】
「…………へ?」
そう、深く頭を下げ懇願の意を示す。すると、頭上から驚いたような声がそっと降りてくる。
……全く、自分の浅ましさが嫌になる。何が、先輩への想いを吹っ切れれば、だ。そんなの、僕が安心したいだけの――僕が傷つかずに済むだけの、身勝手で卑しい結論でしかない。斎宮さんの大切な恋心を、全力で応援し後押しする――元より、僕がすべき選択なんてこれより他にあるはずないというのに。
……ところで、嫌になると言えば……日坂くんに対しても、酷いことしちゃったな。応援するなんて言っておいて、結局はこうして……本当にごめんね、日坂くん。それでも……僕はやっぱり、斎宮さんの気持ちが何より大切で――
「……顔を上げなよ、朝陽くん。と言うか……君は、それで良いの? 俺みたいな人間に、大切な夏乃ちゃんを任せちゃっても」
黙考の最中、ふと柔らかな声が届き顔を上げる。すると、どこか呆れたような微笑を浮かべ尋ねる郁島先輩の姿が。そんな彼に対し、僕は再び筆を執り――
【……はい。僕なんかに、こんな知ったようなことを言われるのは不快にお思いになるかもしれません。それでも……誰かの大切な想いを、決して蔑ろに出来るような人じゃない――勝手ながら、僕は郁島先輩のことをそのように思っています】
「……まいったね。どうしてか、随分と評価されているみたいだ」
そう伝えると、少し困ったように微笑み答える郁島先輩。……まあ、それはそうだよね。知り合いと呼んで良いのかすら怪しい僕みたいな一後輩が、突然こんな知ったようなことを言い出すんだから。
だけど、どうしてか……本当にどうしてか、そんな確信があった。彼ならば、斎宮さんの大切な気持ちに真摯に向き合ってくれる――そんな、自分でも不思議なほどの確信が。




