些か誤解があるようです。
「――はーい、いらっしゃ……あら、夏乃ちゃん。そっちの子が朝陽くんよね?」
「うん、一樹さん。今日もよろしくね」
ともあれ、斎宮さんに続き室内へ入っていくと、カランと心地好い鈴の音が響く。ガラス越しからもある程度は分かっていたけど、入ってみるといっそうお洒落な空間が広がって……うん、自身の語彙力のなさが恨めしい。
「夏乃ちゃんから話は聞いてるわよ。あたしは当美容院『三友』の店主、春川一樹。今日、貴方を担当させてもらうわ。よろしくね、朝陽くん」
「あっ、はい、その……」【……その、よろしくお願いします、春川さん】
「ふふっ、夏乃ちゃんから聞いてた通りね。うん、改めてよろしくね、朝陽くん」
そう、柔らかな微笑で挨拶をしてくれる美麗の男性、春川さん。聞いてた、というのは僕がほとんど声を発せない件に関してだろう。……うん、ありがとう斎宮さん。
ただ、それにしても……ほんと、挨拶一つ口にできない自分が嫌になる。……尤も、斎宮さん相手であれば、今なら挨拶くらいなら何とかなると思うんだけど。
……とは言え、今それほど気にしても仕方ないか。ひょっとしたら、今後少しずつでも声を出せるようになるかもしれないし。なので、目下ひとまず確認しておきたいことは――
【……あの、春川さん。その、大変つかぬことをお伺いするのですが……本日、例の看板は掲げられていな――】
「だからそんなもんねえんだよ」
些か唐突とも思える僕の問いに、間髪入れず答えたのは春川さんでなく斎宮さん。だけども――
【……しかしですよ、斎宮さん。大変、恐縮ではあるのですが……それについては、流石に春川さんご本人に尋ねてみないことには真偽のほどが――】
【だったらご本人に伝わる形で尋ねてくんない!? なんで『例の看板』で伝わると思ったの!? そもそも、そんなもんがあると本気で思ってたことに驚きなんだけど!!」
【いえ、斎宮さん。それに関しては、些か誤解があるようです。流石に僕とて本気であると想定していたわけではなく、せいぜい20パーセント前後と見積もっていたに過ぎず――】
「いや十分だよ!! あたしだったら1ミクロもあると思わな――」
「……ふふっ」
「……あの、一樹さん?」
斎宮さんとの応酬の最中、ふと可笑しそうに声を零す春川さん。そんな彼に、斎宮さんと同じく僕も不思議に思い首を傾げる。すると、
「……いえ、だって見たことないもの。夏乃ちゃんが、こんなに楽しそうに話してるところ」
「…………へ?」
「あっ、いや、それは……」
そう、なんとも愉しそうな笑顔で話す春川さん。思い掛けない彼の言葉に呆然としていると、すぐ隣で少しあたふたする斎宮さんの姿が。……あれ、なんだか僕を見てるみたい。
ただ、なんとも珍しい斎宮さんの姿を拝めたことは良いとして……先ほどの春川さんの言葉は、誤解とまでは言わないまでも流石に誇張なのかなとは思う。
僕とて、多少なりとも彼女が僕との時間を楽しんでくれている可能性があることを否定するつもりはない。ないけれども……それでも、見たことがないほど楽しそうというのは、流石に言い過ぎでは――
「――ひょっとしてだけど……二人って、付き合ってたりするの?」
「「……へっ?」」
卒然の思い掛けない問いに、思わずハモる僕ら。
「……あっ、あの、その……」
そして、先ほど以上にあたふたする斎宮さん。もはや、しどろもどろと言ってもいいくらいに。……うん、ほんとに僕を見てるみたい。とは言え、このまま聞き流すわけにもいかないので――
「……そっ、そんなの……絶対にあり得ません」
度々喉につっかえながらも、どうにか声を絞り出し答える僕。……いや、よくよく考えたらさっきまでのように筆記でも良かったんだけど……まあ、僕もそれなりに狼狽えてたから。
……ただ、それでもひとまず伝えるべきことは伝えられた。流石に、校外でまでさほど神経質になる必要もないのだろうけど……とは言え、郁島先輩の件を抜きにしても、僕なんかと恋人関係にあるなんて誤解を受けるのは、彼女にとって甚だ不名誉な――
「……へぇ、絶対にないんだ? ……ふーん」
「…………へっ?」
刹那、背筋が凍る。何故なら……隣におはする美少女から、未だ嘗て経験した覚えがないほどの冷気に満ちた視線を、まじまじと向けられていたから。……うん、どこかに胃腸薬ないかな。




