落語声劇「へっつい幽霊」【志ん朝版】
落語声劇「へっつい幽霊」【志ん朝版】
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約20分
必要演者数:2~3名
(0:0:2)
(2:0:0)
(1:1:0)
(0:2:0)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
熊五郎:渡世人の男。
家のへっついがそろそろ耐用年数過ぎて久しいので、道具屋へ
来たところ、とあるへっついにビビっと来た。
のちのビビビの熊五郎…ではない。(鬼太郎ネタです←)
これがひと騒動の元になるとも知らずに。
道具屋:道具屋のおやじ。
すぐ売れるが翌朝返品されてくる訳ありへっついを店に置いてる
。というか10回も繰り返したんか。
意外にうっかり…ではない、ちゃっかりしている。
幽霊:生前は左官の長兵衛。
へっついにある未練があって死んだあとも取り憑いていた。
ばくち好き。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
熊五郎:
道具屋・語り・幽霊:
※枕は誰かが適宜兼ねてください。
枕:昔は道具屋さんと言う商売が、大変に民衆の皆さんに利用されたと
言います。なんかちょっとしたものを買うなんという時には、みんな
道具屋さんへ足を運んだんだそうで。
手垢のつかない、新しいものを買うなんというのは、よほどのご大家
でもない限りはそうそうなかったわけです。
ですから引越しの時には近所の道具屋さんへ家財を売って、そして
越していった先の近所の道具屋さんでまた家具だの生活用品だのを
整えると、そういう具合にずいぶん重宝されたと言います。
だから道具屋さんというのは、非常に幅広い品ぞろえがあったそうで
。
熊五郎:あぁ、いいねこれァ…。
おうッ、誰かいねえかい!?
道具屋:へい、いらっしゃいやし!
えー親方、なに差し上げやしょう?
熊五郎:おう、ちょいとこっちに顔貸してくれ。
そこにあるへっついがいいなァと思ってよ、さっきから見てるん
だ。
道具屋:ぁっ、ああこれですか!?
【力強く】
…ぁっ、え、ぇええ!!!
熊五郎:たいそう力が入るな。
なんだ?良くねえのかい?
道具屋:ぁあい、いえ、その、良いんです、へへへ…いい事はいいんです
が…。
いや、親方の前ですがね、へっついでしたらあちらにもあります
よ。
熊五郎:ぁいや、見たんだ。
それでこれが気に入っちゃったんだよ。
いや、家にもへっついはあるんだけど、もうだいぶ古くなっちゃ
ってヒビが入ってるんだ。
飯を炊こうなんてんで釜を乗せるってと、ぐずぐずッと音が
するんだ。もうちょっとで崩れちまうってやつだよ。
危なくってしょうがねえや。
新しいものが欲しいなって思ってここ通ったら、こいつが目に
入った。一目ぼれって奴よ。
だから売ってくれ。いくらだい?
道具屋:うぅん、困りましたな…実はちょいとわけがありましてね。
このへっつい、少ぅし変なところがあるんですよ。
熊五郎:なんだい、その変なところてのは。
道具屋:えぇ、その、買った方がね、必ず返しに見えるんですよ。
熊五郎:へえ、そらまたどうして?
道具屋:それが、誰もわけをおっしゃらねえんで。
親方のお目にとまった通り、これはだいぶうるさい人がああでも
ないこうでもないって注文を付けてやったもんだと思うんです。
ある長屋を取り壊した時に私が引き取って来たものでしてね、
店に置いたとたん、すぐに売れたんです。
ところがあくる朝、こっちがまだ寝ているうちにその買った人が
真っ青な顔して叩き起こしてきましてね、わけを聞いたら、
「あんな薄ッ気味の悪い物はとてもうちには置いとけないから、
引き取ってくれ」ってんで引き取ってきて店に置いたら、
すぐに別の人が買っていった。
ところがまたあくる日になると買っていった人が真っ青になって
やってきては引き取ってくれと言うんです。
で、引き取ってまた店におく、すぐ売れる、次の日に引き取って
くれと駆け込んでくる、これをもう十回はやりましたよ。
引き取る時に売った時よりいくらか安く引き取りますから、
差額で少しずつ儲かっちゃっててありがたいと思ってたんです。
けど、あんまり度重なってくるとちょいと気になってきましてね
。
儲ける事も儲けましたし、このへっついで妙な噂を立てられて
他の品にまで障りがあるといけませんから、そろそろ叩ッ壊して
しまおうかと、こう思ってたところでして。
熊五郎:いやいやいやもったいねぇよ。
壊しちまうくらいなら俺が買うよ!
道具屋:いやいやいやダメですよ。
どうせ明日の朝になったら真っ青になって引き取ってくれって
言いに来ますから。
熊五郎:いや言わねえ。
大丈夫だ、俺ァ男だから。
道具屋:へへへ、初めはみなさん考えは男なんですよ。
あくる朝になるとみんな女になっちゃうんで。
熊五郎:んな事ァねえ、大丈夫だよ。
俺が気に入んなかったら、勝手に壊すから。
道具屋:えぇ…本当ですかぁ?
熊五郎:大丈夫だよ!引き取ってくれなんて言いに来ねえから!
道具屋:本当ですか?弱りましたなぁどうも。
たいがい皆さんそうおっしゃって、翌朝になると真っ青な顔して
やってきてね、叩き起こすんですから。
本当に返しに来ませんね、親方?
熊五郎:大丈夫だよ!
道具屋:そうですか…じゃこうしましょう。
怒っちゃいけませんよ?
このへっついね、タダで差し上げますよ。
熊五郎:タダ?そういうわけにはいかねえだろ。
いくらなんだい?
道具屋:【↑の語尾に喰い気味に】
いぃえいいんです。タダで構いません。
その代わり、どんな事があっても引き取ってくれは無しですよ?
いいですか?
親方のところで引き取ってくれが無しだったら、手間が省けて
あたしが助かるくらいですからね。
熊五郎:そうかい?悪いなァ。
よし、じゃあわかった。
今度また何かあったら買いに来るよ。
今日のところは、このへっついもらうから。
じゃあひとつすまねえが、家に届けてもらいたいんだ。
道具屋:へい、かしこまりました。どちらでございます?
熊五郎:向こうの通りの奥の長屋だよ。
道具屋:あぁ~そうですか!ええ、分かりました。
今からお届けいたしましょう。
熊五郎:おう、頼むよ!
道具屋:っしょ、っしょ…。
おっと、意外に狭いとこがありますな。
熊五郎:気を付けて運んでくれよ!ぶつけねえようにな!
よし、いったん下ろしたら、隅の方のへっついを脇にどかして、
そこんとこに置いてくれ。
道具屋:こうですかい?
熊五郎:おう、もうちょいケツを振って。
道具屋:え?ケツですか?
っ、っ…。
熊五郎:いやおめえ達のケツじゃねえんだよ。へっついのケツだ。
道具屋:あっ、へっついですか、へへへ…。
熊五郎:あたりめえじゃねえか。
へっついの口がまっすぐこっち向いてねえと心持ちが悪いからな
。
よしよし、それでいいや。
それからすまねえがな、その古いほうのへっついなんだが、
いま乗っけてきた車でどっかに持ってって捨てちゃってくんねえ
かい?
屑屋に頼んだって持ってってくれねえから、頼むよ。
道具屋:ええ、よござんすよ。
熊五郎:あぁそれで親父さんよ、こいつはまことに少ねえが、このへっつい
を処分する手間賃だ。
道具屋:えっ、いいんですかい?
へへへ、こいつはどうも…。
熊五郎:なに、新しい方をタダでくれた代わりみてえなもんだ。
じゃ、頼んだぜ!
道具屋:へい、まいど、どうもありがとうございやした!
【二拍】
熊五郎:いやぁいいねぇ、見れば見るほどいいよなぁ。
これだけの物をタダでくれるんだからな、へへへ。
何かあるって言ってたけど、何なんだろうね。
何があったってこっちは驚かねえけどよ。
いい物を据えると辺りの様子がスーッと変わるってのは大したも
んだな。
しかし、人間ってのは運が向いてるととことん良いって言うけど
まったくだね。
俺も長ぇこと博打で飯を食ってるが、ここんところずいぶん勝っ
てるからな。
勝てねえ時はどうやっても勝てねえんだよなあ。
丁と張ると半って出るし、半と張ると丁と出やがる。
悔しいから丁半と張ったらサイコロが重なってやがる。
それがここんところ俺の思い通りだもんな。
それでへっついを買いに行ったら、こんな結構なものがタダとき
た、へへへ。
明日はタンスでも買いに行ってみるかね。
またいくらか付けてくれるかもしれねえ…ってんな事はねえか。
っと、日が暮れて来たな。
湯に行くかぁ。
語り:上機嫌の熊五郎、独り者でございますからそのまま湯へ行って、
帰りに酒屋で酒を五合ばかり買って来ました。
布団をひいてあぐらをかいて茶碗酒、すっかりいい心持ちになって
そのまま寝てしまいます。
草木も眠る丑三つ時と申しますと、いまの時刻で言えば午前二時頃
でございます。
屋の棟も三寸下がる、水の流れも止まる、という事を昔の人は言い
ました。うまい事を言うもんです。
八ツの鐘がごぉ~~~~ん、と鳴る。
熊五郎:う~~ん…う~~ん……。
!っはッ!!?
あ~苦しかった…気持ち悪いね…何だか知らねえが妙に胸苦しく
って息が詰まっちまって、そのまま止まっちまうかと思った…。
それにしても大変な汗だよ。いったいどうしたんだ?
今まで夜中に目が覚めた事なんてなかったんだけどな。
あぁそうだ、あのへっついだ。
なんかあるって言ってたな。なんか始まりやがったってのか。
何があったって驚かねえけど、やっぱり気にしてたのかね。
始まるんだったら早く始めろィ!客がダレちまうぞ!
おっ。始まりやがったな。
へっついにぼっと火が付きやがった。
ひとりでに火のつくへっついてのは面白いな。
見世物にすりゃ儲かるぞ。
お、上から煙がふわーって……あ?人か?
なんでぃ、てめえはッ。
幽霊:っへっへっへっ……ぅうらぁめぇしやぁあー…。
熊五郎:何をォ!?うらめしい!?
俺ァてめえに恨みを買うような真似をした覚えはねえッ!
幽霊;っお、怒っちゃいけやせんよォ…怒っちゃやだよ、親方ァ…。
これァね、あっしらの方の挨拶なんですから。
これ言わねえとあとが出てこねえんですよ…。
へへへ、いやしかし驚きやした。
親方、いい度胸してやすねえ。
熊五郎:なに言いやがんでェ、おだてるなィッ!
幽霊:ぅお、おだ、おだててるわけじゃありやせんよ…ほんとですよ。
いやね、たいがいあっしが出てくるとみんな、きゃーって目を回し
たり、慌てて表へ駆けだしたりしちまうんです。
面と向かって口をきいてくれたのは親方が初めてですよ。
熊五郎:おめえのせいだな、あのへっついを買った人が引き取ってくれっ
て返しに行くのは?
なんだってそんなイタズラをするんだ!
幽霊:い、イタズラじゃねぇんですよ。
ちょいと頼みごとがあって出てくるんだけど、誰も聞いちゃくれな
いんですよ。
親方なら話を聞いてもらえそうだ。どうかひとつ、相談に乗っても
らいてえんですけどね。
熊五郎:えぇ…幽霊の相談なんぞあまり乗りたかねえけどな。
まぁせっかく出てきたんだ。話をするだけしてみな。
聞くだけ聞いてやるから。
幽霊:ぁありがとうございやす。
実はあっしは今じゃこんなんなっちゃったんですがね、
これでも元は左官の職人で、長兵衛って言いやした。
なかなか腕は良かったんですがね、人間てのはいい所ばかりじゃ
ありやせんね…。
あっしはガキの時分から博打が好きでしてね、へへ、
もうのべつ博打をしてやした。
熊五郎:ほお、おめえも博打好きかい。
幽霊:ええ、親父はうるせえ親父でね、
博打をしてるところを見つかったりなんかしたら、コテで張り倒さ
れたりしましたよ。
その目をかすめちゃあ、鉄火場へ行って丁だ半だとやってやした。
熊五郎:はは、なかなか筋金入りときてるなァ。
幽霊:親父がね、そんな事してるとろくな事はねえから早くやめろって
意見してくれるんですがね、そんなのは夢中になってる時にゃあ
分からねえもんですよ。
ある時、親父がぽっくり逝っちゃった、さあ小言を言うのはもうい
ねえってんで、もう今度は毎晩ですよ。仕事も行かねえ。
けどそのうちにしばらく経って、やっと親父の言う事が分かりやし
たね。
親の意見と冷や酒は後で効くって言いやすが、確かにそうですよ。
博打なんてのは場で朽ちる、博打で取られたお足を博打で取り返そ
うとするからいけねえんで。
他の事で取り返しゃあいいって事に、あとになってやっと気が付い
た。
あぁもうにっちもさっちもいかねえんだ、今夜限りでよそうって
思ってね、ある晩ちょいと脇で金を工面して出かけた。
ところが不思議なもんですね。欲がねえから、ひとつ目と出たんで
すよ。
一晩にね二百五十両も勝っちゃったんですよ。
熊五郎:に、にひゃくごじゅうりょお!?
そりゃあまたたいそう取れたなァ!
で、どうしたんだ。
幽霊:ええ、そんな大金持ったことも無かったんで、いろいろと考えてね
、で、あっしはさっき言ったとおり左官だ。
商売だからお手の物、あのへっついこさえてその中に二百両、
埋め込んじゃったんですよ。
熊五郎:あの中にか?
入ってるってのか?
幽霊:えぇ入ってるんですよ、へへ。
で、五十両だけ懐に入れてね、呑んだり食ったりして遊んで暮らし
てたんですがね、やっぱりそんな事して手に入れた銭なんてのは、
ロクな事はねえですな。
ある晩へべれけに酔っぱらったあげく、トントーンとつんのめって
ね、ドブに頭を突っ込んじゃったんですよ。
熊五郎:おいおい、なにやってんだ…。
幽霊:苦しいから何とか頭を抜こうとしたんですけど、酔っぱらってて
体がいう事をきかねえ。
そのうちにああダメだ、このままじゃ死ぬぞ、こりゃ死ぬな、
と思ったら、やっぱり死んじゃったんですよ。
熊五郎:他人事みてえに言うなよ。
幽霊:どこの者だか分らねえってんでろくすっぽお経も上げてもらえねえ
で、そのままあの世へ行けってんですが、どうもへっついの中に
埋め込んだ二百両に未練が残っちゃってね、あれを買った人の
ところへ行って出してもらおうとあっしがスーッと出て行くと、
みんなキャーッと目を回しちまって話ができない。
きょう親方が初めてお話できたんで。親方を男と見込んで、どうか
お頼みしやす。
あのへっつい壊して、中から金を取りだしてほしいんで。
お願いしやす。
熊五郎:そうか、なるほどな。
よし、じゃあ物は相談なんだがどうだい、俺が金をへっついから
出してやるから、出てきた金を山分けってのはどうだ?
幽霊:えぇぇ、そらひどい、ひどいよ親方ぁ。
いや、そりゃ手間は払いやすよ?手間は払いやすけど、山分けっての
はひでぇや。取りすぎだよ親方。
熊五郎:ダメかい?ダメだったら俺も嫌だよ。
高い銭出して買ったんだ。壊すことはねえ。
幽霊:親方、嘘は言っちゃいけねえ。
タダでもらったんじゃねえか。
熊五郎:…知ってんのかい。
確かにタダでもらったもんだが、ちゃんとしてるもんなんだ。
なにも壊すことはねえ。
壊したかったらてめえで勝手にやれ。
幽霊:無理言っちゃいけねえ、この手だから何もできねえんです。
金槌だって持てやしねえ。
親方、どうかお願いしやすよ。頼みやすよ。
熊五郎:山分けじゃなきゃダメだね。
幽霊:じゃあ、あっしがこれだけお願いしてるってのに、親方はうんと
言ってくれねえのかい?
ふん。
なんでェ親方親方って、下手に出てりゃいい気になりやがって。
よォッ、あまりでけェツラぁするない!
そっちがその了見ならな、
俺ァ、毎晩出てくるぜェ…?
熊五郎:おう出てきな。
独り者で退屈してんだ。
よかったら一緒に寝てやろう。
幽霊:いぃぃや、それはいらない!
しょうがねえなぁ、この人は驚かねえんだなぁ…。
どうしてもダメですか、山分けじゃなきゃ。
熊五郎:そうだよ、さっきからそう言ってるじゃねえか。
幽霊:あ、そう…。
しょうがねえや、いいですよ山分けで。
熊五郎:そうか?話は早く分からなくちゃいけねえ。
よし、いま出してやる。
よっ!よっ!!ほっ!!
よしよし、こいつだな?
じゃ、百両はいただいて…ほれ、おめえのぶんの百両だ。
さ、持って早く帰んな。
幽霊:……。
親方ぁ…親方ぁ、やっぱりダメだ。
そっちの百両に未練が残っちまって…。
熊五郎:おぉいおいよせよ。
いくら幽霊にしろ、おめえも男だろ。
いったん口に出した事だ、今になって未練がましいこと言うなィ。
幽霊:あぁいぃえ、返せとかそういう事じゃねえんです。
どうです、ものは相談ですがね、ここにあるこの百両とそっちの
百両、ひとついっその事、押っつけっこしようじゃありませんか。
熊五郎:あん?勝負しようってのかい?
ははは、おめえも好きだねえ。
なにも死んでまでやる事ァねえだろうに。
まあでも、もともとそっちから出た金だからな。
よし!いいだろう、受けて立とうじゃねえか!
で、何で勝負するんだ?サイコロか?札か?
幽霊:へへへ、あっしは実は丁半以外やった事がねえんで。
熊五郎:そうかい。じゃ、ここにサイコロがある。
これでいいな?
幽霊:あ、恐れ入りますが、ちょいとあらためさして下さい。
熊五郎:お、おぅ、疑り深ぇ野郎だな…。
ほらよ。
幽霊:いや、ほらよってそこにサイコロ放り出したって、この手だから
つまめねえんですよ。
恐れ入りやすが、サイコロをこの手に乗っけていただきてえんで。
熊五郎:なんだか変な手つきだな。
ほらよ。
幽霊:ありがとうございやす。
ぇ~…っとと…。
…。
あの、すいやせん、もう一度乗っけて下さい。
熊五郎:お、おう。ほら。
幽霊:へへ、どうも…けど、こういう事やってる時ってのはいい心持ちな
もんですな。へへへ、あっしぁ大好きだぁ、へへへ。
熊五郎:よし、よろしゅうございます、いいな?
ツボがねえから代わりにこの湯呑みで我慢しな。
いいか?入るぜ!
ふッ!
さ、どっちだい?
丁か半か!張った張った!
幽霊:へへ…あっしはですね、昔から丁にしか張った事がねえんです。
だから丁でお願いしやす。
熊五郎:なに、丁にしか張った事がねえ?へえ、そうかい。
わかった、じゃあ俺は半だな。
ッ!
はは悪ぃな、五二の半だ。
さ、もういいだろ、帰んな。
幽霊:ぁ、ぁ、ぁぁああ…。
熊五郎:おぉっとっとっとおぉいおい、しっかりしろよ!
だから止しなって言ったじゃねえか。
幽霊ががっかりしちゃったなんてのは、あんまりいい様じゃねえ
ぞ。
これが勝負って奴なんだから、しょうがねえだろ。
おめえも悔しいだろうけど、ここはひとつぐっと我慢して、
あの世へ逝っちまいな。
幽霊:はあぁ……、あの、すいやせん。
恐れ入りやすがね、もういっぺんだけ勝負しておくんなさいよ。
熊五郎:止せよおい。
くちばりは勘弁してくれくちばりは!
勝負とやっておめえの目と出りゃいいよ?
俺の目と出たらどうするんだ?
おめえ、賭ける銭がもうねえじゃねえか!
幽霊:へへへ心配いりやせんよ親方。
あっしも幽霊だ、足は出さねえ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
古今亭志ん朝(三代目)
※用語解説
・渡世人
定職を持たずに各地を渡り歩き、博打などで生計を立てる人を指す。
特に江戸時代には、無宿渡世人というのが博徒の親分のもとを渡り歩き、
博打をしたり小遣い銭をもらったりして生活する人を指す事が多かった
ようである。
・へっつい
昔でいう、かまどの事。
・屑屋
江戸の頃から歴史を持つ、いわゆる廃品回収の事。
・丁半
サイコロ博打のひとつ。
ツボ(手のひらサイズの小さな網かごのような入れ物)にサイコロを二つ
入れて振って、合計の目が丁か半かを賭ける博打。
丁が偶数、半が奇数。
・五合
一合が180ml。なので現在の量で900ml。
・屋の棟も三寸下がる、水の流れも止まる
「草木も眠る丑三つ時」のあとに続く文句。
家屋も眠り、三寸ほど沈み込んでいるようだと形容したもの。
・八ツ
午前一時から三時の丑の刻を指す。
・左官
壁や床などの表面を、コテを使ってモルタルや漆喰などの材料で塗り
仕上げる職人、またはその仕事のこと。日本の伝統的な建築技術を支える
重要な職種の一つ。
・コテ
左左官工事において土やモルタル、プラスタ、漆喰などの壁材を塗るため
の道具で、素材や形状などが異なる、さまざまな種類が存在。
・鉄火場
賭場のこと。
・お足
お金、特に小銭を意味する言葉。女房詞の一つで、丁寧な言葉遣いを好む
宮仕えの女性たちの間で使われていた。
・二百五十両
一両=約八万円。
従いまして、約二千万円なーりー。
・へべれけ
ひどく酒に酔って正体がなくなった様子。
・五二
サイコロの目がそれぞれ五と二だったので合計値七の半。
丁半博打では五の事を「ご」だけでなく、「ぐ」とも読んでいた。
他には出目が五一、五四だった場合は「ぐいち」「ぐし」と読む。
・くちばり
詐欺賭博の「さくら」のこと。
実際に金品を賭けず、口だけで幾ら張ったと言うところからきている。