第7話 深窓の令嬢、家を建てたい。
朝霧が立ち、野花やクローバーがそよ風に揺れ、湿った土の香りが漂うイブールのライテ丘。なだらかな斜面に朝露が光り、涼しい空気が頬を撫で、遠くの森や畑が霧に霞む。
イブールの中でもひときわ美しい景観ゆえに『ピクニックに最適!』とイブールの町役場通信第1983号に書かれている。
イマが住む屋敷はライテ丘の頂に建っている。石壁が苔に縁どられ、木の窓枠が朝露に濡れる姿は、イブールの中でひときわ美しい建造物だ。眼下には町にある色づく畑の景観がみごとで、キラキラと光る一級河川ラズロ河と、周囲を囲むキーリド山脈が臨めるすばらしい場所だった。
早起きして朝食を軽く済ませたイマは、渋々ついてくるヨーズアを引っ張り、屋敷の隣の空き地に立っていた。雑草が膝をくすぐり、風がドレスを揺らす中、ヨーズアはカバンを握り、あくびを噛み殺す。
土の湿った香りが漂っている。朝陽が霧を淡く染め、遠くの森から小鳥のさえずりが響く。
その中で――イマが雇った二十人ほどの職人たちがぞろぞろと到着する。
鍬やハンマーを肩に担ぎ、革靴がガリガリと道なき道を踏む音が響く。木の柄の香りが朝の空気に混じった。
「――みなさま、お集まりいただきありがとうございます」
扇を片手に、両手でスカートをつまんでイマは淑女の礼を取った。職人たちはその姿に目を丸くし、ハンマーを下ろして静まった。
のどかな風景の中、ガタイのいい男性陣を前に、たおやかな女性が場違いなほどに恭しく行動する様はなかなかの滑稽だ。
「お嬢様、よろしくな!」
茶髪を乱雑にまとめた中年男性が、気を取り直してそう言い、イマへと握手を求める。イマはにこやかにその手をとったが、心の中で「まあ、この手の大きさ、ペペイン度がすばらしく高いですわ!」と叫び、その厚みにドギマギした。
「――よろしくお願いいたします。わたくしは、みなさまの雇用主のイマ・ファン・レーストと申します」
イマが名乗ると、男性は「オレはベルントだ」とイマの手を大きく上下に振った。
他の男性たちも名乗るために、握手の列ができる。皆、汗ばむ手とすばらしい体格の持ち主ばかり。イマは眼福過ぎて死ぬのではないかと思った。眼福死。ヨーズアはそっぽを向いてあくびをしていた。
「さっそく、これからの計画についてお話ししたいと思います」
全員と握手を終えた後にイマがそう言うと、職人たちは瞬時に仕事の顔になる。なにそれかっこいい。多少上ずった声で、イマは「ペペイン邸を再現しますわ!」と告げた。
ベルントが「開拓の家か!」と豪快に叫ぶ。次いで若手のトミが「なんでまた」と呟き、鍬を手に笑った。
「ペペインが生きた証を、わたくし自身が体感するためです! ここイブールの地にペペインが入植したとき、ペペインは自らペペイン邸を建てたと言います。――わたくしも、その軌跡をたどりたいのです!」
ずっと黙っていたヨーズアが「はあ?」と言ってなにか残念そうな表情でイマを見た。そして言う。
「お嬢、あんた、もしかして自分でも建設作業に携わるつもりですか」
「もちろんですわ!」
「頭沸いたんじゃないですか?」
ヨーズアはときどき、本当にときどき、金が絡んでいない場面ではとても口が悪くなる。そんな正直で主人に媚びないところもイマは気に入っている。
「あんた、都の家じゃ、ずっと部屋に閉じこもってペペインの肖像画見てにやけていただけのひょろひょろ女でしょうが」
「まあ、ドク。さんざんなおっしゃりようね! ペペイン様の肖像画を前ににやけない人類がこの世におりまして?」
眉をひそめてイマが言うと、ヨーズアはこれみよがしにため息をつく。彼の足下の玉砂利が音をたてた。
「――あんた以外全員だよ。なに考えてんだ。俺は一応、あんたの主治医ってことでここに来てるんですよ。許可できるわけがないでしょう、そんなこと」
なんだかんだ、彼は給料分の仕事はするのである。
「あら、ドク。いっしょに作業へ参加して、わたくしの様子を監視してくださってもかまいませんことよ?」
「いやですよめんどくさい」
「特別手当を出そうかと思っていたのだけれど」
「なんなりとお申しつけください、お嬢様。お体に障らぬよう、気をつけて参りましょう」
ヨーズアは金に誠実だ。だからとても信頼できるのである。
そのやり取りに職人たちは目を丸くし、ベルントさんが「ハハハ、お嬢、無理だろ!」と笑った。
「ペペインは、やったのです! だからわたくしもやるのですわ!」
片手で拳を作り、扇子を握った手を高く青空へ掲げ宣言するイマに、職人たちの困惑気味の笑い声がさざめく。