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第6話 深窓の令嬢、見込みある若者を見つける。

「お招きくださりありがとうございます、フランセン様」

「もしよろしければレネとお呼びください。招きに応じてくださりありがとうございます」


 古めかしいが立派な馬車が、車輪を軋ませ、屋敷の鉄門とバラの茂みの前へイマを迎えに来た。

 時間よりほんの少しだけ早いという、すばらしい気遣いだ。イマは乗り込んで革のシートの香りを吸い込み、扇子を握って胸を弾ませた。

 レネ氏は役場の制服ではなく、ペペイン杯二番の男性が着ていたスーツに似た、立派な服装だ。仕立てもいいとひと目でわかる。ペペインの子孫としての自覚があってすばらしい。

 ヨーズアも同行させ、イマの隣に座らせる。彼はイマの主治医なのだから、連れて行くのはイマにとって決定事項なのだ。ヨーズアはカバンを膝に抱え、渋い顔でそっぽを向いている。

 イマは、馬車の中でレネ氏を質問攻めにしてしまった。


「フランセンの名を継いでいる方はどれくらいいらっしゃるのですか」

「イブールに居住しているペペインの子孫は、千八百名ほどです。そのうち現在フランセンを名乗るのは――」


 馬車の窓から風が吹き込み、飾りカーテンが揺れる。調べてあったのか、レネ氏は穏やかな笑みでイマの質問にすらすら答えてくれた。イマは身を乗り出して頷き、聞き漏らさぬよう耳を傾ける。

 ヨーズアは終始黙って馬車の窓の外を眺めている。ペペインの努力の結晶であるイブールの土地を網膜に焼きつけたいのだろう。わかる。イマも近々に馬車でイブール巡りをしようと決意した。


 そうしてやってきたペペイン邸。

 現在フランセン一族が住んでいる館はともかく、復元されたペペイン入植時の家屋は、粗い木の梁と苔むした玄関石が慎ましく、当時の生活を偲ばせた。

 手入れされた庭では紫の花がそよ風に揺れ、ほのかな香りが漂う。中を覗いてみると、雑誌に載っていた写真と同じ光景がそこにあった。ひんやりした空気が埃と木の香りを運んでくる。

 入ってすぐの場所は土間。そして、そのすぐ隣には囲炉裏のある居間。壁側には大きな水瓶があった。奥の続き間には古いタンスなどの家具がある。

 案内板によると、靴を脱いで上がるらしい。恐る恐るそうすると、軋む床板が足下で鳴った。イマは目を輝かせ、スカートをそっと握った。


「あの――イマお嬢様。よろしければ本邸でお茶でも」


 小さな住居の中をあちらこちらと見て回り、上も下もすっかり三周は見てもまだ足りないと思っていた時、レネ氏がそう声をかけてきたので、思わずイマは裏返った声で叫んだ。


「まあ! こちらで茶を喫してもいいのですか⁉」


 イマにとって本邸とはペペイン邸である。ペペイン邸とはすなわち、復元されたこの家屋である。

 うっきうきでそう言ったイマを見て、レネ氏は「はい、用意しましょう」と言った。


 ――ああ! なんたる至福! ペペインと同じ環境で茶を飲むことができるだなんて!


 イマがじっくりとその幸せを噛み締めたのち、レネ氏がそっと「本邸に秘蔵の品が」と言った。なのでレネ氏が言うところの本邸、フランセン一族の館へ向かった。早く言ってくれればいいのに。

 フランセン家の館では、厚い絨毯が足音を吸い、木棚にガラスケースが並び、保存に注意が必要な物を管理していた。イマが存在を知らなかった手紙類――黄ばんだ紙にペペインの筆跡が残る――まであり、イマは息を呑み、指先で空をなぞった。


 ――これは地域一帯を国立記念史跡として保護するべきではないかしら。


 イマは国への嘆願書を書く決意をした。


「――イマお嬢様は、ペペインのどんなところがお好きなのですか」


 レネ氏がそう尋ねて来た。イマは姿勢を正す。その質問をされたのはこれが初めてではない。が――レネ氏は筋がいい若者だ。きっとイマの布教を受け入れてくれるだろうと気合いが入る。隠しているだけでじつは既に、イマの同志かもしれない。

 よってイマは、握っていた扇子を振って語った。ペペインの開拓に伴った勇気や努力、そしてその偉大さを言葉の限りを尽くして語った。さすがに途中で椅子を勧められるほどに語った。過去にイマへそれを尋ねた者たちが、最終的に「もういいです」と降参したのと同じほど、力を込めて語った。

 レネ氏は真剣な表情で耳を傾け、適宜納得したり疑問に思ったことを質問しながら相槌を打つ。


 ――やはり、見込みある青年ですわね。さすがペペインの子孫。


「――イマお嬢様は、ペペイン杯でわたしに投票してくださった」


 しばらくしてレネ氏がそうつぶやいた。イマは「そうですわね」とうなずいた。どこか悩ましげな、そして熱を持った瞳でレネ氏はイマを見る。


「では――わたしは、あなたの想うペペインに似ているだろうか」

「あら、それはありませんわ」


 イマは一言でそう断じた。即答だった。レネ氏は怯んで「なぜです」と尋ねて来た。


「だって、コーゾ三号をお召しでしたわ! 偽物ではなく、本物ですもの。すばらしいです! それであなた様に投票いたしました」

「ええ?」


 見るからにレネ氏は肩を落とす。そして「――参考までに、わたしのどこがペペインに似ていないか、伺っても?」と言った。

 なにを言っているのだろう、この若者は、とイマは思った。


「まあ、まるで違います! まず、肩幅! それに胸の厚さ! 筋肉量が圧倒的に足りませんことよ! それに首が細くて顎も細くて……近代的なお顔立ちですわね。まるでペペインのようではありませんわ」


 レネ氏は衝撃を受けたようだった。ヨーズアは、燭台や金縁の絵画が並ぶ室内を物色し、指で壺を撫でながら「これは高そうだなあ……」とつぶやいている。

 その後もイマは、窓から差し込む光に照らされ、ペペインのすばらしさを説く使命に専念した。レネ氏が、椅子に浅く座り、気弱にうなずくのが気になった。


 最後に、イマは夕焼けに赤く染まるペペイン本邸の茅葺き屋根と窓を拝んだ。遠くの丘が紫に霞む中、イマは馬車に乗り込み、凱旋帰宅を果たした。かくもすばらしい第一回聖地探訪だった、と噛み締めながら。


 そして、二週間後、イマの元へレネ様から再び手紙が届いた。イマはイブールの屋敷の隣の土地を買い上げ、ペペイン邸と同じ建造物を建てる計画を進めているところだった。

 その手紙には何度も『諦められない』との文言がある。なにを諦められないのだろうか。朝の空気がひんやりする中、手にした厚い手紙の内容が全体的に意味がわからず、イマは首を傾げる。

 最後に近況も綴られていた。


『追伸

 ご指摘に従い、毎日運動と筋肉の発達訓練をしております。町役場で有志を募り、顎の細さを改善する研究同好会も立ち上げました。少々お時間をいただきたい。きっと、ペペインに近づいてみせます。

 レネ・フランセン』


 ――なんと見上げた志の若者なのでしょうか!


 イマは感動し、扇子を口元にあて「すばらしい!」とつぶやいた。


 そして『ときおり茶を喫しに立ち寄ってくださいまし』と返事を書き、ヨーズアへ紙幣とともに渡した。

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