第5話 深窓の令嬢、生の喜びを得る。
「お嬢さん、あの、起きてください!」
イマが崇拝行為を始めると、青年が大慌てでそう言った。しかし、コーゾ三号だ。聖なる崇拝物がそこにあるのに、身を起こせと言われてもイマにはできるはずもない。
「ありがたくて……まさか生きてコーゾ三号をこの目に……ああ、もうこの世に思い残すことはございませんわ」
「いえ、思い残してください」
飲み物をくれた黒髪の青年は、ペペインと同じく素肌にコーゾ三号を身につけていた。夏なので寒くはないだろう。
――イブールに住み、町おこしに携われば、ペペイン様が遺した物を触れるなんて……!
「……あの。わたしはレネ・フランセンと申します」
その名乗りへ「はい、先ほど司会者様がおっしゃいましたので、聞いておりましたわ。……もしや」とイマは返した。
「はい。――ペペイン・スリンゲルラントの、末裔です」
ペペインがその開拓の功を労われ、国から授かった特別な姓――それが『フランセン』! イマは震えるような気持ちで深く息をついた。
――ペペインの血筋の人間がコーゾ三号を身に着ける――優勝。最高。ありがとう神様、わたくしは安らかに参ります。いい人生だった。
イマの儚くなる心の準備ができたところで、背後から「お嬢、なにやってるんです、こんなところで」と主治医ヨーズアの声が聞こえた。
祭りの残り香と煙が漂う広場で、観客の笑い声が遠くなってゆく。綺麗好きのヨーズアには珍しく脂で手を汚しながら、両手に焼き菓子や串肉を持って彼は立っていた。
「ドク、いいところへ。わたくしそろそろ死にそうですの。あとはよろしくたのみます」
「いやいやいや、これまでで一番顔色いいじゃないですか。なに言ってるんです。しゃんとしてください」
「わたくしの部屋の鍵のかかった小箱に貴金属類が」
「どうなさいました、イマお嬢様。このヨーズアになんなりと」
即座に馬車が呼ばれた。車輪がガタガタと音を鳴らして進む。イマは、汗ばむ体を座席へ預けて、絶対安静で帰宅した。
屋敷へ戻り、ふらふらと自室のベッドに座り込み、燭台の火がゆらめくのを見たときに、はっとイマは冷静になった。コーゾ三号を少しでも触らせてもらえばよかったと思い至ったのだ。思わず立ち上がって地団駄を踏んだ。このままでは無念すぎて死ねない。
そして、さらに翌日。
「お嬢様、町役場からお手紙が」
「まあ、なにかしら」
いまだかつてなく健康的にすっきりと目覚めたイマは、朝の陽光がカーテンから漏れ、鳥のさえずりが響く中、メイドから厚い封筒を差し出された。差出人は町おこし振興課のレネ・フランセンとある。
ペペインの末裔から手紙をもらえた――ひとえに日頃の行いがいいからだとイマは確信した。
誰へ自慢すればいいのかわからず、イマはヨーズアの寝室の扉を何度も叩き、起こして自慢した。枕を抱えた彼はまるで興味なさげに「朝食は少なめで」とメイドへぼやいた。
手紙の内容に、イマは目を輝かせ、胸を高鳴らせた。内容は次のようだった。
『イマお嬢様
突然手紙を差し上げる無礼をお許しください。昨日のペペイン杯では、わたしへの投票ありがとうございました。とても励みになりました。
ペペインのファンとおっしゃっていましたね。よろしければ当家で所蔵しているペペイン所縁の物をご覧に入れたく思います。普段は公開していない物ばかりです。もちろん、町役場でも見られません。
ご都合がよろしい日時をお知らせいただけましたら、それに合わせてお迎えにあがります。お返事いただけますと幸甚です。
(ちなみに、当家の屋敷はペペインが入植した当時に住んでいた家屋跡に建てております。庭には史跡として復元したペペイン邸を公開しております)
レネ・フランセン』
――幸せが歩いてきた……!
イマは高血圧で倒れそうだと扇子を握りしめた。ヨーズアはどこか遠くを見ていた。すべての食事を塩分控えめにするよう指示を出し、急いでイマは返事を書いた。
――まだ、死ねない……!
『レネ・フランセン様
素敵なお誘いありがとうございます。驚きと喜びで胸が張り裂けそうです。
こちらはいつでも参れます。フランセン様のご都合に合わせて可及的速やかによろしくお願いいたします。とてもたのしみです。
イマ・ファン・レースト』
火急の用なのだ、悠長に郵便で出すなどと、まどろっこしくはしていられない。朝食後、パンの残り香がただよう中、娯楽室で柔らかいソファに寝そべって帳簿を弄ぶ退屈そうなヨーズアへ、イマはしっかりと封をした手紙を差し出した。
「ドク、町役場まで走って、この手紙を届けてくださいません?」
「――はあ? なんで俺が。いやですよ、他の人にやらせてください」
「昨日のお祭りでは受け取ってもらえなかった紙幣、使い道がないのだけれど」
「お任せください、イマお嬢様。このヨーズア、逃げ足の早さには定評がございます」
紙幣はヨーズアに笑顔を咲かせ、その足取りを軽やかにさせた。使い道があってよかった。
しばらく後、ヨーズアが息を切り、汗ばむ額で広間の扉を軋ませて屋敷へ戻り、イマへ厚い封筒を差し出した。イマは目を輝かせ、飛びつくように受け取る。返事には週末午後の日時が記されていた。
ヨーズアが「とても気の良い青年ですね、フランセンくんは」と爽やかな笑顔を浮かべていたので、きっとあちらにも使い道のない紙幣があったのだろう。とてもよかった。
イマは、ペペイン邸に相応しい持ちうる最上級の服を用意した。万が一にも、失礼があってはならないのだ。
そして――当日。




