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第3話 深窓の令嬢、冒険する。

 祭りはイブールの町全体を覆い、どこもかしこも活気づいている。人口はイマの実家がある都の南地区くらいで、およそ二万七千人ほど。きっと仕事を休み、町人総出で騒いでいるのだろう。それに、近隣の町村からも遊びに来ている人がいるかもしれない。目抜き通りに屋台が並び、大勢の人々がそれをたのしんでいる様子が、イマの目の前に広がっている。

 目指すは、昨年読んだ週刊誌に載っていた場所。この道をまっすぐに進んだところにある――町役場だ。


「やっと……やっとですわね」


 そうは思いつつも、イマはたくさんの人の波に圧倒され道を進めなかった。これだけたくさんの人を見るのも初めてだ。怖気ついてしまい、足がすくむ。

 彼女はしばらく人々を観察し、どうやってすれ違ったり進んだりしているかを学んだ。そして、深呼吸の後に「えいっ」と小さくつぶやいて、人の中へと突入する。

 群衆に紛れてしまえば、あとは流れに乗るだけだった。ぶつかりそうになったら皆「すみません」と言うので、イマも真似して「すみません」と言うようにした。道の端に立ち並ぶ屋台が気になってはいる。全部見てみたい。けれど、彼女にはなによりも優先すべきことがあるのだ。


 常日頃から、メイドたちに「お嬢様は、ファンの鑑ですわね」とか「推し活に気合いが入っていてステキです」と囃し立てられていた。


 イマにとって、イブールは聖地だ。

 実家では雑誌の編集長を呼び出してイブールの特集記事の詳細を尋ねたし、入手可能な関連書籍をすべて取り寄せ、自室の一角に祭壇まで築いた。

 そして――彼女の『魂の推し』の絵画レプリカをも購入し、その中心に飾ったのだ。

 もちろん、イブールの自室もすぐに同じように飾る予定だ。むしろ、聖地でそれをしないのは冒涜に近いとイマは考える。


 逸る心を抑えつつ、イマはガヤガヤと賑わう道をゆっくり歩いた。憧れの地の道路を自分の足で踏みしめて歩いている事実に、くらくらとする。初めて目にする物ばかりで、そのすべてが宝物のようだった。

 そして、屋台が途切れたところ。人波から抜け出したとき。彼女の青翠の目は、それを捉えた。イマは深呼吸をして、荒くなった呼吸を整える。

 イブールの町おこし事業の中心である町役場。その入口付近にある、それは――


「――ペペイン・スリンゲルラントさまあああああ!」


 色とりどりの提り下げ灯(カンテラ)が揺れ、観客の笑い声や拍手が響き、太鼓がドンドンと鳴り合う。

 町役場前の広場では、町内対抗のど自慢大会が繰り広げられていた。なので幸いにも、イマの絶叫は喧騒に紛れ、あまり注意を引かなかった。


 イマがすがりついたのは、イブールの開拓の祖である男性の銅像だ。

 ――まるでイブールを囲むキーリド山脈のように、盛り上がった胸板。この世の大地すべてを支えられるのではと思うほどに広く逞しい肩幅。血管が浮き出て、今にも動き出しそうな太い腕。それに、イマが何人しがみついてもびくともしなさそうな見事なまでに六つに分かれた腹筋と、どっしりとした腰!――


 イマの心を、瞬時に奪った『魂の推し』――開拓使・ペペインだった。


 イマは、しまいには地に額づいてペペインの像を崇拝し始めた。

 

「――お嬢さん、どうなさいましたか」


 さすがに見咎められ、声がかかる。イマは身を起こし、目を輝かせて「わたくしのペペイン様を奉じておりました」と言った。

 声の主である黒いくせ毛の青年は、驚いた表情でイマを見つめ、黙る。


 ――ペペイン様と同じ髪とは素晴らしい! 惜しむらくは、瞳の色が水色で、夕焼けを思わせるペペイン様の輝きではないですわね。


 そこまで瞬時に考え、イマはペペイン様を布教する姿勢に切り替えたが、青年が口を開く方が早かった。


「――なるほど、このあとのペペイン杯を見に来たのですね? のど自慢大会が終わり次第、準備に入ります。よろしければ、どこかに席を取って休んでいてください」

 

 聞き捨てならない単語を耳にし、イマは身震いした。


 ――ペペイン杯! 一体どんなものでしょう!


 とても素晴らしい予感に心が弾んだ。 役場前広場に並んだ大小さまざまな椅子――木の粗いものや色褪せた布張りのもの――のひとつに腰掛け、イマは胸を高鳴らせてそのときを待った。

 のど自慢は準決勝が終わり、佳境だった。決勝進出者たちが青天井の狭い演台の袖で、次曲のために喉を慣らしている。イマがそれを眺めていると、さっと横から飲み物の入ったコップが差し出された。


「まあ、ありがとうございます」


 先ほどの青年だ。体力のないイマは、人混みを歩いてきただけで汗だくになっており、ありがたくその飲み物を受け取った。そして口をつけて喉を潤す。爽やかな風味の果汁で、イマは初めての味わいに驚き、コップを覗き込んだ。


「――あなたは、こちらではお見かけしない顔ですね?」


 イマが一息つけたところで、青年がそう問いかけてきた。イマはにっこりと笑って答える。


「最近引っ越して参りましたの」

「……もしかして、ライテ丘のお屋敷ですか?」

「さようでございます」


 イマがうなずくと、青年はなにかを考えるように黙った。そして、もう一度口を開く。


「なんでまた、こんな田舎町へ引っ越しを?」

「わたくし、ペペイン様のファンですの」

「……ペペインの」


 ――やはりこの方には布教すべきですわね。とても見込みがありそうですわ。


 そう思い口を開きかけたとき、決勝進出者の一人が演台に上がり、拍手が巻き起こった。青年はいなくなってしまった。

 決勝は観客の拍手の大きさで勝敗が決まるらしい。イマは二人目の『イブール慕情』を歌った少女へ一生懸命拍手を贈った。サビのこぶしの利き方が最高だった。ペペインを想って、思わずもらい泣きしてしまったほどだ。少女は無事に優勝を勝ち取り、イブール内のどの店でも使える商品券十枚を誇らしげに掲げた。


 演台の上で町民が板を運び、道具をガタガタと並べ、次の催し物の準備を急ぐ。『第五十六回町内対抗のど自慢大会』と書かれた看板から、一枚紙が剥がされた。


 下から現れた文字は――『第四回ペペイン杯』。


 ――なんと! これまで三回も行われていたんですって! 知りませんでした……なんたる不覚!


「――さて、皆さま、大変お待たせいたしました! 祭りの締めくくりであり、イブール名物であるペペイン杯、始まります!」

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