第23話 深窓の令嬢、ほっとした。
「本日は、お忙しい中、こうしてお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。このペペイン温泉が、イブールの『灯』となる第一歩を、みなさまといっしょに迎えられたことを――たいへんうれしく思っております」
町長であるロヴィー・スメーツ氏が、大きな体を揺らしてハンカチで汗を拭きつつ演壇からあいさつをする。
イマはその姿を、宴会会場――できたばかりの保養施設の丸テーブルに着いて、眺めていた。同じテーブルにはヨーズアと、弁護士のドリース氏。そしてなぜかイブール町役場町おこし振興課係長のレネ氏だ。
「――この温泉は、まるで大地からの贈り物のように、イブールに湧き出ました。この奇跡をただの偶然で終わらせず、町の未来を切り開く力に変えようと、民間のみなさま、そして町役場が一丸となって取り組んでまいりました。今日、このすばらしい施設が形となり、こうしてみなさまと祝えることは、私たちにとって大きな喜びであり誇りであります」
イマは熱心にうんうんとうなずいた。本当にここに至るまでに、いろいろなことがあったと思う。
ドリース氏が来てから、悠に二カ月だ。イブールを取り囲む山峰は紅葉に色づいていて、とても美しい季節になった。
「この、ペペイン温泉『和み苑』は、単なる温泉保養施設ではありません。この町の歴史や文化、自然の美しさ、そしてなによりもここに暮らす人々の温かさを、訪れる方々に伝える場所です。都会の喧騒を離れ、心と体を癒し、笑顔になれる……そんな場所を、私たちは目指しています。――そして、この温泉を核に、イブール全体が活気づき、若者が未来を描ける町……訪れた人がまた戻ってきたくなる町へと成長させていきたいと願っています」
スメーツ氏のその言葉に、イマはほろっとしてしまった。なんてすばらしい施設だろう、とあらためて思う。
本当に、ペペイン温泉がそんな場所になればいい、とイマは心から思った。
ペペイン温泉は、イマの屋敷の隣に湧き出た。そのため、丘を少し下った土地に保養施設を建てることになった。
というのも、温泉だけを整備してもただの露天風呂ができるだけだ。そして、入浴以外の目的でそのあたりに人がたむろする可能性もある。そうなれば、イマの屋敷の防犯に支障も出かねない――そんな意見が多く出た結果である。
源泉から湯を引いて、保養施設側でも入浴ができるようにする。こうして、施設内浴槽と露天風呂との区別ができて、多くの人の入浴が可能になった。
施設を『ペペイン温泉の入り口』として機能させることができるのだ。
「――ここに至るまでには、本当に多くの方々のご尽力がありました。民間の、資金やいろいろな着想で支えてくださったみなさま、そして日々汗を流してこの施設を完成させてくれた関係者のみなさまに、改めて深くお礼申し上げます。――今日のこの宴会は、単なるお祝いではありません。新たな起点に立ち、これからともに走って行く私たちの、決意を共有する場です。どうぞこれからも、イブール町をよろしくお願いいたします!」
わっと歓声があがり、拍手で会場が満たされた。スメーツ氏は汗を拭き拭き、副町長のノーテボーム氏が着いている席へ戻った。
町議会と、弁護士のドリース氏の『建設的な話し合い』は、本当に建設的な内容に落ち着いた。
町議会、とりわけノーテボーム氏がこだわっていたのは、ペペイン温泉の地域還元だ。町役場の直営にすることにより、すべての利益がイブールへ。そう考えていたのだ。
ドリース氏は、民間で運営することの利点を町議会へ、とうとうと説明した。
曰く、初期費用をイマが負担することになり、イブールの懐が痛まない。
曰く、公営ではありえない速度で経営判断ができるため、観光客が来た際の応対が柔軟になる。
曰く、民間施設であれば、雇用者を公務員としなくてすむ。
どれもこれも、イマが聞いても首肯するばかりの、説得力のある主張だった。弁護士とは本当に博識で有能だとイマは思った。
各テーブルへ、酒が配られる。
これは、イブールで長く経営している酒屋との共同開発品だ。もともと、酒屋で家族用に作っていたものを製品化した。
突貫で形にしたが、ヨーズアが「せっかくだから試飲会も兼ねたらどうですか」と言って、イマもそれがいいと思いお披露目となった。
名前はまだ決まっていない。イマが「ペペイン酒で!」と言ったら、いろいろな人からつっこみが入ったのだ。
「でた、直球」
「言うと思った」
「なんかこう、もっと『和み酒』とか『湯けむりの詩』とか、いろいろあるでしょうが!」
「売る気ないでしょ、お嬢」
よって、この試飲会で意見を募り、名前を決定する予定だ。
イマの願いにより、宴には町の顔役たちが勢ぞろいしていた。
以前説明会で名乗りをあげてくれた、イブール全町婦人会会長のステーフマンス女史や、方面委員と呼ばれる地域のお世話係の人たち。それにイブールの地元新聞の記者も三名ほど。
すべてイマの『争いたくはない』という姿勢に基づいて、計画され、設定された。
話し合いはすべて円満に解決し――そして、この宴そのものがその広報だ。
酒宴は和やかな空気感で行われる。配膳をする人々は、保養施設『和み苑』のために雇用されたイブールの人たちだ。
まだ慣れない接客に四苦八苦している様子も、これからのペペイン温泉の可能性を示唆しているようで、イマは感極まり涙が止まらなくなってしまった。
「お嬢、飲み過ぎです。泣き上戸になってますよ。もうやめなさい」
「ぜんぜんのんでません、まったくのんでません!」
「あんた、そもそも酒飲むの初めてでしょう、それでやめなさい」
「いやですー! まだのむんですー!」
イマがそう叫ぶと、婦人会長のステーフマンス女史が「お嬢さん、水飲んで! ちょっと休んだら、いっしょに温泉入りましょう!」と誘ってくれた。
よってイマは水を飲んだ。
そしてそのまま眠りこけた。




